サモアの儀礼交換のフィールドワークをとおして、社会理論の最先端を切り拓く。「社会が経済になってしまった」われわれの文明、「経済が社会である」サモアの社会。反対の社会の経済、権力、性などから見えるわれわれが当たり前に生きているものの不思議。
同性愛を異質化し、周縁へと追いやる異性愛主義は、19世紀末に始まったものにすぎない。メルヴィル、ニーチェ、プルーストなどを読み解きながら、その中にホモ/ヘテロセクシュアルの分断を不可能にする揺れを発見し、セクシュアリティの混沌を見つめる意欲作。
メンズセンターのメンバーがつくった、わかりやすい、男性の立場から“かゆいところに手が届く”男性のセクシュアリティの本。
現代のメディアにひそむ原風景を、自らの体験史=「自分史」を通して探る。断片化された記憶を繋ぐ、戦後メディアの社会史。堕落論、カサブランカ、はっぱふみふみ、三種の神器、乙女の性典、三億円事件、善の研究、星の流れに、日米会話手帳、下山事件、OH!モーレツ、カストリ雑誌、シベリヤ物語、肉体の門、三鷹事件、違いのわかる男、青い山脈、ハイト・レポートーめまぐるしい変貌のゆくえを原点から透視する。
障がい者の性、セックス奉仕隊、ラブピースクラブ、若者への性教育、ネット恋愛、セックスワーク、人身売買、フーコーのセクシュアリティ論、日本における売買春の歴史。セックスという行為に潜むテーマを掘り下げ、縦横無尽に語り尽くす。
作品世界の物語性そしてキャラクター間の関係性から“欲望”の男女差を読み解く。
本書は、一橋大学大学院社会学研究科において、二〇〇六年四月から三年間にわたって続けられた先端課題研究7「日常実践/方法としてのジェンダー」の成果である。ジェンダー関連の書籍は、現在、入門書から専門書まで大量に生み出されているが、著者たちが心がけてきたのは、女性学や男性学、ジェンダー研究のテリトリーに閉じるのではなく、社会科学のなかにジェンダー視点を導入し、定着させ、その融合的な研究視座から、日常空間で作動するジェンダーに関わる諸問題(労働、家族、身体/生命、アイデンティティ、権力、政治秩序、市民社会、公共性、国際関係など)を可視化し、いかに対象化し研究として立ち上げることができるのか、それを徹底して追究することであった。
プルーストにとって女性登場人物とはー彼女たちはどのように創り出されたのか、何を託されているのか。同時代の女性作家コレツトとは、どのような感性の交わりが見出せるのか。これまでにないプルースト像を浮かび上がらせる新しいアプローチ、今ここに!!
「男らしくない」「もしかしたら“ゲイ”かもしれない!?」-誰にも言えずに苦しみつづけた思春期の頃。悩み抜いた末に見えてきたものとは?日常を「フツーに生きる」ことを実践する著者が、悩み多き十代たちに「自分の性を大切に」と語りかけます。
セクシュアリティ研究の名著、ついに翻訳刊行。グローバル化とデジタル革命によって加速するセクシュアリティと親密世界。21世紀における倫理を、LGBTの日常から生じる「生の実験」に基づいて立ち上げていく過程を克明に描く傑作。
オペラにおいて女性と男性が文化としてどのように表現されているか?歴史上のさまざまな時代に欲望と快楽は音楽でどのように構成されてきたか?音楽理論ではジェンダーを内包するメタファーがどのように行き渡っているか?ジェンダーとセクシュアリティの視点からひらく音楽学の新たな地平。
女が主役、男は脇役=広告の世界。現実社会でも女たちは、主役だろうか。-広告から戦後の女と男のありようをとらえ、そこに投影された時代の意識とそれが意味するものをよむ。
ジェンダー視点でみる新しい世界史。歴史を形成してきた「ひと」とは何か。歴史にあらわれる男性性とLGBT「近代市民」モデルを問い直す!