日本仏教の性差別をフェミニズムの視点から鋭く分析する。
「個人的なものは政治的」だろうか。やさしさと感受性に溢れた愛の関係を求めて、繊細で鋭敏な議論をくりひろげる。
母は男たちによって、いつも幼い日の夢とともに語られてきた。だが、娘にとっての母は、男たちが語ってきたような、郷愁としての母物語ではありえない。娘にとっての母とは何か。今、母にとっての娘とは…。女と女の関係、女同士の影響と絆、母娘関係の葛藤の深層。変容する「母」とそのメタフォアを分析しつつ、「女という存在」を問い直す。
リオ環境開発会議(1992)、カイロ人口会議(1994)、北京女性会議(1995)の焦点、リプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)を地球生命系の観点から捉え直す。
未来社会に向かうグローバルな環境哲学像に挑戦した意欲的試み。
あなたの生き方を「男社会」に迎合させる必要はない。枠組に囚われないしなやかな生き方を提唱する書き下ろしエッセイ。
東南アジア進出企業の韓国人、韓国商社員の見た文化摩擦、北京のコリアンタウン、映画の中の在外韓国人、出稼ぎに来た外国人労働者の悲劇、メキシコに同化した韓国系移民の子孫…。「世界化(国際化)」時代の韓国の光と影。
本書は、現代の最も重要な社会革命のひとつであるアメリカ・フェミニズム運動の鮮烈な記録である。人間的誠実と政治的策略、情熱と野望、勇気と裏切りに満ちた叙事詩的ドラマであり、フェミニズム革命の内幕が-男性中心社会の過酷な迫害に耐えて革命を成し遂げた女性たちやその犠牲になった女性たちの生きざまを通して-赤裸々に描かれている。ベティ・フリーダン、グローリア・スタイネム、ジャーメイン・グリーア、ケイト・ミレットらの思想や活動にスポットが当てられ、1960〜70年代に起きた驚異的な事件の数々が迫真のリアリティをもって展開されている。
美術における政治性、特にフェミニズムの視点から捉えた鋭い論評で美術史界の流れを変えた気鋭の美術評論家リンダ・ノックリンの、19世紀絵画についての私激的論文集。
生殖技術をめぐる「生殖・技術・言論」の三層とジェンダーとの錯綜した関連を解きほぐす。漂流する「女性の自己決定権」はどこへ向かおうとするのか。
家庭を守りながら、企業や政府を出し抜いて「もうひとつの経済と社会」のあり方を、未来先取り的に呈示する女性たちの姿を克明に描く。
コンパラブル・ワース運動のケース・スタディにもとづいて、コンパラブル・ワースが、階級運動とジェンダー運動を統合した労働者・フェミニスト同盟の形成に対してもつラディカルな可能性を探求する。