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議論/破壊のことを語る

出鱈目な議論で議論そのものを破壊したいと言う意識の背後にあるもの、基本的には「アーアー聞こえないー」だと思っているが、もうひとつマウンティングの欲求のようなものがそこにあることもあって、まぁそういう要素の強い層がひろゆきとか橋下とかを崇拝してたりするんだろうなーってところはある。
「アーアー聞こえないー」ってのが現状追認の意図があるのに対し、マウンティングの方は議論そのものへの嫌悪や恐怖を背景としていると思うのだがけど、何故議論そのものが嫌悪や恐怖の対象になるのかと言えば、議論を通じ何か新しい発見が出来たといった成功体験よりも議…[全文を見る]

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議論/TERF問題のことを語る

TERF問題ってシス男にとっては、トランスも女性も他者の問題なので傍でハラハラするしかない感じがしてもどかしい。
シス男でここに突っ込んで行ってる人って、一切の当事者性を差し置いて考えられるものを持っているという自負があるか、それに乗じて「フェミ」叩きをしたいかのどっちかで、自分はそのどっちでもないからな。
ただ、TERFのような人々がいるとして、その背景にあるのはミサンドリってよりアンドロフォビアとでも言うべきもののように思う。(このへんどこがどう違うって言いにくいんだけど)
で、ミサンドリにせよアンドロフォビアにせよ女性差別状況がマシに…[全文を見る]

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議論/つっこみのことを語る

なんか「フィクションに影響されて犯罪?んなわけーねーだろ!」みたいな反応は素朴すぎるつーか、問題は本来犯罪的に誰かを傷つけるはずのものなのにろくに取締りも、場合によっては法整備がいい加減とか為されていないようなことがあって、それは文化的な歪みを背景にしているからフィクションのあり方が問われてるんですよ。まさか「フィクションに影響されて文化が歪む?んなわけねーだろ!」とか言いませんよね?それはすべての創作者を侮辱したに等しいことは判りますよねとか言いたくなるつーか。

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議論のことを語る

ひとの体調問題について、それが優れないのであればその回復を祈ると言うのは「ひととして」当然のことではある。
しかし、そのひとが公人であり、しかもその失策が多くの被害を生んでいることが明白である場合についてはどうなのだろう?
多数の、そしてひとりひとりの被害者は多くの場合匿名的にならざるを得ず、被害者ひとりひとりは名を挙げて冥福や回復を祈ることなど出来ないのに、その原因を作った側ばかりに「××さん御自愛下さい」なんて言いたくはない。
そして「体調が悪いのだからひととして気遣えよ」と言うものがその失策の追求を阻害するのであれば、それは誰の為になるのだろうか?

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議論のことを語る

まぁ基本的にあまりにナンセンスなものに多くの人々が靡くときというのは「アーアー聞こえーないー」ってクリスタル・キングの替え歌の大合唱だと考えるべきだとは思ってはいる。すべての問題に耳を塞がせることが現状追認主義者たちの基本戦術なのだから。
ただ、その様式はしばしばありがちな心の隙を突き、間違いを誘発させるものが結果的に選択される(さもなくば普及しない)ので、そのへんは興味をそそるものになる。
んで、その一つに自意識過剰パターンと言うものがあるように思うのだが、これは自分自身の自意識と言うよりも口を塞ぎたい誰かの自意識を勝手に読み取って、「これは自意識の為せる業なので無視しても良い」と主張するもの。(承前) にもその一種を書いたけど。勿論、相手の主張に無理があるかどうかと言うことを検証することを抜いてだ。
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議論のことを語る

一般的に流布するものや、ある特定の議論の中にある間違いを指摘しようとするものに、「私は賢者、私以外は愚民」的な自意識を勝手に読み込む人々がどうやって他者の誤ちに気付いたときにそれを伝えているのか気になるが、まぁ基本的に言葉を思考の道具ではなく呪いの道具として使っている人なのだと判断するのが妥当で、こういうことに思考リソースを割かないムーブを心掛けよう。

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議論のことを語る

なんか「昔は良かった」系のものを見て、そこに要するに愛着のあるものを持ち上げたいが為に、その外部にあるものを雑にこき下したいと言う意図が透けて見えて来つつ、ああ、これって差別なんかの背景にある思考に共通しているなと。
で、愛着のあるものにまっしぐらなその姿は幼児的とも言えたりもするわけで、そしてヒトは普通深く考える必要を感じなかった領域についてはいつまでも幼児のままなのだから、この種のものがありふれていることも頷けることなのだなと。
あとこの外部への雑さと言うものは基本的な認識、認知の仕組みが隠れているような気がしたり、あるいは…[全文を見る]

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議論のことを語る

理想主義と現実主義と言う対立構図の提示は自らの理想の隠蔽を意図して行なわれる。
理想の前に現実が立ちはだかることは勿論あるが、しかし理想がなければ現状に対し何ら能動的になることはできない。
そしてわざわざ理想が隠蔽されるとき、それは自らその理想が共有不可能であるほど手前勝手なものであるか倒錯したものであると宣言したに等しい。

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議論/破壊のことを語る

ナイナイ岡村失言問題で、チコちゃん降板署名運動が起きているって話題で、この求めがやりすぎなのか妥当なのかを問うのではなく、そもそもの発言の問題点を誤認しながら「やりすぎ」だとか「やりすぎている奴は××だ」みたいな論い方をする奴らがいて、あまつさえしれっと元々の失言の内容が「差別なんかなかったのにやりすぎ」とか「あれはシャーデンフロイデの問題だが、抗議の形をとりながらお前らもシャーデンフロイデってるやん」とか逸らして行くんだが、「そこからか!そこからなのか!」って思いと共にこの種のミスリードに怠惰からの悪意を認めるべきか、単純に未だ理解に至らないと考えるべきなのか困惑している。