最近、皇室典範の内容を変更して女性宮家を創設するかどうかという問題に絡めて、例えばこんなことを言う人がいる。
男系継承は神話時代から現在の第125代の天皇陛下に至るまで脈々と続いてきた。歴史上、女性天皇は10代8人がいたが、いずれも男系女子だった。
さて、「神話時代から」などというのはともかく、天皇位がずっと男系で相続されてきたということは、一見、常識であり、問題ないようではある。しかし、本当にそう言えるのだろうか。
実際、『古事記』と『日本書紀』による場合、「神武天皇以来、男系継承されてきた」ということは証明できない。それは、よく知られているように、第二十六代とされる継体天皇は「応神の五世の孫」とされているが、その間の系譜が抜けており、男系の子孫なのか女系の子孫なのかわからないためである。継体の系譜は、全く伝わっていないわけでもない。『釈日本紀』が引用する『上宮記』逸文に継体の系譜が見え、それによると男系らしい。しかしその系譜と同様のものが、もし記紀の編纂時に存在していたとすると、なぜ記紀がそれを採用しなかったかが問題となる。普通に考えれば、朝廷の史官である記紀の編纂者から見て、それは一級の史料とは思われなかったということになるだろう。皇統にこだわりを持って編纂された、特に『書紀』が、継体の系譜を偽作することすらもあきらめているということが事実なのである。少しうがった見方をすると、記紀の編纂時には儒教がかなり入ってきていたから、本当は女系なのをまずいと思って伏せたのかもしれない。
『上宮記』逸文を信じるとしても、男系の証明はなお困難だ。これもよく知られているように、記紀の皇統譜はさかのぼるほど造作の跡が濃く見られる。例えば、記紀では初代神武天皇から十六代仁徳天皇までのうち、神武と仲哀をのぞく14人が父から皇位を継ぎ、成務をのぞく15人が子に皇位を継がせたように記述している。十七代履中天皇は父仁徳から皇位を継ぐが、その後は兄弟やおじ・おい、その他近親者間の継承が多く、奈良時代になっても父子継承は珍しい部類に入る。後世になるほど父子継承率は高くなる傾向にあるが、江戸時代でも6割程度にすぎない。初期の天皇家において父子継承率が異常に高いことを真実と認めるには、なぜそうでありえたかという特殊事情の説明がいることになる。また、仁徳までの皇統譜に登場する天皇の子の性別を『古事記』によって調べると、男子7対女子3ほどとなり、不自然である。以降推古までが五分五分になっているのに比べても異常といえる。このことも、初期皇統譜の続き柄について相当の造作があることを示しているのだろう。
初期皇統譜の父子継承記事を全て信じるより、記紀の編纂にかかる時期に行われた造作が含まれていると考える方が容易だ。むかし、尭は舜に禅譲し、舜は禹に禅譲した。一つの仮説として考えるに、古代日本にもこのような時代があり、家系による王朝の維持ということが確立する前には、続き柄が決定的な要素にならなかった。それで、初期天皇の続き柄については伝えが少なく、記紀の編纂にかかる時期に、その当時の都合によって、単純に父子継承としてつなげたのではないか。また、言語の面から見ると、和語には男系と女系を区別する語彙が見られない。父方についても、母方についても、おじはおじ、おばはおば、いとこはいとこ、めいはめい、おいはおいで、区別しようとすれば「母方のおば」のように文をつくる必要があり、単語どころか熟語でも言い分けることをしない点、漢語とは大きく違っている。古代日本では、男系か女系かによって価値を分けない時期が相当の期間続いたのではないか。だとすれば、記紀の続き柄を信用できない初期天皇のなかに、すでに女系天皇がいた可能性も想定できる。
ところが、「皇位はずっと男系で相続されてきた」と言うことは、実は可能である。「天皇=すめらみこと」という称号を最初に用いたのは、もちろん神武天皇ではない。天皇号の始点は明かではないが、有名な『隋書』倭国伝に、西暦600年のこととして、倭国から使者があり、倭王は「阿輩鶏弥」と号したとある。これは「おほきみ(ofokimi/大王)」の音を写したものと考えられ、天皇号が使われていた様子はない。従って600年が上限となる。私は天皇号を初めて正式に用いた本当の「初代天皇」は天武天皇だとみているが、それが誰だとしても7世紀より前ではない。それ以前のいわゆる天皇は、記紀の編纂にかかる時期に、過去の著名な王者のうち誰と誰が天皇にあたるかを検討し、後から指名したものにすぎない。それも各国『風土記』には神功皇后や倭建命を天皇とする記述があるなど、誰を天皇とみるか必ずしも一定でなかったことがうかがわれる。彼らはいわば「みなし天皇」である。
だから、「天皇」なるものが7世紀以後のものであることを認めるなら、「ずっと男系で相続されてきた」と言うことは可能になる。その場合「神話時代から」などということはあきらめてもらわなければならないし、今上天皇は大体85代目くらいになる。そこをどう考えるにしろ、前例にとらわれず応変の処置をとった方がいいと私は思うけれども。