『詩経』大雅・文王篇に、周雖旧邦、其命維新
、とあり、ここから、旧弊を排除して体制を改めることを維新という。現代日本語でただ維新とだけいえばいわゆる明治維新のことだが、この一事件にこういう言葉が使われることは、当然ながら明治以降のものではなく、江戸時代の教養による。
明治維新という革命運動は鮮やかに成功したものだという印象が何となくあり、それによって維新という言葉は改革を標榜するための旗印として何度か利用されてきた。その印象は、勝海舟という、武家時代の政治家の良いところを一身に集めた様な人物によって作られたとすれば、ここに維新という古典的教養によった言葉が使われていることはまことに相応しい。
勝海舟という幕臣は、国が治まるなら誰が治めても同じことだという考えを持っていた様であり、徳川幕府を折り目正しく滅ぼすという役割を担い、内紛がグズグズと長引くことで諸外国と悪い関係ができることを防いだと言えようか。
やがて明治維新につながる幕末の運動は、外国船の来航に対する漠然とした不安と、幕府の外交への過小評価が結び付いて大きく膨れ上がった。理想を共有して結束したというほどのものではないから、いざ、幕府を引き倒してみたところが、きちんと新体制の構想ができる人物は早いうちに暗殺されたりして去ってしまい、後には小物が残った。その明治体制を底支えしたのも勝海舟だった。
己が三十年前にやったのを、少し趣を変えて、やりさえすれば、それでいいのだ
、というのは、勝海舟が明治三十一年に言ったことである。何がそんなに気に入らなかったものか、幕府を畳んだ様なことをもう一度やれという。しかし、いま年表などを見ても、それほどの事があった様でもないから、どうやら今の日本国家は明治三十年頃に滅び損なった体制の成れの果てらしい。
どうも、この年末は、現代日本の悪いところをこう感じる暮れというのもかつて経験がない様に思えたので、歴史知識が不十分なままでこんなことをツラツラと考えてしまった。年始の挨拶にしては不景気に過ぎる様ではあるが、自分自身のことし一年のためになるかもしれないので書いておくことにした。
まあ一年と言わずヘビの様に長い目で構想を持って生きていきたいものだ。