「館長雇い止め・バックラッシュ裁判」で原告敗訴の判決が9月12日に出たのを受けて、macska さんが書いた論評から議論が続いています。話は裁判からファイトバックの会や会のブログのあり方、それから運動体がインターネットをどう使うかという方向へ発展しています。議論の流れを大まかにリストで表すと以下のような感じです。


私は、さとうしゅういちさん含めファイトバックの会に関わってる人たちは十分頑張っていると思います。それと同時に、戦術級の思考や言動をいくら積み上げても戦略にはならないということも確認しなければならないと思います。

ファイトバックの会のブログについて言うと、集団執筆体制を作って数年に亘り恒常的に更新、マスメディアがほとんど扱わない事柄を伝えてきたことは、私は高く評価したいです。ただ、そこから進歩がなかったら価値は上がって行かないし、考えるべきことはたくさんあると思います。

ブログっていうのは、出来合いのブログサービスを使う場合、必ずしもやろうとしていることに対して最適にならないので、最初の段階でほかの選択肢とつきあわせてよく検討することが望まれます。そういうことを考えていれば、じゃあ、いろんな面から、出来合いのもので仕方ないとなったときにも、短所を自覚することができるわけで。何でもブログにすればいいってもんじゃないよっていうのは、最近もどっかで新しく立ち上げたものを見て、どれだけ考えたのかなって私なんかは心配になるんですけどね。

ふぇみにすとの論考のコメント欄でコメントが付いているコメント欄の問題については、もし私がああいう運動体のウェブ担当だったら、コメント欄を解放するとなったら事前にきちんと方針を決めて、あとは管理するものに全部任せるという形でなければ引き受けたくないと思います。記事を書いた人がそのエントリのコメント欄を個別に管理できるようなシステムだったら別の可能性もあるけど、そうじゃなかったら。どっちにしても基準くらいは決めないといけないですね。

それから、この機会に一つ言っておきたいことは、社会運動に携わる人たちは、フリーソフトウェア運動やオープンソース開発モデルから盗むものがたくさんあるということ。フリー/オープンソースソフトウェアの開発者ほどインターネットを上手に使って世の中を変えてきた人たちは居ません。特にこの分野の中心とも言える Linux カーネルのプロジェクト運営の経験は示唆に富むものがあります。この前も、Open Tech Press に Torvalds氏はどのように批判に対処しているのかっていう記事が載ってて、これなんかは今回の話題にも通じてくる内容なんだけども、繋がるべきものが未だ十分に繋がっていないと思っています。

また、ウェブパブリッシングプラットフォームとしてのブログという形態は、個人メディアとマスメディアの間にあるべき、いわば「同人メディア」に向いた大きい可能性があるが、現在のブログ界ではそれが活かされていません。一般的なブログサービスは個人向けに照準していて、運動体などにはもう少し違うものが必要になるはずです。もうこれは議論っていうより、とりあえず今、集団でブログを運営する場合の一歩進んだモデルケースのようなものが要求されてるんじゃないかと思うんだけども、実際にそういうものを動かしながら模索してみればいいんじゃないでしょうか。このあたりは私も強い関心を持っています。