fightback.exblog.jp に8月31日まで存在していたファイトバックの会のブログが破綻に至った経緯などについて、この9月に入ってから山口智美さんが精力的に記事を執筆しておられます。8月末時点での状況から私もひどく勘違いしていたところがあったかもしれませんが、それにしても「ちょっとありえないだろ」と思うような事実が出てきて驚かされております。また一連の記事の中でブログの閉鎖までのいきさつも一通り記述があったと思いますので、ここでは一般論的なことも交えつつ再度そのあたりの問題について考えてみます。
まず、基本的な認識として、ウェブページはウェブに公開されるとき、その発信者がここと定めた場所に置かれることによって、その URL がウェブ上においてその文書を意味付けする最初の文脈になります。
そして、ウェブページは複製されて読まれます。読者がウェブブラウザを操作してページを要求すれば、ウェブサーバから転送されたデータがクライアトマシンのワークメモリ上に複製されます。それと同時に、多くの場合でウェブブラウザが管理する一時的なキャッシュがローカルディスクに保存されます。また、Google のような検索サービスや、Web Archive などはウェブに閲覧可能な形で複製を保存します。サイトがフィードを配信している場合は、フィードリーダも記事の複製を保存します。
早合点しないでもらいたいのですが、「複製されて読まれる」のは新聞紙や雑誌・書籍などの印刷物も同じです。ただ、印刷物の場合、一度出版されて読者の手に渡った記事そのものを修正したり、そこに謝罪文を加えることは困難です。定期刊行物の新しい号に訂正を入れても、もとの記事はそのまま残ります。ウェブページの場合、記事そのものを訂正できるのは利点として捉えて欲しいと思います。
ところで、木簡や竹簡の時代に、文字の誤りを小刀で削って修正することを「刊謬」と言ったそうです。木簡は厚みの限り直すことができたように、ウェブページも「刊謬」することができます。かつて本を読むためにそれが置いてある場所へ出かけたのに似て、いま私たちはウェブページを読もうとする度に原本の新しい複製をそれが置いてあるサーバに要求します。書を著すということの在り方が時の流れの中で大きく一回りしたのかもしれません。
そこで、ブログに掲載した記事に問題があった場合の対処として、私が想定してきた「刊謬」の考え方を、以下にまとめてみます。
もとの記事に手を加え、訂正する。同じ URL に訂正後の記事を置くことで、各種のキャッシュを上書きし、実質的な効果を期待する。また、システム的に可能な場合はエントリの日付を更新してトップページに上がるようにするか、別の新しいエントリで過去の記事に訂正を入れたことを知らせることも検討する。
何らかの理由により部分的な訂正ができない場合は、その記事を削除する。ただし、この場合でもエントリ自体は消去せず、内容だけを削除し、その記事を削除した旨を記入する。別に訂正理由、謝罪などのために新しいエントリを作った場合は、そのエントリへのリンクも記入する。これは、エントリ自体を消してしまうと、もとの記事のキャッシュだけがそのまま残ってしまうおそれがあるためと、削除したという証拠を明示的に残すため。
やむをえず問題のエントリ自体を消去しなければならない場合は、別の新しいエントリに訂正記事を掲載する。定期的な読者にきちんと情報を伝え、他の読者にも情報の追跡可能性をできるだけ確実に残す。特に、システム上一度削除したエントリの URL を再利用できない場合は、不可逆の変更を加えることになるので、慎重に判断する。
ここにおいて、ウェブページはいかに参照されうるのか、人はいかにしてあるウェブページに辿り着きうるのか、ということを私は考えます。後を善くするためといっても、かつてその記事が存在していた URL を無意味なものにしてしまうのは、上策ではないというのが私の考えです。
しかし、ファイトバックの会の場合は、適切な運営に必要な権限・責任・役割の分担がそもそも不適切であったことや、問題の性質、広がり方などから、サービスの契約名義人として山口智美さんが最終的にブログを閉鎖するという判断を下したことについて、いろいろと事情が伝えられた後のいまは妥当なものとして理解できます。
その上でなおそこへ至る最後の処方について検討しておきたいところがあります。この間の事情について、山口智美さんは以下のように記しています。
そこで、…、世話人用MLで「8月8日以降」の閉鎖の意思を表明した。本来は、世話人会の場で謝罪チームの方から、ブログ閉鎖について議題を出してもらおうと考えていたのだが、7月23日の世話人会もキャンセルになるという事態があり、次回の世話人会がいつになるかもわからず、このブログをいつまでも放置しておきたくもなかった。よって、MLでの告知ということになったのだ。
もし会のブログを続けたいのなら、ほかのレンタルスペースでも探して引っ越してくれと書いた。それによりニュー世話人側は8月8日に閉鎖されると思い込み、新ブログの宣伝活動を8月9日段階で盛大にしたと思われる。…、新ブログでは、旧ブログにおいて誹謗中傷問題が起き、それに対して会が謝罪したという事実が存在しなかったかのごとくに扱われる可能性が高いと思われた。…。謝罪の意志をしっかり表明するためにも、そして誹謗中傷エントリは一ヶ月以上にわたり更新され続けていたこともあり、少なくとも一定期間、謝罪記事が読者の目にはいる場所に置いておく必要があった。
こうした説明によって後から見ればわけはわかるのですが、7月12日付の『お詫び』から8月30日付の『ブログ閉鎖のお知らせ』、31日の閉鎖までの状況は、外から見る者にとっては意味がよくわからないものでした。簡単すぎるように思われた『お詫び』の掲載から更新が途絶え、『お詫び』の続きがあるのかどうか、裁判に関する情報の発信はどうなっているのか、ブログをどうするつもりなのか、何も伝えられない状況で、時間が経つほど却ってこの『お詫び』はいったい何なのかわからないものになってしまい、唐突な『閉鎖のお知らせ』から次の日にすぐブログを消してしまうという手際の良さは、むしろ印象を悪くするものではなかったかと思います。
ブログの閉鎖があまりに藪から棒であり、状況の確認に困難さをもたらすものと感じられたため、ファイトバックの会ブログ終了のお知らせの初版のときに、私の立場では各種キャッシュにリンクせざるをえなかったというのがこちらの事情です。会のメーリングリストへ閉鎖を通告してから実行まで二ヶ月程訂正一月強あった(ファイトバックの会 謝罪問題まとめ@wiki - 謝罪問題の経過によると、7月の25日 エキサイトブログ契約解除を契約者YがMLで予告。
)にもかかわらず、ブログの方へは直前まで予告できない理由があったのでしょうか。言葉の意味が結局は文脈によって決まるものだとすれば、早めに閉鎖の予告を打ち、これによって『お詫び』の前後の文脈を確定しておけば、それそのままを正確に伝えるだけでなく、この内容次第ではあの『お詫び』であっても文面以上のものを読者に察してもらうこともできたのではないかと私は考えます。
ともあれ、問題の根はいつかは討覈されなければならなかったでしょうし、刊校を厭うのは停滞を招くものであり、現代においては停滞は後退と等しいことであるならば、実を刊刻して世に伝えることは、前に進むための脚を強くするものであると、私は明確に支持するものです。
yamtom 曰く、