前回から随分間が開いてしまったが、まったり続けますよ…

 さて今回は単発の企画であり、時間は限られていた。そこである部分の話題に時間が偏るのは避けたかったことで、特に過去の個別の事例の分析に入ると不用意に多くの時間を使ってしまうことにならないかということは心配していた。それは必要なものの一つである。考え方の経路、頭の使い方にはもっと多くの組み合わせがある。

 未来を見ながら生きるということは、答えのない謎かけを解き続けるようなものだとすれば、問いは過去にあり、答えだと思ったものも次の瞬間には問いかけになる。未来には何があるかわからないということはわかっている。

 既に存在を現したものはつかみやすい。その捉えやすさに拠りすぎると不足が生じる。不足を埋めようとして望むものを過去に投影すると歴史を歪めることになる。望むものは星のように遠くても、それに六分儀の片目を宛て、もう片方で歴史を水平に見て己の位置を決めたいと思う。

 次回に続く。