女性特有の課題への直面を契機として共感と連帯の意識を世界へと広げていく中で、「女の子」は自立し成熟した「女性」へと解放されていく。本書では、ジェンダーをめぐる今日的な課題に焦点を当てながら、日々の生活の共通体験を掘り起していく。
本書の中心主題は、ヒューマン・セクシュアリティは生物学的ルーツに強く結びついているという事である。脳とホルモンとの間にある生物学的機序を調べてみなければ、性的感情や性行動、男女の違い、あるいはゲイとストレートの違いを理解することはできないだろう。さらに、われわれのセクシュアリティを現状のように発展させてきた進化の力も理解する必要があるだろう。本書ではこれらの研究に関する事例について述べている。
男女をめぐるさまざまな意識が変わりはじめた七〇年代。歌謡曲もまた日本の音楽史のなかで、劇的に変化した時期だった。時代の空気に敏感に反応する流行歌には、男女の姿が徹底的に描きだされている。理想の恋愛像や親子像、既成の「男らしさ、女らしさ」とそれに代わる新しい価値観…。歌謡曲という大衆芸術は、今日にいかなる遺産を残したのか。阿久悠、松本隆、阿木燿子らの詩、ピンク・レディー、桑田佳祐、太田裕美らの歌を丹念に読みとき、男女間の変遷を掘りおこしていく。文学や社会学の領域をも超え、七〇年代を俯瞰する文化論としても読むことができるダイナミックな試み。
六年前、ジュディスはダンと泣く泣く別れた。彼女の継母の悪意に満ちた中傷のせいでダンの名誉に傷がつくのが耐えられなかったからだ。そして今、ジュディスは結婚することに決めた。彼女ももう二十五歳。意地の悪い継母と暮らす家を出るには、結婚するよりほかにない。しかし、相手にはぺてん師だという評判があった。彼女がおじから相続した莫大な遺産が目当てだと言う人もいる。そんな折、ダンが突然目の前に現れ、ジュディスは彼のことを思いきれていないのに気づいた。
宮崎駿が唯一「自分のため」の「個人的な映画」、-『紅の豚』を制作するに至った背景には、いったいなにがあるのだろうか?「千と千尋の神隠し」、「もののけ姫」、「天空の城ラピュタ」、「風の谷のナウシカ」に描写された色彩に視点をおいて、「紅の豚」をジェンダー論から考察する。
本書は、一貫して家族・夫婦臨床の現場に携わってきた著者の集大成ともいうべき技法指導書である。思春期・境界例の事例を交えて、初回面接と見立て、ロールシャッハ・テストを用いたアセスメントなど、日常臨床における治療のコツを詳しく解説している。さらに特筆すべきは、夫婦面接の事例を数多く取り上げ、ジェノグラムやロールシャッハ・フィードバック・セッション(RFBS)を駆使しての治療的取り組みを詳細に論じていることである。家族・夫婦療法面接を現場で実践するための優れた解説書である。
ジェンダーの理解は実践のなかにある。実践に内在する合理性を描きだす…“自由意志”対“決定論”の躓きを超えて意味秩序をとらえる社会学的記述の全て。
日本語教育の指導現場を公開。外国人に日本語を教えて30年になる著者が、初級、中級、上級それぞれの指導法を「授業展開例」「授業のポイント」などにフォーカスして実践的に解説しています。理論だけでは指導できない!実践の背後に確かな理論があるユニークな一冊です。
移民女性看護師の生活世界に迫る境界侵犯的エスノグラフィー。著者が10歳のとき、彼女の母親は、彼女と幼少の弟二人を心優しい夫の手に託し、看護師としての技能をいかすためにアメリカにわたった。そして、その二年後、四人は新天地で母親と合流することになる。本書は、この旅路の社会学的意味を明らかにするものである。
釈尊は、人は「生まれ」によって差別されてはならない、と説いた。視えない差別、ジェンダーの縛りに勇気をもってチャレンジする女性たちの切実な声をつたえる。
メディアは女性の味方なのか。いちじるしく多様化し発展するメディア状況とジェンダーの今日的関係を多角的に描き出す。