神々の手によって毎年、性転換が行なわれるトバー入江。人々は20歳で『最終性選択』を行なうまでに、どちらの性を選ぶか決めるのだ。今年、少年フリンは選択を前に悩んでいた。男か、女か?そして『最終性選択』前夜、彼の前に現われた謎の他所者は、男でも女でもない『中性』だった!入江には騒動が巻き起こり、フリンは彼の運命を大きく変える冒険に乗りだすことになる。俊英のユニークな発想が冴えわたる傑作SF。
年に一度の『最終性選択』前夜、入江に現われた『中性』は、昔この地を追放された人物だった。この帰還が入江にひきおこした動揺は、ついに殺人へと発展する。他所者とともに犯人の調査を進めるうち、フリンは自らの信念を揺るがすような問いに直面することになる。神々とはいったい何者なのか?答を求めて『最終性選択』の神殿にむかった彼を待ちうけていたのはあまりにも衝撃的な事件だった…謎と波瀾の冒険SF。
「音楽する」中で“性”はどのように語られ、意味づけられ、女性性・男性性に作用するのか。寮歌、歌謡曲の恋、漫画主題歌、アイドル、転身歌唱、ロックバンド、ファンetc.現場から考える。
労働市場の偏在、家族の育児・介護、キャリアの中断etc.-女性の社会進出には制約が依然として多い。福祉政策見直しの中で、税制はどのような影響を及ぼすのか。
平等幻想の影で作られる「女らしさ」。教室観察や進路希望のデータなどから見えてくる現実。男が主・女が従という「かくれたカリキュラム」の構造を解く。
毎日のなにげない暮らしーそこに、どんな健康体も持てあますほどの有害物質がひそんでいるとしたら?不安や恐怖といったマイナスの感情が、弱った免疫系をさらに追いつめます。頭が痛い、しょっちゅう風邪をひく、過敏性腸症候群、吹き出物、関節炎などの症状が出ることもあります。でも、大丈夫。本書のチェックリストに答えるだけで、有害物質の溜り具合がチェックでき、あなたに合った簡単な方法でライフスタイルを変えられるのです。
いつでもどこでも誰とでもコミュニケーションが容易にできる時代になったにもかかわらず、いくらコミュニケーションをしても、心が渇いている。誰とどれだけ話せばこの渇きは癒されるのか?その渇きの原因を、近代的合理主義の到達点である近代社会システムと、その根底に潜伏し、システムの再生産に努めるジェンダーに求める。モダニズム批判を大々的に繰り広げた近年のポストモダン思想と、ジェンダー学の成果を踏まえたうえでそれらをラディカルに再検討し、日常生活における“わたし”と“あなた”の現実的なコミュニケーションをいかにして再構築していくべきかを大胆に提起する。
ガーナの主要輸出産品であるココア(カカオ豆)は、そのほとんどがガーナ人農民による小規模経営によって生産されている。本書ではこの小農輸出作物生産の社会的諸側面の特徴を、ガーナ南部の三つのココア生産村での実態調査をもとに明らかにしようとした。実態調査および分析で注目したことは、個々の農民が土地や労働力などの資源にどのような権利を有しているのか、またそのような権利関係は土着の諸制度とどのように連関しているのか、という点である。さらに諸資源への権利関係と土着の制度とが、ココア生産に関与するさまざまな主体間に存在する権力関係とどのように結びついているのか、という点についても明らかにしようと試みた。
この国で第三世界の女性であるということ。フィリピン女性=セックス産業というイメージはどうして作られるのか。彼女たちの話す日本語はなぜ汚いといわれるのか。子供たちはなぜ母親の話す日本語を恥じるのか。在日フィリピン人女性と在日朝鮮人女性がディアスポラの視点から、言語、権力、差別、マイノリティ、ジェンダーを語り、多民族国家・日本の現実を描き出す。
女と男、女と女、男と男、そして子どもと親の幸せの関係とは。ジェンダーへの気づきと新しい価値観のひろがりをめざして。
天使のように繊細に、悪魔のように大胆に。男性によって独占されてきた哲学パラダイムへ女性からの挑戦。
本書は、一般教育の講義「ジェンダー論」のテキストブックとして編集したものである。これまで編者らの大学で女性学を担当してもらった人を中心に、個別のテーマ・問題について、どんな議論が展開され、どんな論点が深められなければならないかを書いてもらった。さまざまなテーマを私たちの日常生活にそくしてできるだけ具体的に考えることができるように心がけた。
女はやさしく、男は強い。このような男女差に対する意識はなぜ生まれ、どのようにして人びとの心のなかに定着するのか。人はいったん思いこむと、それに従って人を観察したり、ふさわしいようにふるまったりする。その思いこみ-ステレオタイプをキーワードに、法や制度を整えても、なぜ伝統的な性別分業社会は、人びとの意識の上からなくならないのかを、社会心理学の立場からときあかす。
女性の「内なる差異」の追究から共存的フェミニズムへの道をひらく。
性同一性障害者の性転換手術やセクハラをはじめセクシュアリティに関するさまざまな事柄が、これからの社会問題としてさらに深く問い直されている。本書は、アンドロジニー概念およびその測定尺度BSRIの提唱者であり、ジェンダーの心理学的研究の指導的理論家である著者が、人間社会の過去そして将来におけるジェンダーのありようをジェンダー・フリー社会の構築をその基に据え考察する。人間の認知のあり方のなかに潜む問題性を、その機能である「生物学至上主義」「男性中心主義」「ジェンダー両極化」の3つの“レンズ”として指摘し、個人がいかにジェンダー化されていくのかについて“文化化されたレンズ”理論へと展開していくとともに、現実的・実践的な問題にも言及していく。全米出版社協会による1993年度心理学部門the Best New Bookの栄誉に輝く書の訳出。
「生まれもった自分の身体は間違っている」という苦悩や、社会のなかで他人の好奇の目と闘わざるをえない状況-。それを救うために性同一性障害が医療の対象として認められたのは、日本ではつい最近のことだ。著者が女体から男体への性別再指定手術を受けて以来、第二の故郷となったサンフランシスコ。そこではトランスジェンダーたちが、自分のあるべき性で生きる喜びをかみしめつつ、支えあい、ヘイト・クライム(差別犯罪)と闘っている。本書は、同人誌「FTM日本」をはじめとする多くの文筆活動や講演活動が認められ、FTM(FEMALE TO MALE)全米会議で功労賞を受賞した著者のサンフランシスコ交友録である。性的少数派のプライドを示すシンボル、虹色の旗がはためく街が生き生きと描かれる。
本書の焦点は、セックスと政治経済の特定の関係、つまり、労働における性的分業である。それは社会の中で、性を基準としてどのように仕事が割り振られるかということである。性的分業は、単に仕事の区分だけではなく、男女に与えられる価値、地位、権力の差異でもある。それは経済的な分類であり、政治的な区分でもある。本書は、性的分業を社会生活の多様な局面や、都市や地方、家族や政府、資産取引、商業、テクノロジーというさまざまな形態において検討している。特に注意が向けられているのは、フィリピン女性の経験である。
ジェンダーの視点による初の国際関係論。大国、男性中心の歪んだジェンダー関係の中で作り上げられてきた「国際関係論」を根本的に問いなおす。国際家族計画連盟(IPPF:国際非政府組織)と国際労働機関(ILO:政府間国際組織)の歴史を検証し、国際的なジェンダー関係の未来を呈示。