本書ではジェンダーとセクシュアリティの混乱を整理した上で、現在のセクシュアリティ研究の最先端まで読者を導いていく。
ジェンダー/セクシュアリティとは、私たちの生の、いかなる局面への名付けなのだろうか。それはどのような装置のもとで稼働し、なにを私たちにもたらしたのだろうか。剥き出しになった私たちの生を、「生の政治化」という視角から捉え直し、それが可能にする新しい自己と共同性の在り方を考える。
どこの学校にもいるセクシュアルマイノリティの子どもたち。当事者の視点から「人権と共生の教育」に新たな一歩を刻む。
とても身近なことなのに、あまり語られないセクシュアリティ。性と身体に、もう一度向き合う。
日本では、1990年代末ごろから、性教育、「ジェンダーフリー」教育へのバッシングが強められ、さらに、格差社会の進行のなかで、子どもたちの学力格差の拡大が大きな問題となってきました。今回、これまでの調査を「ジェンダー・セクシュアリティと教育」に焦点化して刊行することにしたのは、このような日本の状況とは、まったく違う理念と施策のもとで、フィンランドのジェンダー平等の進展があり、子どもたちの高い学力が生み出されていることを、広く知ってもらいたいと切に考えたからです。
本企画では、明治期から戦後までの近代日本のセクシュアリティなどに関わる言説がどのように構築されてきたのかを展望し、考察できるように、埋もれていた重要な資料の発掘に心がけた。本書第1巻では、「通俗性欲学以前」とし、明治初期における欧米知識の積極的な摂取のなかで、身体や性に関わる知識が、造化機論としてどのように紹介されていたのかを検討した。
本企画では、明治期から戦後までの近代日本のセクシュアリティなどに関わる言説がどのように構築されてきたのかを展望し、考察できるように、埋もれていた重要な資料の発掘に心がけた。本書第4巻では、「生活における「性」への発言」とし、性の教育と、都市の性という主題を検討した。
本企画では、明治期から戦後までの近代日本のセクシュアリティなどに関わる言説がどのように構築されてきたのかを展望し、考察できるように、埋もれていた重要な資料の発掘に心がけた。本書第六巻では、『アンソロジー明治期の性言説をめぐって』とし、明治初期より明治末まで雑誌に発表された性言説に関する記事を集成した。
性教育、ジェンダー・フリー教育、家庭科教育を、共通にジェンダー/セクシュアリティの教育を受け持つ教育としてとらえ、バッシングの本質を明らかにし、それを乗り越えるジェンダー/セクシュアリティの教育の方向性を提案する。
本書はまず看護を学びはじめた学生が基本的人権としてのセクシュアリティの基礎知識および最新情報を学ぶことを最大の目的としている。その上でセクシュアリティを護り支える看護実践を事例検討によって学ぶことにある。次に、学生を教育・指導する教員と、病棟などの臨床でその実習指導にあたる臨床指導者をはじめとする看護婦(士)の、「このような学びをしてくる学生が病棟へ来るのだから、臨床でそれが生かされるような自分たちの性に対する認識を変えなくては…」のニーズに対応することを目的としている。
「セクシュアリル・オリエンテーション」という視点を中心にすえ、「何でもあり」をコンセプトに、現在、多様化の一途をたどっているセクシュアリティの深淵を垣間見るために、懇切丁寧に、時に主観的に、時に学問的に、時に教育的に書き連ねた斬新な「性」の入門書。
セクシュアリティ論の決定版。なぜ私たちはセクシュアリティに縛られているのか。さまざまなセクシュアリティが氾濫するなかで、これから私たちはどこへ向かえばいいのか。従来の表面的な性の言論を一蹴する、ポスト・フーコーの第一人者ジェフリー・ウィークスの名著が、ついに刊行。