本書は、西洋近代美術の歴史が記述・記録されるなかで強力に働いている規範に含まれる偏りを明らかにする論争の書であり、フェミニストによる文化研究の理論的提起として、すでに一種の古典の位置を獲得している。…本書の価値は、議論の緻密さと、変革を展望する著者のはっきりと闘う姿勢にある。
言語、精神分析、歴史、人類学etc.の学問体系をふまえ、20世紀批評を包括するフェミニズム文学批評または「差異」のつくり方。
第3巻は、環境や環境問題が人間の生活にどう関わるのか、環境破壊が生活にどのような打撃を与えてきたのか、それに対して、人間や社会の側がどのように生活を守り、環境を守ろうとしてきたのか、についての重要論攷を体系的に精選・抜粋し編集解題を付した。
他者との非暴力的な関係が政治のはじまりだ。ケアの倫理から政治的主体を根底的に覆し、傷つき依存する関係から社会を構想する、フェミニズム理論の到達点。
いま、フェミニズム再燃のとき!“戦後女性文学”の軌跡を辿る。敗戦後から1980年代末まで、近代の断絶と連続という複雑な時代を背景に、様々な生の可能性を、多様な表現で描出した女性文学の豊かな全容を検証する画期的な試み。
「父」を楽しませてやりなさいな。でも、彼の法に服従してはだめ。フェミニズム=「娘のテクスト」は「精神分析の聖典/正典/性典」=「父のテクスト」の内部に入り込み、解体し、未知なる生命を得る。交錯するテクスト間に渦まく欲望を味わい尽くし、精神分析とフェミニズム双方に新たな視座を拓くフェミニズム批評の到達点。
ポスト産業社会=“環境社会”実現のための社会改革の思想的方向性を提起する。
フェミニズムをまともに語り直すために。法を社会的差別の隠蔽装置とする短絡を戒め、法の役割を真剣に考える。安逸と独断のまどろみを衝く、法哲学の鋭鋒。
フェミニズム運動史・思想史の原点である第一波のダイナミックな展開を膨大な資料を駆使して追求する。その全体像の解明。
ハートマンの問題提起を受けて続けられた論争の記録。家父長制、資本制、そして社会主義フェミニズムとはなにか。
19世紀の第一波フェミニズムを起点に、女性たちの挑戦が3名の作家の作品から解き明かされる。ブロンテとハーディ、そして20世紀後期のマーガレット・ドラブルをも巻き込みながら、ヒロインの変貌が100年の流れの中で開示される。ドラブルは19世紀の伝統にこだわりながら、やがてその伝統から離脱する試みを行った。彼女が創作したヒロインとは?20世紀初頭のモダニズムと急進派フェミニズムに重要な役割を果たした雑誌『フリーウーマン』の考察をも盛り込んだ斬新な論考である。
女性が劣位に置かれている状況を変えてきた女性のなかには、品行方正ではない者がいた。危険な思想に傾く者も、暴力に訴える者さえもいた。たとえばキャロライン・ノートン。19世紀に困難な離婚裁判を戦い抜いて貴重な前例をつくった人物だが、「女性は、生まれながらにして男性に劣る」と考えていた。たとえばサフラジェットたち。女性の参政権獲得に欠かせない存在だったが、放火や爆破などのテロ行為に及ぶこともあった。たとえばマリー・ストープス。避妊の普及に尽力し多産に悩む多くの女性を救った彼女は、優生思想への関心を隠さなかった。しかしだからといって、その功績をなかったことにしてはいけない。逆に功績があるからといって、問題をなかったことにしてはいけない。歴史は、長所も短所もある一人ひとりの人間が、身近な不合理を少しずつ変えることでつくられてきた。「むずかしい女性」たちがつくってきたこうした歴史の複雑さを、イギリス気鋭のジャーナリスト、ヘレン・ルイスが余すことなく本書のなかに描き出す。イギリス女性史と現代社会の出来事とを自在に往還してあぶり出される問題は、女性だけではなく社会全体の問題であることが見えてくる。社会の不合理や理不尽に立ち向かうための、あたらしいフェミニズム史。
本書は、ヴィクトリア期から第一次大戦前夜にかけて、イギリスの中流階級女性が自らの法的・社会的・経済的・政治的地位の改善を求めて展開したフェミニズム運動の全体像を描き出す。
境界を越えた対話のために。西洋の女性が殴られると家庭内暴力といわれるのに、第三世界の女性が殴られるとなぜ文化のせいにされるのか。