フェミニストで魔女でもある筆者が、フランスのジャンヌ・ダルクやアイルランドのアリス・キットラーゆかりの地から、イタリア・ボローニャのタロット美術館、ロンドンのチェルシー薬草園、アメリカのセイラムまで、魔女狩りの歴史を持った土地を訪ね、魔女たちが辿った残酷な運命とその土地の現在を紹介し、「魔女狩り」とは何であったのかを明らかにする。
フェミニズムの歴史とは、「私たちとは誰なのか」を批判的に問うてきた歴史でもある。フェミニストとして語るあなたとは誰なのか。その語りはどんな場所からなされているのか。その語りからは誰が排除されているのか。「私たちが共にあること」はいかにして可能なのか。フェミニズムはもちろん一枚岩ではない。それでも、私にとってのフェミニズムとは、自己の、そして他者の“トラブル”に直面しながらその声に応答しようとしてきたフェミニズムである。ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』と、田中美津の「とり乱し」を架橋する、理論と実践の両面からの試み。
これからのジェンダー平等。社会理論としてのフェミニズムは、今まで何を成し遂げ、何が課題として残っているのか。第一人者が描く次の一歩。
生きる力が湧く、心にしみるー激動する時代を生き抜く糧となる賢人たちの肉声。
カルチュラル・スタディーズとフェミニズムの出会い。ふたりの思想家がポール・ギルロイの仲介のもと1996年のロンドンで対話した。フェミニズムとカルチュラル・スタディーズそれぞれの隆盛を担い、世界的知識人となったベル・フックスとスチュアート・ホール。ともに黒人のアカデミシャンでありながら、来歴と経験を大きく異にし世代も違う男女は、深く共感しながらも時に鋭く言葉を交わす。ジェンダー、人種、家父長制、アイデンティティ・ポリティクスなど、20世紀後半の社会状況を踏まえた議論の数々と、それらに自らの人生を重ねた繊細な語りは、四半世紀の時を超えて新鮮な発見とアクチュアリティをもたらす。
DV被害女性の支援活動を次世代に継承するために。日本で「DV」という言葉が普及した1990年代。日本初、当事者主体のシェルターの創設。全国ネットワーク化、「DV防止法」制定への働きかけ。そこには、シスターフッドが息づいていた。
フェミニズムは長らくジェンダー正義を追求してきたが、そこにはしばしば対立も伴った。私たち一人ひとりは、この歴史にいかなる「使い道」を見出すべきか。普遍的な定義に依拠しないフェミニズムズの探求へと誘う、グローバル・ヒストリーの新たな挑戦。
「分断」させられる社会を疑い、その乗り越え方を模索し、「ほどほどに、誰かとつながり、生き延びる」ための女性のこれからを提案して、フェミニズムの現場での活動と思索に基づいて女性のつながりのあり方の再考を求める評論。
正義論は家族やケアの問題にいかに応答しうるか。リベラル・フェミニズムの立場から法哲学の再構築に挑んだ先駆的著作。近年の展開を捉える2つの寄稿を新たに収録。
人類学、社会学、教育学、歴史学、心理学、文学などさまざまな視点から、オーストラリア社会における女性の地位を考察。
解放は女が創り出し、学ぶものである。フェミニズムの高揚を背景に活発な展開を見せるイギリスの女性教育の現状と問題点を報告。
ニューエイジとは、地球規模の模索する潮流の総称である。この潮流は西欧近代の行き詰まりを乗り越えようと、包括的な視点にたって人類史的なレベルにまでおよぶ根源的な転換を提案し、かつ実践している。そして、現在、各分野でポスト・モダンの本流として、この姿をあらわしはじめている。