昭和40年代にレコードで発売されたドキュメントのCDでの復刻版。芸人・小沢昭一の訪ね歩く芸人たちは記録しておかなければ忘れ去られるものばかり。真宗の節談説教のふし回しが狂言に似ていたり、ストリップに舞台人の魂を感じたり、芸のジャンルに垣根なし。すべての芸を志す者・舞台人は勉強になること、間違いなし。ただ、収納のことを考えると、上げ底のボックスはいかがなものか?★
メーテルリンクの同名の戯曲に基づく3人の作曲家の作品を収録。作曲家の強烈な個性が、同じ素材を全く別個の音楽世界に変容させてしまうことに改めて驚かされる。メータは各々の作品の特徴を踏まえ、持ち前の表現力で劇的性格を力強く描き出している。
圓朝の名作といわれる『牡丹灯籠』を圓生が再構成し、生真面目にテキストのようにじっくりと語っている。何とも粋な「梅にも春」の一節を出囃子に使い、さらに[2]では幽霊ものだけに『御札はがし』の出囃子・送り囃子には「青柳」を使っている。
圓生が三遊亭圓朝作の原本を借り受け、稽古を重ねて高座にかけた噺。画の師・菱川重信の若い妻に魅せられた弟子が、師の不在中に思いを遂げ深い仲になり、師の殺害を企てる。細やかな話芸・描写にスリルと笑いで引き込まれ、みごと仇討ちまで一気。
占いの名人白井左近から死の宣告を告げられた伊勢屋傳次郎は、その後施しにつとめたため、豪勢な葬式までやったが生き延び、身代を使い果たす。零落した傳次郎にその後ふたたび……という噺。こういう人情噺を語らせたら圓生の右に出る人はいないなあ。
これも圓朝の作品で、決して明るい噺ではないし、この2枚でもまだ“序”という長尺ものだが、聞き手をダレさせることなく一気に聴かせるところはさすが。ここでも登場人物の台詞廻しの巧さがリアリティを感じさせる。根津の廓の描写も見事なものだ。
レコード各社にまたがっていた名演を新編集でアンソロジーとしてまとめるシリーズの六代目圓生編。同時代の人気者、志ん生とは対照的に、実直でケレン味のない話芸で、古典落語を端正に演じ、昭和30〜40年代を通じて名演を残した。昭和48年3月9日に昭和天皇の前で口演したことで知られる十八番中の十八番が1の「お神酒徳利」。その直前1月の脂の乗った名演が収録されている。2の「一人酒盛」も酔いの描写に冴えを見せる大得意。怪談噺では4の「真景累ヶ渕」、5の「牡丹燈籠」といった大ネタを選出。語り口にベタついたところがないので、余計にひんやりとした怖さが引き立っている。また、大名人になってからもナンセンスな禁演噺をちょくちょく採り上げていて、その中からは2の「蛙茶番」、8の「錦の袈裟」が面白い。さらりと小気味が良くて、ベタな下品さが出ないので噺本来の魅力が無理なく伝わってくる。10の「寝床」、11の「小言幸兵衛」あたりはまさに落語のスタンダード。入門には持ってこいだろう。聞き慣れないタイトルの13の「寄席育ち」は圓生が自ら人生を語った随談。貴重な一編だ。15の「四宿の屁」、16の「艶笑小噺」あたりはボーナス・トラック的な収録のナンセンスな小咄だが、こういうオチも粋でいい。