冷戦の終結は、アメリカの最終的勝利なのか。アメリカの単独優位という世界の現状は、いつまで続くのか。EUの勃興などによる力の分散と、アメリカ国内での単独行動主義の台頭によって、「漂流する大国」となったアメリカ。アメリカ外交政策の旗手が、急速に多極化する世界の行く末を問い、二一世紀に向けたグランド・ストラテジーを提唱する。話題の書の待望の翻訳。
新任代理教師の倉沢は、放課後の部室で、生徒同士のレイプ現場に遭遇する。生徒会役員である冴木、今泉、松平の3人がレイプゲームを行っていたのだ。倉沢は、獲物の生徒を助けようと乗りこむが、かえって自らが獲物にされてしまう。3人の生徒に体中を弄ばれ、よってたかって輪姦された倉沢は、心では屈しまいと思いながらも体は快感に支配されてゆく。以来、校内で待ち伏せする冴木、今泉、松平から次々と陵辱を繰りかえされー。
宇宙はどんなふうに始まったのだろう?私たち人類はそれをずっと考え続けてきた。多くの民族の神話に、天地創造の物語がある。やがて人類は科学の力を得て、次々と宇宙を解明していく。「宇宙で遠くを見る」ということは、その昔の姿を見ることに他ならない。巨大な望遠鏡や人工衛星など、最新の観測技術を用いて星空を見上げれば、宇宙の遙かな過去が見えてくる。どう始まったのかがわかれば、いつどのように終わるのかも自ずとわかってくる。現在、人類は宇宙のことをどこまでわかっているのか?宇宙はこれからどうなっていくのだろう?いつか終わりを迎えるのか?宇宙に魅せられ、その過去と未来を旅する人々の物語。
十八年前の療養生活を終えた志穂子は二十四歳を迎えるまえの日に、生まれて初めて電車に乗った。病状に奇蹟をもたらすきっかけとなった一枚の絵葉書の差出人、梶井克也に会うためだった。しかし志穂子は、その人物にまったく心当りがないのだった。-そんな人が、なぜ、私に絵葉書などくれたのだろう。
『オズの魔法使い』を触媒にして時を越えて出会う孤独な人々の姿をファンタスティックに描く、書評子絶賛の話題作。
初めて訪れた、青春。「純粋培養」された志穂子は、ひとを愛する喜びと苦しみを知り、ひとりの女性として歩み始める…。生命の歓びを謳う、長篇ロマン。
死者たちの暮らす、名も無き街。ある者は赤い砂漠に呑まれ、ある者は桃の果肉に絡みとられ、誰一人として同じ道をたどらずやって来る。生きている者に記憶されている間だけ滞在できるというその場所で、人々は思い出に包まれ、穏やかに暮らしていた。だが、異変は少しずつ起こっていた。街全体が縮みはじめたのだ。その理由について、死者たちは口々に語る。生者の世界で新型ウィルスが蔓延しはじめたこと、人類が滅亡に向かっていること、そして、南極基地でただ一人取り残されたローラという女性についてー死者たちの語る話からほのみえてくる終わりゆく世界の姿とは…。
八木一夫とその仲間たちが1960年代に創めたオブジェ焼は、欧米を手本にしてきた日本文化の「近代」がその体裁を整える最後の段階に登場した前衛陶芸運動だった。ポスト・モダン化につれて、オブジェ焼もその歴史的役割を終えるはずだったが、どちらもまだ命脈を保っている。なぜ、「近代」は終わらないのか。その理由をオブジェ焼に探る。
1950年後半、高度経済成長期のニューヨーク郊外。理想のマイホームと、大企業の一員としての地位を得ながらも、現実からの逃避と、自由な人生を夢見る若き人びと。常識から逸脱できぬまま、心の声を押し殺すうちに生まれた暗雲が、しだいに幸せな家庭にも影を落としてゆく…。何不自由ない暮らしのなかで、心はなぜか不自由になっていった…。ふとしたきっかけで崩れてゆく「家族」という名の幻想を描いた物語。
2人の知的・詩的・素敵センスが豪華にコラボレーション!かわいくて不思議で面白い、めくるめく27篇。
手紙は左ページに示したように前文から始まって後付けで終わるのが基本です。この基本を守れば、誰でも整った手紙が書けるものです。本書では、第1章で月ごとの季節感あふれる前文の3行と末文の3行の文例をあげています。第2章では日々の生活で起こる出来事や行事などのシーン別に、前文やそれに続く主文(本題)の3行と末文の3行の文例をあげています。