いわゆる孫子の兵法という書物が存在していることだけは、現代日本人は誰でも知っているだろう。二千数百年前の呉の国に起源を持つとされるこの書は、古代から唐土の名著をふんだんに吸収してきた日本においても、当然ながら読み継がれてきた。『孫子』は、戦争はできるだけ避けるべきこと、やむを得ないときは速やかに終らせるべきことを説き、その方法を記している。まずその冒頭において孫子は、戦争計画の重要さについて述べている。

これは全く当然のことで、戦争を始めるにあたって、彼我の軍事能力の差を計算し、また何を以て成功とするのか、あるいはどうなったら失敗と見なして切り上げるのかが明確でなければ、出兵は長引き、戦費は国を傾け、失われる人命は増えていく。それは最近のアメリカが起こした戦争を見ても分るのだから、古代から現代まで通用する戦争の原理と言っても差し支えないだろう。

さて昭和の日本が起こした戦争について、その計画のまずさはすでに指摘されている。『孫子』に書かれているようなことは、秀吉はともかく筋のいい武士には常識的な教養だったはずで、なぜその知恵が維新からわずかの間に軍部から失われてしまったのだろう。二千年以上前から分っていたことをなぜ活かせなかったのか。そして戦後66年経った今日においても、果たしてその失が埋められているかどうか。

実際には近世までに築かれたものを基礎として近代日本社会は成立したのであって、尊皇攘夷や大政奉還は体制転換を実現するための一種の社会的フィクションだったが、それが思想の上では武家時代の価値を否定することに繋がった。それはすでに過去のことのように思われているかもしれないが、今でも武家時代の政治や軍事の経験から学べることを軽んじるところがあり、そのために社会の実体と政治や知識の不整合を引き起こしているのではないか。考えてみたいことがある。