龍神は蛇神をより神秘化したものであり、その有力な起源はおそらく長江流域にある。蛇はとぐろを巻くことや脱皮するさまから再生力の象徴であり、またそのくねる姿から水や雷とも関連付けられ、水耕の稔りの神とも見なされた。このように蛇神は、農村や漁村において、今年の稲の実りといった身近な願いを託す存在だった。

しかし文明化がすすみ、都市に暮す富裕層があらわれると、彼らは不老長寿や長宜子孫といった遠大な望みを抱くようになった。彼らはよりありがたそうなものを求めてもいたので、蛇神に尾鰭を付けて龍神を想像し、角を生やし毛を伸ばし、ついには手足まで加えた。龍神の姿を絵画や彫像に作る段になると、彼らは蛇の実際をよく知る機会がすでになかったので、その細部を精密にするために馬や犬といった手近な動物に範をとり、はなはだしいものにいたっては、両眼が正面を向くこと、まるで人類のごとくになった。龍の造形が地域によって異なる傾向を持つのも、それぞれの土地にいる動物の種類が違うことによるのである。

龍の場合のように、よくわからないもをかたどろうとするとき、卑近なものによって埋め合わせをすることは、別に古代にだけあったのではなく、現代にもありふれている。例えば、よく知らない人物について語ろうとして、よくても彼がどんな友人とつきあっているか示すことになり、わるくすると彼がどんな内面をもっているか明かすことになるのは、全くやむをえない形勢によってそうなるのである。これを辰年のいましめとし、忘れることのないようにしたいものだ。