11月4日に米カリフォルニア州で同性婚を禁止する州憲法改案が住民投票にかけられ、52%強の賛成多数で可決された。ふと思ってみるのだが、もし日本で法的婚姻に係る性別の決まりについて国民投票が実施されるか、あるいはそういったことが政治的日程に上がってきたときに、私はどういう態度をとるだろうか。
 この議論には二つの争点がある、としてみる。一つは法制度としての結婚を同性の両人にも認めるか、とうことであり、もう一つは逆に、そもそも結婚を法制度に組み込む必要があるのか、ということになる。
 私はここに、結婚は法によって規定される必要はないのではないか、と疑う。婚姻の状態にあるかどうかで法的扱いを変える必要は果たしてどのくらいあるのだろうか。これは別に文化的社会的習慣としての結婚に言及するのではない。
 そこで、もし同性婚を認めるかどうかが国民的議論にかけられようとするならば、私はまず法的婚姻という制度の是非について先に考えたらよいのではないかと思うだろう。しかし、既に話ができて事が進むならば、動き出したものを敢えて止めようとは思わない。その時は同性婚を認める方に明らかに賛成するだろう。
 これは矛盾ではないかと言われるかもしれない。しかし、矛盾の故事は売り文句の観念的であることについて伝えているのだが、矛と盾は本来両手に持つものである。ただ右手に矛を、左手に盾を持って局面によって使い分けるというだけのことだと思っている。
 物事には出来るときと出来ないときがある。ある時局には結局その時に出来るだけのものしか出来ない。何処で見切りをつけるか、どうやって次の潮目に繋いでいくかが努力と工夫のしどころなんだろう。