グローバル化と研究の細分化の中で、いまや大きな転換期を迎えつつあるジェンダー人類学-その膨大な蓄積を整理し、問題点と可能性を探る。本書は、今後のすべての議論の出発点である。
身近にあるけれど気づきにくい“ジェンダー”。おもちゃ、物語、エイジング、精神疾患、デートDV、母娘関係、キャリア・デザイン、家事、結婚…様々なトピックスについて実習をとおして学ぶ。
精神医学的対応が混乱していた1980年代から性的マイノリティの心の問題に取り組んできた先駆者が、LGBTに対する正しい理解への道を切り開く一方で、性的問題行動に対する治療中心の対応の必要性を説く。30年余にわたりLGBTや性嗜好障碍者の内面の苦悩に向き合ってきた臨床家による多角的考察。
歴史のなかで女と男の関係はどう変わっていったのか。古代から現代、未来へ。小・中学生向き。
文学はどのようにして「男の仕事」となったのか。日本近代文学の自立過程は、そのジェンダー化のプロセスでもあった。ホモソーシャルな読者共同体の成立にいたる転換を鮮やかに描き出すとともに、そこにおける漱石テクストの振る舞いを精緻に分析。
本書では、トラウマとジェンダーが重なる問題として、対人的なトラウマ、それも親密な関係における長期反復的なトラウマであるドメスティック・バイオレンスや性暴力、児童虐待の事例を数多く取り上げ、議論しているが、これらは社会的にも対応に危急を要するテーマでもある。臨床にすぐ役立つ、ジェンダー・センシティブなアプローチの要点を提示し、さらに、臨床現場にトラウマとジェンダーの視点をとり入れることで、具体的にクライエントの何を見、どのような働きかけをし、どんなことに気を配るかを事例検討で明らかにしている。
少年少女雑誌の分析を通じて、近代日本における「少女」という表象の成立とその受容過程を解明する。
大日本帝国「臣民」/日本国憲法下の「国民」概念及び植民地教育に現れた民族・階級・ジェンダーの関係性、また「慰安婦」制度・公娼制度に現れた女性の身体とその言説に現れた民族・階級・ジェンダーの関係性、さらに1990年代の「慰安婦」問題解決運動を取りまく日本社会や韓国社会に現れた継続する植民地主義とジェンダーの関係性を分析したものである。
日本の性別分業意識が途上国から女性の人身取引を引き寄せ、世界貿易機関の協定が途上国の女性のエイズ被害を深刻化させる。ジェンダー格差に根差す複合的な不公正は、地球の持続性にとって最大の脅威である。より公正なグローバル・コミュニティの構築に向けて、経済学、政治学、文化人類学、社会学、国際関係論、国際法学が扉を開く。
多様性を承認する寛容な社会。はたしてそれは本当に実現したのか。(ネオ)リベラリズムとフェミニズムはどのような関係を切り結ぶのか。21世紀の現在から、ジェンダーの自由とジェンダーの規範を再考する。
「もう一つの日本時代」を提起することは、告発でもなく、糾弾でもない。戦後日台の民間交流の中で、築き上げてきた信頼関係があるからこそ、これからも過去の歴史に向き合い、理解を深めるという、本当の意味での和解が実現できると信じている(「はしがき」より)。台湾を知るための新しい社会史。
フセイン政権から女性を「解放」し民主化の実現を掲げたアメリカ主導のイラク戦争から十数年、戦争によってイラク女性は「解放」されたのだろうか。占領統治の女性政策、「民主的」選挙の実情、イスラーム主義勢力の宗派対立と女性の処遇など、様々な側面から女性を通して戦後イラクの実態を分析する。
オペラにおいて女性と男性が文化としてどのように表現されているか?歴史上のさまざまな時代に欲望と快楽は音楽でどのように構成されてきたか?音楽理論ではジェンダーを内包するメタファーがどのように行き渡っているか?ジェンダーとセクシュアリティの視点からひらく音楽学の新たな地平。
“ことばを使う行為”を通して、私たちはどのような女/男であろうとしているのか。“ことば…”はジェンダーの権力関係にどう左右されるのか/どう変革しているのか。ジェンダーに関するイメージ・規範・カテゴリーは“ことば…”によってどのように作り上げられ正当化され普及しているのか?研究史と最新の成果。