(少年たちの)ショッキングな事件は、特異ではあるが、決して一般の子どもたちと無縁な世界の出来事ではない。子供たちに今、何が起きているのか、どうすれば「生きる力」を育むことができるのか。何がそれを阻んでいるのか。取材班は、時代がもっともよく反映される「事件」の現場に入り、その「理由(わけ)」を探ることから、取材をスタートさせた。
「家庭」+「学校教育」+「社会システム」気鋭の精神科医が3つの観点から子どもの心理を映し出す。
本書は、小児・思春期精神医学の臨床で遭遇することのあるさまざまな症例を記載して、精神医学的面接に関するさまざまな技法を具体的に学ぶことができる。
本書では、生理的特性を中心に展開されてきた栄養管理にとどまらず、食糧難の時代から飽食の時代を迎え、生活習慣病が危惧される今日、生活習慣の現状と問題点についてどう対応していったらよいのか、あわせて栄養管理の観点から考えてみた。
児童虐待はあまりにも緊急的であり、かつ多くの人びとに対して破壊的である。そして保健婦や保育士、教師など子どもに関わるフィールドで働く人びとが、必ずといっていいほどしばしば巻き込まれる出来事である。こうした関係者は、虐待に対する基本的な関わり方を知らなくてはならないが、しかし、それぞれが単独ではとうていこの問題に取り組めない。積極的に協力・協調する関わり方を知った関係者が増えてゆかなくてはならないのである。ここで扱った事例にはいずれも多くの関係者が登場し、連携と協同作業によって虐待という難しい問題に取り組んでいる。
本書は、ほとんどの事例において具体的であり臨場感の伝わってくるものとなった。しかも、見事な成功例ばかりではないところも、本書の現実味を増している。「暴力」に対して各執筆者が忌憚なくそれぞれの場での実践を語っている本書は、暴力的な青少年に対処する際の参考になるものである。
本を読むことや文章を書くことが、子どもの成長とどのような関わりを持つかを考察した書。
思春期の身体と心の変化にふさわしい医療と教育を。思春期からの医療ガイド。身体的変化の実際、呼吸障害、摂食障害、栄養、てんかん、姿勢保持など。重症児施設での臨床経験をもつ医師と養護学校重症児学級の教師が、重症児の思春期からの介護環境、教育、福祉、医療サービスの課題を提起。
自らの持ちうる限りの方法を駆使して、それでもなお面前のクライエントの苦悩を改善できないとき、治療者はどういった方策に出ればいいのだろう。本書は、そうした中でも、思春期・青年期の困難事例に焦点を絞って、システム論の立場から執筆されたものである。
気管支喘息そのものの多くは死に至る病ではない。本人が自覚し、また治療が正しくおこなわれれば健常人とほとんどかわらない人生を送ることが可能になってきた。この点では喘息のQOLは一般的には高いといえる。しかし、QOLをさらに高めることは大切であり、今後の課題である。環境整備や空気清浄器や特殊寝具の解説もQOLの向上をめざしたものである。一方、QOLと不離不分の関係にあるのが、IC(Infomed Consent)である。患者や家族に病状を説明し、患者・家族の了解のもとに医療をおこなうことが今後は必須となるであろう。本書は、これらの事柄や方法について、いかに配慮し、いかに向上されるかなどを解説したものである。
思春期臨床は、精神疾患の患者のみを扱うわけではない。家庭や学校における青年の呈する幅広い問題行動を対象とする。これらの青年の問題行動は、欧米の診断基準に拠れば、人格障害、適応障害、行為障害等に診断されるが、著者はこれらをマニュアル的に診断するだけでなく、クライエント一人ひとりの個別性を重視したアプローチを展開する。また、青年と家族がどのような問題を抱え、何を求めているのか、そして、治療者が何を提供できるのか、何を提供するのが望ましいのか、著者は、思春期の心の臨床を実践する際の基本的視点と面接をすすめるにあたっての原則を平易な文章で述べる。さらに心理療法を行うことの効用と危険、学派を超えた本質的な常識、思春期臨床に携わる責任、個々の事例に柔軟に対応した技術、等が説かれ、多くの事例を通して初回面接から治療の山場・終結までの要諦、そして著者の考える「臨床家の精神療法」が明らかにされる。
「うちの子は背が低い」、「太ってきた」と感じ始めたときが大事。身長や体重は、子どもの成長や健康について多くのことを語っている。幼稚園に入る前から思春期前まで育ちざかりの子どもを持つお母さん、お父さんの必読書。