表象は、制度や社会システムといかに結びつき、どのように支配的言説を構成していくのか。世界のジェンダーのありようから浮かび上がる、近代という時代の性質。一橋大学リレー講義「ジェンダーから世界を読む」から生まれた、多彩な論考11編。
母乳育が女性に課した社会的活動の制約。妊娠と授乳・育児がいかにして女性を政治から締めだしたのか。ジェンダー・ヒエラルキーが形成されるに至った背景を生物学・人類学・進化心理学などさまざまなデータから解き明かし、女性の広い社会参加のための方法を模索。社会科学の分野で注目されることの無かった生物学的データの重要性を説き、より豊かなジェンダー理解と平等のための視点を提供する。
女性は違ったやり方で科学をするか?科学は公正中立か?教育の機会はジェンダー・フリーか?家事と育児は誰がするのか?数学にジェンダー・バイアスはかからないか?科学のフィールドから女性が排除される社会的・文化的背景を徹底的に洗いだし、ジェンダーの視点から新しい科学の可能性をさぐる。
労働の中のジェンダーを理論的・体系的に学べる変革の書(竹中恵美子講義録)。解決の扉は自動扉ではありません。どうすれば改革できるのか、その展望を切り拓く形で話をすすめました。
1930年代の植民地映画の特質をジェンダーの観点から探求。世界映画の歴史的・地政学的座標軸を設定し、植民地映画がナショナル・シネマとして形成される過程を浮上させる。ハリウッド映画との競合も視野に入れ、フランス植民地映画の系譜を辿るー“映画のアイデンティティ”をめぐる犀利な考察。
オリエンタリズム、ピクチャレスク、崇高美を縦糸に、階級、人種、ジェンダーを横糸に、女性の言説/表象が織り紡ぐ美学的光景が、トルコ、西インド諸島、ピクチャレスク庭園、革命期のパリ、北欧、スコットランドを舞台に、“近代-美学”を形成する政治的、社会的論理を浮き彫りにする。
権力はいかに言説のかたちをとって身体・精神・欲望を形成するのか。女と男の弁別が身体の自然に根ざすとする本質論的前提を根底的にくつがえしセクシュアリティ研究の方向を決定づけるフェミニズム・現代思想の最重要書。
本書は「ジェンダー研究が拓く地平」と題されているが、その意図は「ジェンダーの視点に立って、森羅万象に接近する場合、現実が新たにどのように見えてくるのか」を開拓的に検証しようとするものである。
年に一度の『最終性選択』前夜、入江に現われた『中性』は、昔この地を追放された人物だった。この帰還が入江にひきおこした動揺は、ついに殺人へと発展する。他所者とともに犯人の調査を進めるうち、フリンは自らの信念を揺るがすような問いに直面することになる。神々とはいったい何者なのか?答を求めて『最終性選択』の神殿にむかった彼を待ちうけていたのはあまりにも衝撃的な事件だった…謎と波瀾の冒険SF。
本書では、個人の「生殖的な役割と社会的な役割との間にある絆が弱まってきているにも関わらず」両性の差異が発生・持続し、両性の行動に作用する現実を問題とし、この現実へ、個人の生得的な生物的事実を考慮しつつ、個人が生活していく社会的な文脈を重視し、ジェンダーからのアプローチを試みている。
「ジェンダー論とは、性を中心とした人権に関する学問である!」自分を抜きにしないで学ぶ、ユニークで画期的なジェンダー論。参加型の学びのために多くのチェックシートやワークを掲載。
いつでもどこでも誰とでもコミュニケーションが容易にできる時代になったにもかかわらず、いくらコミュニケーションをしても、心が渇いている。誰とどれだけ話せばこの渇きは癒されるのか?その渇きの原因を、近代的合理主義の到達点である近代社会システムと、その根底に潜伏し、システムの再生産に努めるジェンダーに求める。モダニズム批判を大々的に繰り広げた近年のポストモダン思想と、ジェンダー学の成果を踏まえたうえでそれらをラディカルに再検討し、日常生活における“わたし”と“あなた”の現実的なコミュニケーションをいかにして再構築していくべきかを大胆に提起する。
一人ひとりの個性を大切に育みあうことの大切さを、ジェンダー・フリーの視点で描く絵本。幼児・低学年向き。
神々の手によって毎年、性転換が行なわれるトバー入江。人々は20歳で『最終性選択』を行なうまでに、どちらの性を選ぶか決めるのだ。今年、少年フリンは選択を前に悩んでいた。男か、女か?そして『最終性選択』前夜、彼の前に現われた謎の他所者は、男でも女でもない『中性』だった!入江には騒動が巻き起こり、フリンは彼の運命を大きく変える冒険に乗りだすことになる。俊英のユニークな発想が冴えわたる傑作SF。