ジェンダーと労働の問題を理解するために、広く社会的な変化という視点に立って、従来の研究調査の成果を参考にしながら調査研究を実施した。もちろん、これまで述べたことを網羅的に扱うことは限られた条件のなかでは時間的にも物理的にも不可能である。そこで、本書ではその対象を、現在の日本を含め高度産業社会のなかで大部分を占める雇用労働者、特に現代社会で大きな役割を果たしている企業や病院組織の正規雇用労働者に的を絞った。そして、これからの社会の変化、企業組織の職場での男性と女性の関係や女性のもつ障害、女性の適性、および女性管理者の資質などを中心に、日本、アメリカ、およびオーストラリアでの調査を実施して、論理的かつ実証的に探ることを本研究調査は主要目的としている。そのために、本書は3部構成とした。
21世紀の先駆的役割を果たすべく日本フェミニズムの思想的課題をラジカルに問い直す。
新しい女性像を確立するために。女性史・女性学の成果。「女らしさ」とは何か、文化として形づくられた女性像を問い直し、男性中心の思考法を再検討する。
本書は、ジェンダー上の不平等な事象を多角的に取り上げ、いまだに女性差別がほとんどの社会で存続していることを、詳細なデータとその鋭い分析によって告発する。
本書は、ジェンダーを「男性」「女性」という二項対立の構造および/または、その関係性としてとらえ、各々の論考をすすめている。その理由は、人間のありようや社会現象を理解しようとする際に、近代の学問が、あまりにも「ジェンダー無視」であったことを反省し、批判し、その上で新たな分析手法を構築しようとする姿勢に充ちているからであるといえるだろう。
性別(ジェンダー)を越えて(トランスして)脱男性し、正常と異常の境界を越えて自己解放し、表層的現実から深層へ太古へ、夢・幻想・神秘の異世界へと越境を続けると?「男性学」の提唱者として知られる心理学者が、異端の知を結集し語る奇妙な冒険と文化論。
恵まれた経済条件、異文化中での子育ての軛、さらに日本人小社会特有の「保守的ジェンダー観」などの重積の中、女性自立の最先端国にありながら「伝統的主婦役割」を志向していた在米駐在員の意識は、ここ10年で一変した。昨今新たな装いで回帰してきた「専業主婦神話」「母親神話」に風穴を開け、女性問題に一石を投じる、著者積年の考察と実証的研究。
空想的な創造でありながら、同時に現実社会と対峙し批評するファンタジーという世界。作品を成立させるしくみである「男装の麗人」「戦う女性」「家族」を軸に、現実のジェンダー関係やセクシュアリティにとってのオルタナティブを読み解く。
「男性中心、上からの開発政策」から「女性による下からの開発」へ。「階級」と「ジェンダー」の二重の差別に苦しんできた女性に、「労働者」としての自分を発見させ、女性の主体化をうながした自営女性協会「SEWA」。そこでのフィールドワークから見えてくる女性のエンパワメントとその葛藤。
日本福祉国家のあり方を比較の観点から精査することが、本書の狙いであり、さらに90年代なかば以降の動向を踏まえて今後の進路が展望される。
本書が出版されたときにインドで最初、多くの批評家たちは著者が現代のインド社会の暗い面を映し出していると批評した。しかし著者はそうは思わなかった。イギリスで本書が出版されてから数カ月たったときに、インド政府は二〇〇一年の国勢調査を発表した。それまでにも男女の人口比率は大きくなっていたが、さらに多くの女性が死亡していた。全国的な統計によると、現在、インドでは男性人口よりも女性人口が六七〇〇万人ほど少ない。インドにいる活動家の友人たちはだんだんと大きな問題になっている女の新生児殺しは、小さい家族を唱道する政府の政策によってさらに悪化していると言う。伝統的・歴史的な理由で息子が好まれることが社会に深く浸透し、その結果、すぐに女児を中絶したり、殺したりする。さらに、ダウリーの要求が増大し、村人までが都市化し、娘を持つ親の負担や犠牲は増す一方である。私たちみんなが知っているように変化は非常にゆっくりしたものである。インドで、道のりは長い。前途は長いし、途中でたくさんの落とし穴があるかもしれない。しかし、歴史は途中で突然に劇的に予期しない変化が起ることを何度も示してきた。その意味で、あらゆることに可能性がある。