「LGBT」「多様性」理解のその先へ──
これからの時代のジェンダー/セクシュアリティを考えるための新教養、超入門編
女性や性的マイノリティは歴史の中でいかに闘い、どのような困難に直面したのか。想定されていなかった様々な“差異”に出会った時、そこに新たな連帯の可能性の領野が広がる──
あらゆる境界線を疑い、多様な性/生の在り方を問い直す
第1章 アメリカ独立宣言とリベラル・フェミニズム
第2章 1960 年代のアメリカと性革命
第3章 ラディカル・フェミニズムとレズビアン・フェミニズムの勃興
第4章 病気としての同性愛から抵抗へ
第5章 アイデンティティとプライド
第6章 エイズの流行
第7章 エイズ・アクティビズム
第8章 クィア・スタディーズの理論とその背景
第9章 同性婚と軍隊
第10章 性別を越境する
麻薬中毒者リーは、「触れあい」を求めて近づいた青年アラートンとともに究極のドラッグを探して、南米へと旅に出る…笑いに満ちた語り、ときに漂う喪失感。デビュー直後に執筆されながらも長らく封印され、発表後には大いに物議をかもした、せつない恋愛を描く自伝的小説。三十七年ぶりの改訳版(旧邦題「おかま」)。
クィア・スタディーズの現在地を知るためのシリーズ 創刊
「クィア」という視点で世界を眺めたときに、私たちは何に気がつき、誰と出会うのか。
「LGBT」「セクシュアル・マイノリティ」という言葉が
日本の文脈で広まっていった過程でとりこぼされてきた問題を掘り起こす試み。
序章 クィア・スタディーズとは何か
第1章 一九七〇年代以降の首都圏におけるレズビアン・コミュニティの形成と変容 [杉浦郁子]
集合的アイデンティティの意味づけ実践に着目して
第2章 クローゼットと寛容 [風間 孝]
府中青年の家裁判はなぜゲイ男性によって批判されたか
第3章 女性同性愛と男性同性愛、非対称の百年間 [前川直哉]
Column イスラエルの戦争犯罪に共犯する東京レインボープライドとわたしたち
[小野直子(フツーのLGBTをクィアする)]
第4章 コミュニティを再考する [菅野優香]
クィア・LGBT映画祭と情動の社会空間
第5章 教育実践学としてのクィア・ペダゴジーの意義 [渡辺大輔]
Column 学校でLGBTをどう扱うかー10年間の経緯と、これから [遠藤まめた]
第6章 クィアとキリスト教 [朝香知己]
パトリック・S・チェンによるクィア神学の試み
Column 同性愛の発見と発明ー米軍におけるセクシュアリティの歴史 [高内悠貴]
第7章 怒りの炎を噴く [エイミー・スエヨシ(佐々木 裕子訳)]
クィア史におけるアジア太平洋系アメリカ人のアクティビズムを記念して
Column 厳しい政治的条件下で手段を尽くして運動をすすめる中国のLGBT [遠山日出也]
時間ー空間をクィアする
「過去/現在/未来」「都会/地方」「大人/若者」--時間性と地理におけるこうした分析枠組み、あるいはそれを前提にしたヘゲモニックな「時間ー空間」モデルを、クィア、トランスジェンダーの身体・欲望・実践から読み換え、新たな「時間性モデル」を構築した、クィアスタディーズの到達点。
「大都市規範(メトロノーマティヴィティ)」「クィアな時間性」などの最重要概念を提示し、二〇〇〇年前後における文化理論の「時間論的転回」に、最も大きな影響を与えた画期的文献、待望の翻訳!
日本語版への序文 かつて、あるクィアな時間に
第1章 クィアな時間性とポストモダン地理学
第2章 ブランドン・アーカイヴ
第3章 ブランドンを失わずにいること
第4章 トランスジェンダーの目線
第5章 テクノトピアズーー現代美術においてトランスジェンダー身体を表象すること
第6章 おいたしちゃダメ! オースティン・パワーズとドラァグ・キングたち
第7章 あの匂いは? クィアな時間性とサブカルチャーの生
訳者あとがき
SNSで受けたトランスジェンダー排除発言への違和感をきっかけに「もっと知りたい」と取材を敢行。すべては「知ることから始まる」。
「社会にはびこる不寛容、不正義、ままならなさ。それらをつぶさに反映し、生きる身体の記録」--少年アヤ推薦!
「精神障害」の「性的マイノリティ/クィア」に立ちはだかる日常の壁。トラウマ、パートナーとの関係、そして就労・社会保障……。ぐったり寝ながら、逃げながら、「生活」と「社会」改善をめざしてつづられた、真剣で、たまに笑える日々の記録。
性的マイノリティ・メンタルヘルスの問題から社会をみるコミックエッセイ&インタビュー
まえがき
第1部 元気がない、生産性もない
第2部 精神障害と就労
第3部 寝たきりからの回復
あとがき
台湾は本当に「LGBTユートピア」なのか?
22人のマイノリティの語りに向き合い読み解かれる、
揺れ動く台湾の実相と、いくつもの〈性/生〉の「現在地」
「台湾のホモナショナリズムとは、共同体としての異性愛規範は維持しつつ、台湾をアジアにおいて例外的に「同性愛に寛容」な場とし、(…)国家・文化的な優位性を特徴付ける形で、同性愛者を国家に内包する言説」であると同時に「「台湾という存在自体」を維持することに寄与している」--(本書「おわりに」より)
序章 「台湾=LGBTユートピア」像の広がり
第1章 ホモナショナリズムはどのように語られてきたか
第2章 反婚視座をめぐるアンビバレンス
第3章 ナショナルプライドをめぐるアンビバレンス
第4章 「われわれ台湾」vs.「かれら中国」で見えなくなること
第5章 国際同性婚における「一國四制」と理想的移民像
終章 名もなき運動や声と共に
あとがき
最近よく見かける「LGBT」という言葉。メディアなどでも取り上げられ、この言葉からレズビアン、ゲイの当事者を思い浮かべる人も増えている。しかし、それはセクシュアルマイノリティのほんの一握りの姿に過ぎない。バイセクシュアルやトランスジェンダーについてはほとんど言及されず、それらの言葉ではくくることができない性のかたちがあることも見逃されている。「LGBT」を手掛かりとして、多様な性のありかたを知る方法を学ぶための一冊。
女の子にもなりたくないし、男の子にもなりたくない。
私はただ、自分自身でいたい。
クィア、ノンバイナリーのコミック作家マイア・コベイブの自叙伝。
自身の生い立ち。幼少期から思春期で過ごした環境、そして、青年期にかけてクィアをテーマにした音楽や漫画、ファンタジー作品と出会い、自身の性のあり方に向き合い出すことで、生まれた、気づき、葛藤、戸惑いを丁寧に描く。
ひとりの人間の、ありのままの記録。
2020年 アメリカ図書館協会 アレックス賞受賞
2020年 ストーンウォール図書賞名誉賞(ノンフィクション部門)受賞
「わたしたちのセクシュアリティ」と 自己変容の企み
レヴィナスはなにを規範とし、なにを不在にしたのか、そこにはなにが可能的に蠢いていたのか、そのテクストがいまクィアに/へ開かれていく。ジェンダークィアを生きる新進気鋭の著者によるまったく新しいレヴィナス論。
村上靖彦氏、藤高和輝氏推薦
クィア・シネマという「可能性の地平」に向かって
ジェンダーやセクシュアリティ、人種に対する規範や制度を問い直し、家族主義や都会主義に抗い、直線的な時間に逆らって歴史を書き直す。気鋭の研究者が照らし出すクィア・シネマの重層性。
アルフレッド・ヒッチコック、オードリー・ヘプバーン、ジュディ・ガーランド、グザヴィエ・ドラン、セリーヌ・シアマ、田中絹代、三池崇史、美輪明宏、原節子、高倉健……作家、スター、作品のみならず観客やコミュニティを縦横に論じる「雑種」で「不純」な映画論。
ジェンダーやセクシュアリティ、人種、コミュニティの規範や理想を強化し、教え込む教育的な役割も担ってきたシネマ(映画)。そこで生まれた「常識」や「当然」を疑うことによって、慣れ親しんできたアイデンティティやカテゴリーを問い直し、「異なる」欲望や「非規範」的な関係の可能性へと導くものこそがクィア・シネマである。直線的な時間に抗い歴史を書き直すその試みは、現在や現状を肯定することなく、可能性として存在し続ける「地平」だといえる。
4部構成による本書は、常識や当然に抗うクィア・シネマの「雑種」で「不純」なあり方を体現する。クィア・シネマの歴史や横断性、クィアの理論と歴史を俯瞰する第1部。ジュディ・ガーランドといった黄金期ハリウッドのスターから、グザヴィエ・ドランやセリーヌ・シアマといった近年の注目監督まで、アメリカおよびフランスのスターや映画作家、映画作品のわたしたちが知っているあり方とは「別」のあり方を提示する第2部。美輪明宏や原節子、高倉健といった映画スターたちと、そのファンやファンたちのコミュニティを取り上げ、雑種性が強く表れた日本映画を扱う第3部。そして、1970年代のフェミニスト映画運動や日本で開催されるクィア・LGBT映画祭を深く掘り下げ、映画とコミュニティの関係を地域性を絡めつつ論じる第4部が最後を飾る。作家論やスター論、作品論のみならず、観客論やコミュニティ論も入り混じり、クィア・シネマの射影の広さが感じられる構成になっている。
第1部のうちの2章と、黒人レズビアンをテーマにした初めての長編劇映画とされる『ウォーターメロン・ウーマン』を論じた章の計3本の書き下ろし論考を収録。また英語で発表した美輪明宏論と原節子論の邦訳も収められている。
編著や共著、雑誌などでクィア・シネマの可能性を日本に紹介してきた気鋭の映画研究者による待望の単著デビュー作。
わたしたちは、映画を通じてジェンダーやセクシュアリティ、人種の規範性や理想を「学び」、内面化してきた。映画はそれらを映し出すだけでなく、強化し、教え込む教育的な役割を担ってきたのである。クィア・シネマの役割のひとつは、そうした規範性や理想を学び捨てること、あるいは学び直すことである。わたしたちが知っているシネマのあり方とは別のシネマのあり方を想像させてくれる…
男性アイドルを好きなレズビアン、女性アイドルを愛するゲイ、BLと当事者性をめぐる探索、実在のアイドルで遊ぶ物語、フィクションにおけるトランス嫌悪、ボーイッシュな女性アイドルのかっこよさ…。H.O.T.のデビューから始まる第1世代、東方神起がアイドル文化を本格化した第2世代、EXOに代表される第3世代、BTSやBLACKPINKが牽引する第4世代。世界とアジアと韓国のK-POP受容を読み解きながら、性別二元論ではなくクィアの視点でK-POPの魅力を語る画期的論集。
クィア・スタディーズの現在地を知るためのシリーズ 第2巻
同性婚がゴールとされることで隠蔽されるものは何か。結婚制度の政治性をあぶりだし、異性愛主義的家族規範を問いなおす試み。
シリーズ:クィア・スタディーズをひらく(全3巻)
クィア・スタディーズをひらく 1 アイデンティティ, コミュニティ, スペース(既刊)
クィア・スタディーズをひらく 3 健康/病、障害(ディスアビリティ)、身体
はじめに
第1章 国勢調査と同性カップル世帯 [釜野さおり]
排除と可視化のはざまで
はじめに
1 海外の人口センサスにおける同性カップル世帯
2 日本の国勢調査と同性カップル世帯
3 同性カップルは国勢調査にどう答えるかー聞き取り調査から
4 同性カップル世帯の扱いをめぐって
おわりにークィア方法論の視点から
Column 人権を守るのは誰か [谷口洋幸]
第2章 ようこそ、ゲイ ・ フレンドリーな街へ [清水晶子]
スペースとセクシュアル ・ マイノリティ
1 プライバシー・イン・パブリック
2 ヘテロ・スペースのクィアな占拠
3 エキゾチック・ゲイ・タウン
4 スペースなき多様性
Column アジアにおけるクィア・スタディーズの発展とその背景ー台湾の事例から [福永玄弥]
第3章 女性同士の《結婚》 [赤枝香奈子]
はじめに
1 結婚の重層性
2 雑誌記事に見る女性同士の結婚
3 法律婚としての同性婚を求める動き
おわりに
第4章 忘れられた欲望と生存 [志田哲之]
同性婚がおきざりにするもの
はじめに
1 性的少数者の誕生と社会運動のはじまり
2 家族への道と「日々の社会的実験」
3 「性の多様性」の欺瞞ー欲望とラディカリズムの忘却
おわりにー連帯の不可能性と模索
Column セックスワークとクィア [宮田りりぃ]
第5章 結婚制度の政治性と同性婚 [菊地夏野]
同性婚によって正当化される結婚制度
はじめに
1 同性婚・同性パートナーシップをめぐる現状
2 同性愛者解放運動の理論的位置づけ
3 結婚制度の政治性と構造
4 新自由主義による結婚の変質と同性婚の関連性
5 可視化と隠蔽
おわりに
第6章 天皇制とジェンダー/セクシュアリティ [堀江有里]
国家のイデオロギー装置とクィアな読解可能性
はじめにー時の支配と天皇制
1 皇位継承とジェンダー役割
2 国民統合のイデオロギー装置の構築
3 〈レズビアン存在=反天皇制〉の理念的可能性
おわりにー今後の課題
Column クィアコミュニティと性暴力 [岡田実穂]
第7章 家族の物語からのクィアな逸脱 [長山智香子]
角田光代『八日目の蝉』にみる時間と空間
はじめに
1 作品の概要
2 ラブホテルで作られる母子の絆
3 がらんどうの空間と身体
4 過去想起と妊娠、ジグザグな時間
おわりに
Column セクシュアル・マイノリティと地域 [宇佐美翔子]
クィア・スタディーズの現在地を知るためのシリーズ 第3巻
エイズ問題を発端として登場したクィア・スタディーズと障害学が出会い、
新たにひらかれる議論とは?
わたしたちの身体が他者と出会える知の形成のために
シリーズ:クィア・スタディーズをひらく(全3巻)
クィア・スタディーズをひらく 1 アイデンティティ, コミュニティ, スペース(既刊)
クィア・スタディーズをひらく 2 結婚, 家族, 労働(既刊)
シリーズ刊行に当たって
はじめに
第1章 「双性の巫人」という過去の身体を読む [光本 順]
はじめに
1 種子島広田遺跡と「双性の巫人」説
2 双性の巫人説に対する考古学的評価
3 クィア考古学的再検討
4 クィアな過去の現在性
おわりに
第2章 語りを掘り起こす [藤高和輝]
トランスの物質性とその抹消に抗する語り
はじめに
1 物質性の隘路(1) --「選ぶ主体」としてのトランス
2 物質性の隘路(2) --領有されるトランスの身体
3 物質性の語り
おわりにーー物質性の「優先順位」に抗して
第3章 障害女性の介助を経験するなかで考えてきたこと [瀬山紀子]
はじめにーー介助者=障害がある人の「普通の人生」にとっての重要なファクター
1 介助への関わり
2 二者関係にとどまらない介助
3 ある日の介助場面
4 にぎやかなトイレ
5 やっかいな月経と付き合う
おわりにーー隔たりを自覚しながら
第4章 「見えない」障害のカミングアウトはなぜ難しいのか? [飯野由里子]
1 「見えない」障害のカミングアウト
2 カミングアウトの諸相
3 カミングアウトを困難にするもの
4 困難を解消するための方法とその問題
Column 災害とジェンダー・セクシュアリティ [山下 梓]
第5章 「残酷児」
台湾における障害のある性的少数者の実践 [欧陽珊珊]
はじめに
1 不可視化された障害のある性的少数者
2 「残酷児」とは何か?
3 コミュニティの形成
4 マイノリティ運動への参加
おわりに
Column 「ろう者」と「LGBTQ」 [山本芙由美]
第6章 差異とつながりと攪乱の暴力[黒岩裕市]
藤野千夜『少年と少女のポルカ』と「クィア」
はじめに
1 差異とつながり
2 つながりの差異
3 侮蔑語の価値転覆と攪乱の暴力
おわりに
第7章 エイズをめぐる表象のポリティクス [河口和也]
映画『ゼロ・ペイシェンス』を読む
はじめに
1 クィア理論とHIV/エイズ
2 映画『ゼロ・ペイシェンス』をクィア理論で読む
3 表象をめぐるポリティクス=文化
4 さまざまな境界の侵犯
おわりに
Column 性的マイノリティにおけるいじめ・自殺をめぐる問題 [明智カイト]
第8章 フレキシブルな身体 [井芹真紀子]
クィア・ネガティヴィティと強制的な健常性
はじめに
1 ネオリベラリズムと多元主義への批判
2 否定性(ネガティヴィティ)の称揚という抵抗
3 エイズ危機と〈身体〉の境界
おわりに
〈もはや自由と民主主義が両立するとは思っていない。自由至上主義者が取り組むべき大仕事は、あらゆる形態の政治から逃れる方法を見つけることだ〉。テック業界の世界的な大立者で、リバタリアンとしても有名なピーター・ティールは、民主主義なき資本主義という夢をこうぶち上げた。
だが、大仕事に着手したのは彼ではない。共産党支配の中国の沿岸で、徹底的な市場原理に基づいて経営される香港。完全な経済的自由を実現し、民主主義的に不完全なこの「ゾーン」を、新自由主義の偶像ミルトン・フリードマンは絶賛した。新自由主義知識人らは、香港をテンプレートとして、ゾーンを世界中に広めることを夢見た。
この夢想は、タックスヘイブン、自由港、経済特区など、さまざまな姿をとった。既存国家の規制から自由な海上都市というSF的構想すら真剣に取り組まれている。ロンドン、シンガポール、南アフリカ、米国、未承認国家ソマリランド、ドバイ、メタバース……実験場は世界各地に及ぶ。
「低能な多数者の専制」を脱出し、ゾーンを建設したいという願望は、低能とされた人種からの隔離主義や21世紀版植民地主義にしばしば結びつく。テック右派に影響を及ぼすカーティス・ヤービンは、シリコンバレーによるホンジュラスでのゾーン建設構想を〈非欧州人は欧州人に支配されていたときのほうが豊かだった〉と絶賛した。
新自由主義研究の画期を成した歴史家が、急進的市場主義者の夢想と実践を追跡する。
はじめに 崩れ去る世界地図
I 小さな島々の物語
1 世界にもっと香港を
2 ロンドン──美しき廃墟
3 シンガポール方式
II 部族(フュレー)化する世界
4 リバタリアン流のバントゥースタン
5 素晴らしき「国家の死」
6 米国──「新たな中世」のコスプレ族
7 株式会社リヒテンシュタイン
III フランチャイズ国家
8 ソマリ白人のビジネス族
9 ドバイ──法律のバブルドーム
10 ホンジュラス──シリコンバレーの植民計画
11 メタバースのクラウド国
結論 水になれ
謝辞
訳者あとがき
索引
原注
偏見に立ち向かった56人のLGBTヒーローを未来の子供たちに伝えるピクチャーズBOOK。
フレディ・マーキュリー、ナブラチロワ、美輪明宏などの文化に多大な貢献をしたLGBTアーティスト、作家、イノベーター、アスリート、活動家の感動的なストーリー。
LGBTQの歴史における感動的な人物のコレクションについてもっと知りたい人に最適な一冊です。
「奇妙な」「風変わりな」といった意味をもつクィア(Queer)。性的マイノリティたちが、自分たちを指し示す言葉として用いてきた。
民俗学の視点で、LGBTと呼ばれる人びとの日常的な営みを捉える七つの論考集。
◇第一部 民俗学史からクィアを考える
第一章 日本民俗学クィア研究史(辻本侑生)
第二章 南方熊楠と岩田準一の「男色談義」(辻 晶子)
コラム1 『異態習俗考』--クィア民俗学の古典(島村恭則)
◇第二部 「いま・ここ」からクィアを見通す
第三章 大阪「LGBTの駆け込み寺」の実践(三上真央)
第四章 ゲイバレーボールチームの現代民俗学(辻本侑生)
第五章 長崎のマダムナンシー(大田由紀)
◇第三部 クィア民俗学の展開
第六章 性的マイノリティは差別を「笑い話」に変えるのか?(辻本侑生)
第七章 異類/婚姻/境界/類縁(廣田龍平)
コラム2 ディープ・フォークロアとクィア・アート(島村恭則)
◇第一部 民俗学史からクィアを考える
第一章 日本民俗学クィア研究史(辻本侑生)
一 知られざるクィア研究の系譜
二 北野博美ー日本民俗学におけるクィア研究の先駆者
三 鹿児島「男色」研究史
四 「男巫女」研究史
五 クィアの現代民俗学に向けて
第二章 南方熊楠と岩田準一の「男色談義」(辻 晶子)
一 南方熊楠と岩田準一の性民俗研究
二 「男色談議」の研究史
三 男色研究の発表媒体
四 民俗学と男色研究
五 「男色談議」のその後
コラム1 『異態習俗考』--クィア民俗学の古典(島村恭則)
◇第二部 「いま・ここ」からクィアを見通す
第三章 大阪「LGBTの駆け込み寺」の実践(三上真央)
一 性善寺と調査者(私)の関係
二 性善寺に集う人々
三 セクシュアリティを見つめる場
第四章 ゲイバレーボールチームの現代民俗学(辻本侑生)
一 性的マイノリティとスポーツサークル
二 スポーツサークルと民俗学
三 雑誌『薔薇族』にみるスポーツサークル
四 スポーツサークルから捉えるゲイコミュニティ
第五章 長崎のマダムナンシー(大田由紀)
一 マダム南支
二 華僑二世として長崎で生きる
三 落地生根
◇第三部 クィア民俗学の展開
第六章 性的マイノリティは差別を「笑い話」に変えるのか?(辻本侑生)
一 差別と笑い話
二 ハッシュタグと社会変革
三 事例分析
四 インターネット空間の多声性
第七章 異類/婚姻/境界/類縁(廣田龍平)
一 MCUのロキ、北欧神話のロキ
二 異類婚姻譚の概念をクィアにする
三 民間説話のクィア・リーディングによってできること
コラム2 ディープ・フォークロアとクィア・アート(島村恭則)
失敗や敗北のほうが、成功や勝利よりもはるかに創造的で驚異的だ! 『ファインディング・ニモ』『シュレック』といった傑作アニメから前衛アートまでを縦横に読み解き、資本主義と異性愛規範に支配された現代における「成功」の神話を解体する。バトラー以降のクイア理論を代表する批評家ハルバースタム、待望の初邦訳。
導 入 低俗理論
第一章 反乱のアニメ化と反乱するアニメーション
第二章 「この野郎、俺のファルスはどこだ?」--忘却、敗北、堂々巡り
第三章 失敗のクィアアート
第四章 シャドウ・フェミニズムーークィアな否定性とラディカルな受動性
第五章 「私のなかの殺人者は、あなたのなかの殺人者」--同性愛とファシズム
第六章 失敗を活性化するーーエンディング、逃れること、生き延びること
謝 辞
原 注
訳 注
訳者解題
参考文献
索 引
金井美恵子、村上春樹、田辺聖子、松浦理英子、多和田葉子の作品を、クィア批評や批評理論を縦横に組み合わせて読み解く。読者のアイデンティティをも揺さぶる「現代小説を読むことの可能性」を、小説表現とクィア批評の往還からあざやかに描き出す。
はじめに
第1章 金井美恵子「兎」--クィアとしての語り
1 危うい近親相姦願望
2 肉食と殺害に惑溺する少女
3 過剰な模倣のゆくえ
4 「少女」の物語から「私」の物語へ
第2章 村上春樹『ノルウェイの森』--語り/騙りの力
1 男同士の絆と女同士の絆
2 31と13
3 語る/騙る女
4 語られた/騙られた死
5 女性の欲望を読み直す
第3章 村上春樹「レキシントンの幽霊」--可能性としてのエイズ文学
1 不可解な孤独
2 眠りのあとで
3 パーティーに参加しない「僕」
4 記録と距離
第4章 村上春樹「七番目の男」--トラウマを語る男
1 「K」と「私」
2 男性性(ルビ:マスキュリニティ)の呪縛
3 「波」の出来事
4 トラウマの語り
5 「私たち」のセラピー的空間
第5章 田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」--ケアの倫理と読むことの倫理
1 ケアの倫理という思考方法
2 潜在化するニーズ
3 女性障害者の困難
4 ケアの倫理と読みの倫理
第6章 松浦理英子『犬身』--クィア、もしくは偽物の犬
1 ケアされる/ケアする犬
2 犬という伴侶種
3 被傷性とケアの倫理
4 クィアな身体
5 不穏なる暴力の気配
第7章 多和田葉子「献灯使」--未来主義の彼方へ
1 障害者的身体をめぐって
2 クィアな身体と反再生産的未来主義
3 献灯使という子ども騙し
4 可能性としてのケア
おわりに
初出一覧
あとがき
人名索引
事項索引
ジェンダーやセクシュアリティの規範性やカテゴリーの境界線を問い直す概念としての「クィア」は、LGBTブームのはるか以前から、映画文化を通じて日本に流入し、その地平を広げてきた。作品や表象のなかで、不可視化され、無視され、隠蔽されてきたものは何か。それらを「クィアなもの」としていかに再発見できるか。あつかう地域や新旧問わず、幅広い作品を様々な方法論で論じた本書は、クィアとシネマをめぐる思考と実践のアーカイヴである。