明治の初め、紀州田辺に一人の男が出生した。青雲のあつい志にもえて、試行錯誤のすえ、武道に活路を見出す。曲折した血涙の修行をつみ、合気道を創始した。以来、数々の他流の挑戦者をことごとく打ちやぶるー。無敗の境地に到達した男の、痛快波瀾の軌跡をいきいきと描いた武道一直線の大河長篇!
昭和初期に生れた男児、つまり昭和の“長男”たちは、ぼくは軍人大好きよ…と歌って大きくなった。幼いながらお国のために尽そうと頑張ったのだ。そんな長男のひとりである著者が、自分史を辿りつつ、激動と昏迷の時代を浮彫りにして“喉元過ぎて忘れた熱さ”を発掘、画期的なお父さんの昭和史を誕生させた。
満州帝国成立のころ、アマゾンにもう一つの王道楽土建設を夢みた日本人がいた。日本の開戦でその夢は潰えたが、以来、彼らは深くこの地に根を下し、アマゾン社会に溶けこむことになる。彼らを初めとする一万人のアマゾン日本人の足跡を辿りつつ、アマゾンの歴史、この地域での暮らし方のノウハウ等を紹介する本邦初めてのルポ。
移ろいゆく街をたゆたう様々な身すぎ世すぎ。人々の哀歓と人情の機微を東京の風物の中でやさしく描く名人芸の短篇集。
シュタイナーの芸術論!思考によって近づきえないものに近づくためには、人は芸術家にならねばならない。宇宙と人間、感覚と超感覚を結ぶ芸術創造の源泉を明かす!
人妻は告白したー夫の非道の行為を思うたび、私の中にモツアルトの曲が響き、快感が身をつらぬくのです…。心の深層をそっと見つめる10の作品。
女人への強い執着に苦しむ若き厩戸皇子。
蘇我馬子と対立する、皇太子の野望と挫折。
明治4年、参議広沢真臣が斬殺された事件の容疑者は逮捕されただけでも百名を越えたが、迷宮入りとなった。事件当時、木戸孝允犯人説の風評が広まったが、百年後、木戸孝允は有罪か無罪かの模擬裁判がひらかれた。興味ある歴史裁判を描く表題作ほか、「走狗」「女体蔵志」「塞翁の虹」など直木賞候補作3篇を含む歴史小説。
「源氏物語」には多くの恋文が登場する。手紙は男にとっても女にとっても教養と才知を推測する手だて。紙の選び方、その紙の色合、たきしめた香り、墨つき、和歌の巧拙、そして包み文や結び文、文に添える折り枝の趣向など、光源氏と女たちに通わされた恋文に王朝文化の粋をうかがう。日本エッセイスト・クラブ賞受賞作。
埴谷雄高の精神と思想を、最高の位相において、継承せんとする、若き哲学徒による清新な思考のプリズム。新たな思想の胎動を告げる、話題の評論集。
甲斐の領主武田信虎は、狂乱の日々を送り、長男晴信(後の信玄)をことごとく遠ざけていた。またその圧政は民に怨嗟の声をまきおこしていた。晴信は無念の思いを遠駆けと女色にまぎらしていたが、宿将板垣信方らに動かされてついに信虎追放を決意する。甲斐の主となった晴信は信濃に怒濤の進軍をはじめた。諏訪頼重を甲斐に幽閉し、小笠原長時を塩尻峠にほふり、村上義清を砥石城に破った。しかし、この晴信の快進撃を越後では長尾景虎(後の上杉謙信)が互いに天下を望む者として冷やかにみつめていた。
幼い時の思い出が、ひとつでもあると、そに前後左右がイモづる式に出てくるもので、まるで石を池に投げた時の波紋のごとくにわき出たのです。…異才の画家スズキコージが、ふるさとの少年のときをあふれるように語りつづる絵のない絵日記。
史上かつてない繁栄を迎えた日本に、きわめてよく似た国がかつてあった。ヴィクトリア朝のイギリスである。島国でありながら貿易によって世界の富を集めたこと、また島国であるために、軍事的・道徳的安全が保障され、しばしば大陸の戦乱で漁夫の利を得てきたこと。そのことが、国際感覚の欠如、つまり島国根性を育ててしまったこと。かの大英帝国の没落が語られてから久しい。このことは日本の未来に、多くの示唆を与えてくれる。われわれは、大英帝国の繁栄と没落に、何を学べばよいのだろうか。