旧約聖書外典は、ユダヤ教団によって異端的な書として廃棄され、主としてキリスト教会を経て今日まで伝えられてきた。上巻には、第二神殿建設から新約の時代までのパレスチナの歴史を述べ、信仰の書としても深い感銘を与える「第一マカベア書」、しばしば西洋絵画のテーマとして取り上げられてきた「ユデト書」の他、「トビト書」「三人の近衛兵」「ベン・シラ(集会書)」を収録。
「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」(万葉集)-神ながらということばは“神の本性のままに”という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。神々は論じない。-神道や朱子学はわが国の精神史にいかなる影響を与えたか。日本人の本質を長年にわたって考察してきた著者の深く独自な史観にもとづく歴史評論集。
明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せき切って先進国に追いつこうとしていた。この時期を生きた四国松山出身の三人の男達ー日露戦争においてコサック騎兵を破った秋山好古、日本海海戦の参謀秋山真之兄弟と文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く長篇小説全八冊。
戦争が勃発した…。世界を吹き荒れる帝国主義の嵐は、維新からわずか二十数年の小国を根底からゆさぶり、日本は朝鮮をめぐって大国「清」と交戦状態に突入する。陸軍少佐秋山好古は騎兵を率い、海軍少尉真之も洋上に出撃した。一方正岡子規は胸を病みながらも近代短歌・俳句を確立しようと、旧弊な勢力との対決を決意する。
日清戦争から十年ーじりじりと南下する巨大な軍事国家ロシアの脅威に、日本は恐れおののいた。「戦争はありえない。なぜならば私が欲しないから」とロシア皇帝ニコライ二世はいった。しかし、両国の激突はもはや避けえない。病の床で数々の偉業をなしとげた正岡子規は戦争の足音を聞きつつ燃えつきるようにして、逝った。
明治三十七年二月、日露は戦端を開いた。豊富な兵力を持つ大国に挑んだ、戦費もろくに調達できぬ小国…。少将秋山好古の属する第二軍は遼東半島に上陸した直後から、苦戦の連続であった。また連合艦隊の参謀・少佐真之も堅い砲台群でよろわれた旅順港に潜む敵艦隊に苦慮を重ねる。緒戦から予断を許さない状況が現出した。
年老いた父に愛人がいた!四人の娘は対策に大わらわ。だが、彼女たちもそれぞれ問題を抱えていた。未亡人の長女は不倫中、次女は夫の浮気を疑い、三女は独身の寂しさに心がすさみ、四女はボクサーの卵と同棲、そして母は…肉親の愛憎を描き、家族のあり方を追求してきた著者の到達点ともいうべき力作。
旧約聖書外典は、ユダヤ教団によって異端的な書として廃棄され、主としてキリスト教団の手を経て今日まで伝えられてきた。下巻には、ダニエルを主人公とした知恵物語として有名な「スザンナ」「ベールと龍」、イスラエルの知恵の思想を伝える「ソロモンの知恵」、黙示文学の「第四エズラ書」「エノク書」を収録。
いま子どもたちのからだは追いつめられている。演出家として演劇創造・療育に長くかかわり共に生きるための「人間関係としての授業」を追求し続けてきた著者による教師論。どのように声を届かせるか、三角座りがいかに拘束するか、また学級崩壊、不登校…いま教師と教育が抱える問題を生の「からだ」と「ことば」から考える待望の書。
取っ手や橋・扉など、見慣れた風景の細部からモデルネの本質を読み解き、貨幣、大都市、女性、モードにいたるまで、現代社会のあらゆる事象に哲学的思索を向けた「エッセーの思想家」ジンメルーその20世紀的思考を生き生きと伝える、新編・新訳のアンソロジー。
鎌倉末期、備前長船で生まれた剛刀「のきばしら」。足利将軍斬殺という嘉吉の乱を引き起こし、千利休の手により石灯籠を斬る。やがて江戸時代、転生した娘とともに質屋夫婦の命を救い、幕末には“人斬り”岡田以蔵の手に渡る。維新動乱のなかで女剣士の仇を討って、ついに終戦前夜の皇居に現れる…。一振りの剣をめぐる時空を超えた物語を、気鋭の執筆者7人が書き継ぐ、珠玉の連作時代小説。
各地の会戦できわどい勝利を得はしたものの、日本の戦闘能力は目にみえて衰えていった。補充すべき兵は底をついている。そのとぼしい兵力をかき集めて、ロシア軍が腰をすえる奉天を包囲撃滅しようと、日本軍は捨て身の大攻勢に転じた。だが、果然、逆襲されて日本軍は処々で寸断され、時には敗走するという苦況に陥った。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シー明治三十八年五月二十七日早朝、日本海の濛気の中にロシア帝国の威信をかけたバルチック大艦隊がついにその姿を現わした。国家の命運を背負って戦艦三笠を先頭に迎撃に向かう連合艦隊。大海戦の火蓋が今切られようとしている。感動の完結篇。巻末に「あとがき集」他を収む。
広大な大地と海に囲まれ、正確に季節がめぐるアラスカ。1978年に初めて降り立った時から、その美しくも厳しい自然と動物たちの生き様を写真に撮る日々。その中で出会ったアラスカ先住民族の人々や開拓時代にやってきた白人たちの生と死が隣り合わせの生活を、静かでかつ味わい深い言葉で綴る33篇を収録。
メルロ=ポンティの思想の魅力は、言いえないものを言うために傾ける強靱な思想的な営為にある。彼の思考の根幹にあるのは、客体であるとともに主体であり、見る者であるとともに見られるものであるという「身体」の両義性を考え抜こうとする強い意志である。この「身体」という謎によって開ける共同の生と世界の不思議さ。
人間が生きるということは、身の回りの空間や環境に自分なりの様々な意味を与えることと同値である。自らの直接経験による意味づけによって分節した空間が、すなわち「場所」である。場所は、大量生産と商業主義が深化した現代においては、多様だったはずの意味や環境適合性を欠落させ、お仕着せのものとなり、「偽物の場所」のはびこる「没場所性」に支配される。本書は、ディズニー化、博物館化、未来化などの現代の没場所性の特徴を暴き出し、キルケゴールやカミュやリフトンらの文学や哲学の成果も動員しつつ、場所に対する人間の姿勢と経験のあり方を問う、現象学的地理学の果敢な挑戦である。
辞書の中から立ち現われた謎の男。魚が好きで苦労人、女に厳しく、金はないー。「新解さん」とは、はたして何者か?三省堂「新明解国語辞典」の不思議な世界に踏み込んで、抱腹絶倒。でもちょっと真面目な言葉のジャングル探検記。紙をめぐる高邁深遠かつ不要不急の考察「紙がみの消息」を併録。
日本人の心の奥底、固有の土着的世界観とはどのようなものか、それは、外部の思想的挑戦に対していかに反応し、そして変質していったのか。従来の狭い文学概念を離れ、小説や詩歌はもとより、思想・宗教・歴史・農民一揆の檄文にいたるまでを“文学”として視野に収め、壮大なスケールのもとに日本人の精神活動のダイナミズムをとらえた、卓抜な日本文化・思想史。いまや、英・仏・独・伊・韓・中・ルーマニアなどの各国語に翻訳され、日本研究のバイブルとなっている世界的名著。上巻は、古事記・万葉の時代から、今昔物語・能・狂言を経て、江戸期の徂徠や俳諧まで。