王母、首長、大商人、霊媒師、ダンス結社、売春婦、女奴隷、寡婦、一夫多妻、女子割礼、女性夫、男性娘、セクシュアリティ、開発…古代から現代までのアフリカ史を、女性・ジェンダーに視点をあてた研究の検証を通して再構築。
男女共同参画社会基本法や、草の根女性組織の台頭-女性の政治参画の進展は、政治にジェンダー複眼の視座を組み入れ、新しい男女共生の政治文化を生み出す。本書はその背景にある、戦前から今日に至るまでの、女性たちの運動の歴史を明らかにする。市川房枝や環境運動家、生活者ネットワーク、女性官僚などの取組みに焦点を当て、日本の女性たちが切り拓いてきた政治展望を描き出す。
その活動・理論は、単に男女間の数的変化にとどまらず大学の教育・組織・管理運営の全てを変容させ、社会全体の平等化の牽引力となっているー大学変化の実態をつぶさに示すとともに、それをもたらした女性運動、政策と法的整備等の具体面、またフェミニズム思想・ジェンダー研究等の理論面を論考・総括し、現地在住の研究者として長らくアメリカの大学を見てきた経験を生かし、日本の現状変革に強くアピールする。『女たちが変えるアメリカ』の著者が総括する平等をめざす理論・活動・実態の全て。
総力戦体制の「戦後」への連続と再編ーいまなお東アジアに息づく植民地主義を「生活世界の植民地化」「動員」「ジェンダー」などの視座から照射して、生活者たちのまなざしに寄り添いながら「戦後」の時空間変容の意味を捉え返す。輻輳した「戦後」を解きほぐし、植民地主義という暴力の臨界点を探って、戦後責任に正面から応答する試み。
アメリカ・アジアを含む太平洋世界を一つの文化的風景として捉え、同時に多文化主義とジェンダーの視点を加えて、単なる受容や影響ではなく、文化接触・文化融合がもたらす変容の相を考える。そして環太平洋諸国だけではなく、その環のなかに目をこらすインディジナス(土着的)な姿勢をも重要視する。
ケガレという観念は決して過去のものではなく今日もさまざまな形で日本社会に浸透している。人々の暮らしの中であるいは社会的な儀礼や行事において日常の感覚とは次元の異なる禁忌(タブー)の意識が働く場合がある。本書では、ケガレの歴史的・文化的な形成過程を探る。
女性を愛してこそ、男性は自分を理解し健全な人生を歩めます。同様に、男性を愛してこそ女性は女性であることができるのです。
制度化された「労働」の批判。家事労働からセックスワークまで、労働のなかの“女/男”をジェンダーの視点から分析する制度・言説・表象の政治学。
男女共同参画社会の法と政策を考えるために、ジェンダー(性差)についての固定観念を転換し、ジェンダーに敏感な問題意識を養うことが、法曹実務家や政策担当者・研究者・学生・市民等に求められている。法学的視点から、ジェンダーパイアスを明らかにし、既存の法律・学説・判例・実務等を再検討する、「ジェンダー法学」のスタンダード。
光の世紀の「才女」たち。ニュートンを語る女神と化学革命の女神。ジェンダーの視点が科学史に新たな息吹を吹き込む。
性転換、TS、TGとは何か?米国の最も過激な思想家カリフィアが、多くの当事者・関係者への調査・分析、そして自身の「性転換」の体験をもとに、20世紀におけるTGの歴史と現在、医療者との葛藤、フェミニストとの軋轢、TG内部の相克を描いたTG論の決定版。サンディ・ストーン、野宮亜紀論文を併載。
女の子/男の子/母親/父親…『らしさ』の枠をあらためて問う。
本書では、「女性市民」の存在を明らかにするとともに、女性が「女性市民」として出現する背景とその発展を探り、なぜ「女性市民」は見えにくいのかを考えていきたい。本来、「市民」と呼ばれる人々には、「男性」・「女性」の二つに分類することを不可能にする多様で多層な人々が含まれているはずである。女性を定点観測することによって、その多様性の確認作業を展開していく。
世界的な男女平等実現への歩みを理解するために。背景にある様々な要員を視野に、女性労働の現実と今後の進展を探る。
既成の戦後論/民主論/占領論はなにを語らないのかー。敗戦後という時空間、ジェンダーというまなざし、東アジアという問題領域を照射し、戦後を歴史化して、戦後思想の政治性を射抜くフェミニズム文化批評。