id:hide-psy
好きな説明のことを語る

「おまえがどう感じていようと、どうでもいい。黙って言われた通りにしなさい。おばあさんの家に行って、お行儀よくしていなさい」。

この場合、この子の置かれた状況は最悪ではない。したくないことをしなければならないわけだが、彼は内的な自由や、(後で)父親の権威に反抗する力をとっておくことができるのだから。「ポストモダン」の非権威的主義的な父親のメッセージのほうがずっと狡猾だ。

「おばあさんがどんなにおまえを愛しているか、知っているだろう? でも無理に行けとはいわないよ。本当にいきたいのでなければ、行かなくていいぞ」。

馬鹿でない子どもならば(つまりほとんどの子供は)、この寛容な態度に潜む罠にすぐ気づくだろう。自由選択という見かけの下に潜んでいるのは、伝統的・権威主義的な父親の要求よりもずっと抑圧的な要求、すなわち、たんに祖母を訪ねるだけでなく、それを自発的に、自分の意志にもとづいて実行しろという暗黙の命令である。このような偽りの自由選択は、猥雑な超自我の命令である。それは子供から内的な自由をも奪い、何をなすべきかだけでなく、何を欲するべきかも指示する。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)