女性の「内なる差異」の追究から共存的フェミニズムへの道をひらく。
ロレンスが明かす女性の自立の根幹とは?「D.H.ロレンスと自然」という、一貫したロレンス文学研究のテーマの一環に、「女であること」を据えて、ロレンス小説における女性の自立を説き明かした力作、ここに登場。
女性たちの間には「フェミニズム」への「あき」ともいえる感覚が広まっている。どんなことでもそれが繰り返されると「あきてしまう」。たとえ「問題」が何も解決していなくとも、「問題」の出し方に対して「あき」てしまうのである。本書はこんな感覚を前提として書かれた。自分の中にもあるそんな感覚に付合いながらも「何か変だ。そんなに簡単に結論を出してしまってよいのか」という自問を繰り返すことで書かれた。
セクハラの何が問題なのか?混迷するセクハラ論議に指針を与え、セクハラや性暴力、ポルノ・売買春など性をめぐる現象にひそむジェンダー力学を解剖する。法や経済、文化とセクシュアリティとが織りなす権力構造をあぶりだし、「セクハラNO!」を武器に挑戦するフェミニズムの実践書。フェミニズムの理論的成果を一人ひとりのより自由で可能性豊かな生き方につなげる。理論のためのフェミニズムから女性のエンパワーメントのツールとしてのフェミニズムへ。
母を崩さない小説を探した少年は、けれども妻を崩さなければならなかった。母と妻に拘泥し続けた批評家、江藤淳が妻を殴打したのは何故なのか。「仮構の私」「仮構の日本」を求めてやまなかった批評家の困難さに寄り添うべく書かれた最も新しい江藤淳論。
ユング心理学とフェミニズムの対話と統合を目指すーユングの理論には彼の男性優位主義と女性恐怖とが色濃く反映されているが、対立しあうかに見える両者がともに人間理解に欠かせない視点を提供していることを、フェミニスト神学と知識社会学の視点から明らかにする。女性の心理臨床に新たな地平を切り開き、女性理解のための新しい指針を提供する注目の書。
本書のタイトルは「フェミニズム法学」である。本書によって、性差別社会をなくす営みの一翼を担いたいという思いから、また、性差別と人権侵害への闘いのために法を必要としているすべての人たちへの支援となることを願って、あえて「フェミニズム法学」を名乗ることにした。本書によって、法律学が社会の中心に位置してきた男性による「知の世界」であったことを批判しつつ、ジェンダー視点から、新たな法律学を構築しようと試みるものである。本書では、生活と法の新しい関係を創り出すために、「労働」、「家族」、「身体・性」という三つの領域を対象として設定している。
『アンアン』等の80年代雑誌文化は「フェミニズムのようなもの」だった。「女の時代」と言われたあの頃の空気は、なぜ退潮したのか?林真理子、上野千鶴子らに焦点を当てて検証する。
フェミニズムの今日の課題は何か。欧米のフェミニズム論争の主要な見解を明示、対立と不一致を丹念にときほぐして進歩の可能性を探る。
「美しい国」づくりの号令の下、天皇家の「お世継ぎ」妊娠・出産に狂喜する一方で、日本軍「慰安婦」にされたアジア女性たちの声は徹底的に消し去られていくージェンダーの観点から、日本の自国・自民族中心主義を問う。
マスコミが醸成し強要する先導的な「歴史解釈」「空気」「同調圧力」に異議あり。
フェミニズム運動史・思想史の原点である第一波のダイナミックな展開を膨大な資料を駆使して追求する。その全体像の解明。