伝統的な社会規範や家族観などがいまだ根強く残る現代日本において、家族をめぐる実態やその変容を分析し、展望や課題を明らかにする研究書。研究者と実務家らが協働して、ジェンダー・セクシュアリティ・子どもの視点から現行法制度の課題を考察し、その再構築の必要性を提起する。
序章 家族と法制度の変容 (二宮 周平)
==1部 家族のリアルを問い直す==
◆1 現代日本と家族のリアル
1章 新自由主義以降の家族規範の変容とグローバル資本主義の展開 (海妻 径子)
-フェミニズムの新潮流
2章 子育て支援と家族主義 (松木 洋人)
-子どものケアをめぐる論理を書き換える
3章 男の介護を通して見る「ケアとは何か」 (平山 亮)
4章 若者の結婚言説にみる結婚観の〈変質〉と親密性の変容 (永田 夏来)
5章 ステップファミリー (野沢 慎司)
-複数世帯を横断するネットワーク家族の可能性と法制度の再構築
コラム1 子ども視点の面会交流支援 (光本 歩)
◆2 セクシュアリティの多様性と家族の変容
6章 異性愛を前提とする家族概念をはみ出す同性パートナーシップ制度 (風間 孝)
-ケアの視点からみた渋谷区と世田谷区における制度化
7章 セクシュアルマイノリティの家族形成 (杉山 麻里子)
8章 トランスジェンダーが子どもをもつこと (小門 穂)
-性別変更と生殖医療
コラム2 「GID法律上も父になりたい裁判」 (山下 敏雅)
==2部 法制度の再構築を考える==
◆1 ジェンダーと原理論・法構造
1章 「近代家族」を超える (三成 美保)
-21世紀ジェンダー平等社会へ
2章 家族と民主主義(田村 哲樹)
3章 憲法・人権からみたジェンダーおよび親密圏 (齊藤 笑美子)
4章 暴力とジェンダー (矢野 恵美)
-性犯罪、DV、セクハラを中心に
◆2 セクシュアリティ・子どもからの法制度の再構築
5章 セクシュアルマイノリティに関する国際社会の議論の到達点と課題 (谷口 洋幸)
6章 子どもの権利保障 (大江 洋)
-親子法制の見直し
7章 子ども虐待対応に関する現行法の問題点と改正私案 (山田 不二子)
8章 子どもの権利向上の視点からの「家族」支援法制の考察 (鈴木 秀洋)
-地域ネットワーク再構築と里親制度推進を中心に
終章 血縁・婚姻から意思へ (二宮 周平)
-家族の法制度の再構築
同性愛を異質化し、周縁へと追いやる異性愛主義は、19世紀末に始まったものにすぎない。メルヴィル、ニーチェ、プルーストなどを読み解きながら、その中にホモ/ヘテロセクシュアルの分断を不可能にする揺れを発見し、セクシュアリティの混沌を見つめる。その後の文学研究に圧倒的な影響を与えた、フェミニズム/クィア理論の最重要書。
総力戦は同時に女性の社会進出もおしひろげた。戦えない性である女性は、愛国心をどう示したのか。カーキ・フィーバー、社会進出の象徴でもある制服への熱狂。大戦は女性をどう変えたのか、戦いのなかの女性を描き出す。愛国熱と制服フィーバーの時代。
フツーの大学生の現代セックス事情。大学教員が学生と真剣に性を語ってみた!本邦初、セックスを考えることで、大学生が見えてくる。
LGBTの権利をめぐって日々議論が巻き起こっている。しかしそもそも日本において異性愛規範が強化されたのは西洋化以降であり、アジアでは豊かな性別越境文化が築かれていた。「伝統的」な性とは何か? 抑圧の中で文化をつないだ性的マイノリティたちの歩みを多彩な文献に基づいて活写し、現代の「性の多様性」に一石を投じる。
はじめにーー地に足の着いた「多様性」へ
1 「性」の多様性の再検討
第1章 近代的ジェンダー・セクシュアリティ観を疑う
第2章 性別越境文化の論理
第3章 同性間性愛文化の普遍性
2 日本の性愛文化史ーー中世から現代へ
第4章 藤原頼長のセクシュアリティーー『台記』にみる男色関係
第5章 薩摩藩における男色の系譜ーー「兵児二才(へこにせ)」制と学校文化
第6章 説話の中の性別越境ーー江戸相撲、強豪力士は女だった?
第7章 「文明開化」は抑圧の始まりーー異性装禁止とその拡大
第8章 近代社会と男装者ーー女性という社会的制約の中で
第9章 女装世界の二〇世紀ーートランスジェンダー・カルチャーの構造
第10章 レズビアンの隠蔽ーー概念の欠落とロールモデルの不在
3 アジアの性別越境文化ーーインド・中国・朝鮮半島
第11章 インドーー「ヒジュラ」に学ぶサード・ジェンダー
第12章 中国ーー女装の美少年・「相公(シャンコン)」
第13章 朝鮮半島ーー芸能集団「男寺党(ナムサダン)」の稚児とその起源
4 歴史の中の多様な「性」
第14章 「伝統的」な「性」の在り様とは何か?
文献一覧
初出一覧
あとがき
「女らしくしろ」「女になるな」
日本の女子選手たちは、男子選手ならば経験することのない、こうした矛盾した要求を突きつけられる。なでしこジャパン、女子レスリング……2000年代以降、かつて「男の領域」とされたスポーツで活躍する女子選手の姿をメディアで多く目にするようになった。
強靭な身体と高度な技能、苦しい練習を耐えるタフな精神力や自律が要求されるエリートスポーツの世界。その中でも「男らしいスポーツ」とされるサッカーとレスリングの世界で活躍するたくましい「女性アスリート」たちはどう語られたのか。メディアの語りから見えてくる「想像の」日本人の姿とは。そこに潜むコロニアリティとは。また、トランスジェンダーへの差別が絶えない社会で、トランスジェンダーやシスジェンダーでない選手たちは、女子スポーツの空間や「体育会系女子」をめぐる言説とどのように折り合いをつけ、スポーツ界に居場所を見出してきたのだろうか。
本書は、日本の女子スポーツ界を取り囲む家父長制的、国民主義的、異性愛主義的、そしてシスジェンダー主義的言説を明らかにし、抑圧の構造に迫る。同時に、その抑圧的環境を創造的に克服してきた選手たちにスポットライトを当てることで、「生きることのできるアイデンティティ(livable identity)」、そしてより多くの可能性に開かれた主体性(subjectivity)のあり方を探る。
女性たちは自分のからだがどうすれば心地よく感じるのか、どうすれば自由に、確実にオーガズムを得られるのかを知っている。にもかかわらず、多くの女性が男性とのセックスでは、その快感を自分のものとして享受できないでいるのは、なぜだろうか-。本書では、大切な男と女の関係を見直し、真に理解を深めるために、女性のセクシュアリティについての新しい考え方をさぐる。
勃興するブルジョワ階級の娘の死に至る抑圧の生を描き、おそらく世界でもっとも長い18世紀英国小説『クラリッサ・ハーロウ』。マルクシズム=フェミニズム批評が、性差、階級闘争などのアポリア設定により、この文学史に埋もれた「古典」を衝撃的に現代に甦らせる。
フェミニズム・精神分析学・性役割理論・社会生物学など多岐にわたるジェンダー論の総括であると同時に、男女の不平等解消へむけて連帯の構築可能性をさぐる意欲的試み。
サモアの儀礼交換のフィールドワークをとおして、社会理論の最先端を切り拓く。「社会が経済になってしまった」われわれの文明、「経済が社会である」サモアの社会。反対の社会の経済、権力、性などから見えるわれわれが当たり前に生きているものの不思議。
同性愛を異質化し、周縁へと追いやる異性愛主義は、19世紀末に始まったものにすぎない。メルヴィル、ニーチェ、プルーストなどを読み解きながら、その中にホモ/ヘテロセクシュアルの分断を不可能にする揺れを発見し、セクシュアリティの混沌を見つめる意欲作。
メンズセンターのメンバーがつくった、わかりやすい、男性の立場から“かゆいところに手が届く”男性のセクシュアリティの本。
現代のメディアにひそむ原風景を、自らの体験史=「自分史」を通して探る。断片化された記憶を繋ぐ、戦後メディアの社会史。堕落論、カサブランカ、はっぱふみふみ、三種の神器、乙女の性典、三億円事件、善の研究、星の流れに、日米会話手帳、下山事件、OH!モーレツ、カストリ雑誌、シベリヤ物語、肉体の門、三鷹事件、違いのわかる男、青い山脈、ハイト・レポートーめまぐるしい変貌のゆくえを原点から透視する。
障がい者の性、セックス奉仕隊、ラブピースクラブ、若者への性教育、ネット恋愛、セックスワーク、人身売買、フーコーのセクシュアリティ論、日本における売買春の歴史。セックスという行為に潜むテーマを掘り下げ、縦横無尽に語り尽くす。
作品世界の物語性そしてキャラクター間の関係性から“欲望”の男女差を読み解く。