癌からの奇跡の生還。病人仲間の星になりたい。
3.11日本国家のメルトダウン、それを誰が如何に喰い止めるのか。保守思想家9人の発言。
気がついた時には、自分の通う高校に閉じこめられていた裏野新太。出口を求めて校舎をさまよっていると、大鎌を持つ死神のような姿の不気味な存在に遭遇する!裏野は死神の襲撃をかわしながら、同じく学校に閉じこめられた生徒たちと脱出の方法を探るが、死神は容赦なく彼らを殺していく…
グローバル経済が進展するなかで、社会は「人々の生の豊かさ」をどのように構想しているのか。そこへの問いを発するとき、いまケインズの思想が甦る。田園のゆったりした生活、芸術を楽しむこと、友人たちとの優雅な語らい…「豊かな生活」への基本的な課題に論を進めた本書には、まともな文明を築くための思索の鍵がある。
眼鏡型の携帯通信端末「サイグラス」が普及したある日、見習い板前・和泉淳のもとに謎の電話が入る。その警告を無視した先に待っていたのは、殺人未遂犯としての緊急逮捕だった。冤罪にもかかわらず逮捕時の映像がサイグラスで広まったことで、淳は執拗なネット攻撃の標的に。次々と起こる出来事に巻き込まれ、傷つく淳は、窮地から這い上がれるのか?若き鬼才がリアルに描く!近未来社会の恐怖。
「嫌中」の源流にあった、「親中」の時代ーー。開沼博氏、絶賛!
日中関係がこの上なく悪化している現在、「嫌中」の源流はどこにあったのか? 1949年に誕生した新しい共産主義国家に、日本人が最初に出会ったのは、文化大革命だった。当時の全共闘は、その「革命」に一つの理想郷を見た。その後に訪れたのは、日中国交正常化がもたらした「パンダ」ブーム。自然、平和の象徴としてのイメージが日本人に刷り込まれた。しかし、革命の中国も、パンダの中国も、「虚像」にすぎない。今日に至るまで、なぜ日本人は中国をステレオタイプとしてしか見られないのか。巻末に吉見俊哉氏の解説付き。
◆第四詩集
彼女はいまどの惑星にやってきたのだろうか。黄色いチョウの「伝言」はいま「あたし」になにを伝えようとするのだろうか。
(栞より・吉田文憲)
『移動遊園地』制作には、要するに「記憶」を乗り越えた、あるいは少なくとも「記憶」と釣り合う「あたし」の現在を書きたいという、詩人主体の切実な思いがこめられていたのでした。
(栞より・野村喜和夫)
◆収録作品より
クレピュスキュル(たそがれ時)という言葉に魅せられる、
彼女。
思わずその言葉をつぶやいた、
茜色の空の下、
トラムには乗らず、
石畳の裏通りを歩いていると、
古びた建物に囲まれた広場に、
立体絵本のような移動遊園地が現れた。
(「移動遊園地」より)
何もかもが行き詰まった世界の片隅で、研いだ玄米を炊飯器にいれたあたしは、新型コロナウイルスのニュースを消し、虹色の光降り注ぐ庭園を空想する。(「空想庭園」)
「田窪与思子の詩のキーワードは移動だ。それゆえサーカスだ。悲喜こもごもの事象を包み込んで、言葉の天幕が時空を翔ける。そのとき、「あたし」とはもちろん「あしたの朝焼け」にほかならない」(野村喜和夫)。目くるめく第4詩集。装幀=佐野裕哉
ラテン語の基本である単語の活用、変化がわかりやすい!文法を中心に、基礎からわかりやすく解説。語彙の習得にも最適!
本書は、社会における人びとの「社会的協力」とは何かについての原理的考え、近代的協力の限界という現実を認識し、近代的協力を乗り超える方法を考察する。近代になって、社会的協力の在り方が大転換したといわれている。市場モデルや政府モデルなどの近代的協力がなぜ大規模に生成し、そして限界を見せるようになったのか、そしていかに近代的協力の限界を乗り超えるのかについて、具体的な事例を見ながら理解を深めていく。
1.社会的協力はなぜ必要とされるのか 2.協力にはどのような類型があるのだろうか 3.協力関係のフォーマル化とインフォーマル化 4.近代的な協力と支配モデル 5.協力の交換モデルと「囚人のジレンマ」問題 6.影響力と協力の互酬モデル 7.近代的協力モデルと大規模化組織の発展 8.近代的協力組織の限界とジレンマ 9.エージェンシー化と協力活動 10.協力の多様化問題と「組織立った複雑性」 11.ダウンサイジングと近代的協力の変容 12.リーダーシップの協力関係と「信頼」 13.社会関係資本とインフォーマルな協力関係 14.支援とケアでの協力活動 15.協力のネットワーク形成とミンツバーグ問題