「男らしくない」「もしかしたら“ゲイ”かもしれない!?」-誰にも言えずに苦しみつづけた思春期の頃。悩み抜いた末に見えてきたものとは?日常を「フツーに生きる」ことを実践する著者が、悩み多き十代たちに「自分の性を大切に」と語りかけます。
セクシュアリティ研究の名著、ついに翻訳刊行。グローバル化とデジタル革命によって加速するセクシュアリティと親密世界。21世紀における倫理を、LGBTの日常から生じる「生の実験」に基づいて立ち上げていく過程を克明に描く傑作。
オペラにおいて女性と男性が文化としてどのように表現されているか?歴史上のさまざまな時代に欲望と快楽は音楽でどのように構成されてきたか?音楽理論ではジェンダーを内包するメタファーがどのように行き渡っているか?ジェンダーとセクシュアリティの視点からひらく音楽学の新たな地平。
女が主役、男は脇役=広告の世界。現実社会でも女たちは、主役だろうか。-広告から戦後の女と男のありようをとらえ、そこに投影された時代の意識とそれが意味するものをよむ。
爛熟した消費社会の申し子たる『オタク』という特異な主体の在り様をめぐって、東浩紀と各界の最強の論者が繰り広げる言論のバトルロイヤル。ネット∴ライヴ∴書籍とメディアを横断して展開された妄想と闘争の記録。
ギリシア・ローマ時代からの性をめぐる文化的変遷をたどり、治療器具として技術革新されてきたヴァイブレーターの軌跡を克明に追って、女性のエクスタシーの復権を高らかに宣言したメインズ女史の名著。
性について子どもにどう話せばよいのか、悩んでいる保護者へのメッセージ。タブーとされがちな性の問題に取り組むための実践的な方法を、自閉症児の親ならではの繊細さと経験を交えて紹介!体の変化や生理、男性と女性の問題を別個に解説。公的私的な場所における性行動、性的虐待、性別を超えた指導なども網羅。
ミーガン・ラピノー、大坂なおみ、マルクス・レーム、マニー・パッキャオ……。第一線で活躍しつつ、競技の枠を超えて発信する九人のアスリートたち。その活動がもつ現代的な意義と可能性を気鋭の論者たちが問う。
はじめに ……………山本敦久
第一部 セクシュアリティ
第1章 キャスター・セメンヤ ……………井谷聡子
--それでも彼女について語ることーー
第2章 大坂なおみーー政治的発言と勇敢さのゆくえ ……………田中東子
第3章 ミーガン・ラピノー ……………稲葉佳奈子
--声を上げる女性アスリートたちーー
第二部 技術
第4章 マルクス・レーム ……………青山征彦
--非ー人間とネットワークする身体ーー
第5章 リカルド・アウベス ……………二宮雅也
--ブラインド・サッカーの身体図式ーー
第6章 大迫傑ーーポピュリズムに抗する身体 ……………小笠原博毅
第三部 社会
第7章 コリン・キャパニック ……………山本敦久
--社会を編みなおすアスリートーー
第8章 マニー・パッキャオ ……………石岡丈昇
--ボクシングと「二重のレンズ」--
第9章 マーカス・ラシュフォード ……………有元健
--ユーロ二〇二〇のPKが意味するものーー
対談 アスリートを社会にひらく ……………平尾剛+山本敦久
ジェンダー視点で見る新しい世界史通史
歴史を形成してきた「ひと」とは何か。「近代市民」モデルを問い直す!
この世界に生きる「ひと」は年齢・身体的特徴・性自認・性的指向等、多様な属性を持つ存在であるが、国家や社会はしばしば「ひと」を単純化し、望ましい役割や振る舞いを割り当てる。とりわけジェンダーは「ひと」の定義の根幹にかかわる存在である。本巻では「ひと」の生にジェンダーがいかに作用しているのかを、「身体・ひと」「生殖・生命」「セクシュアリティ・性愛」「身体管理・身体表現」「性暴力・性売買」の各領域について歴史的視座から検討し、その構造を考察する。
第1章では、各文化における身体・生命観を問い、社会的規範としての「らしさ」がいかに構築されるのか、「ひと」がいかに分類され、差異化されたのかを比較史的に明らかにする。
第2章では、産む身体としての女性身体、産まれる子の生命、人口政策・人口動態を論じる。
第3章では、歴史上の多様な性愛・結婚の在り方を確認し、LGBTQの人びとの在り方をめぐる比較史に焦点をあてる。
第4章では、「健康」の文化性、身体描写や身体表現のジェンダーバイアスを検討する。
第5章では、性暴力の歴史と買売春の比較文化を叙述する。
■本シリーズの特徴
世界史通史としての本シリーズの特徴は、「国家や政治・外交・経済」といった「大きな物語」を中心に記述するのではなく、等身大の「ひと」を中心に据え、それを取り巻く家族や共同体、グローバル経済や植民地主義といったテーマに段階的に踏み込んでいくという構成にある。
近代歴史学の根底にある近代市民社会モデルは、暗黙の裡に「健康で自律的な成年男性」をその主たる担い手と見なしていたが、それは一方で女性や社会的弱者を歴史から排除することにもつながっている。本シリーズでは、単に歴史の各トピックについて、ジェンダー史の知見を紹介するのみにとどまらず、「ひと」はそもそも「ケアしケアされる存在」である、という認識に立って、世界史の叙述そのものを刷新することを目指している。
なんでもかなえる「ヴォルテックス」を説明しながら、「セクシュアリティ」「親子関係」「自分を高く評価する方法」についてもエイブラハム流に語る、最先端の人間関係論。
神話、宗教、芸術、国家、革命。あらゆる幻想にひそむ恐怖と性の関係をえぐり出し、大学闘争、ベトナム戦争、中東戦争など60年代から現在にいたる時代を戦いぬいた女の歴史を軸に、タナトスの政治からエロースの政治への道を提唱する。性と暴力の根源的関係を掘り下げるセクシュアリティの文明論。
性の装置としてのポルノグラフィと、美の表象としてのヌード・アート。女性の身体を引き裂く二つの眼差しに潜む文化的再生産の過程を、フェミニズム・アートの立場から解析する。
日常のそこここに遍在する性の姿をあぶり出し、欲望の社会編成を暴く。
ラブホテルとアダルトビデオ、恋愛至上主義の共犯関係が、日本のセクシュアリティを縛り付けている。私たちは、そこから自由になれるのか?「愛」という名の均質な空間が、行為の貧困化を加速する。