本書は、一橋大学大学院社会学研究科において、二〇〇六年四月から三年間にわたって続けられた先端課題研究7「日常実践/方法としてのジェンダー」の成果である。ジェンダー関連の書籍は、現在、入門書から専門書まで大量に生み出されているが、著者たちが心がけてきたのは、女性学や男性学、ジェンダー研究のテリトリーに閉じるのではなく、社会科学のなかにジェンダー視点を導入し、定着させ、その融合的な研究視座から、日常空間で作動するジェンダーに関わる諸問題(労働、家族、身体/生命、アイデンティティ、権力、政治秩序、市民社会、公共性、国際関係など)を可視化し、いかに対象化し研究として立ち上げることができるのか、それを徹底して追究することであった。
マルセル・プルーストは、女性をどのように創造し、
女性を通して何を表現したのか。
20 世紀を代表する小説『失われた時を求めて』は、
作者のプルーストによって幾重にも推敲を重ねられている。
これまでの研究ではあまり触れられることのなかった脇役とはいえ、
物語進行上大きな役割を担う女性登場人物に着目し、
その構想がどのように変更されていったのか、
プルーストの意図は何であったのかを、
草稿から決定稿に至るまで探る。
また、同時代の作家コレットとの性や生のテーマにおける比較から、
二人が交錯する地平も明らかにする。
第1部 プルーストの描き方??人物造形を探る
第1章 カンブルメール創造のプロセスー
シュミゼイをめぐって
第2章 「スワンの恋」におけるカンブルメール創造のプロセス
ールヌーベをめぐって
第3章 カンブルメールの誕生ー
シュミゼイからカンブルメールへ、ルヌーベからカンブルメールへ
第2部 プルーストと女性たちー女性をとおして描かれた社会・文化
第1章 カンブルメール夫人たちー
「芸術」と「社交」、「同性愛」の周辺
第2章 ジルベルトーオペレッタの影響
第3章 オデットー文化としての結婚制度
第3部 プルーストとコレット
ー 同時代を生きた二人の作家たち
第1章 性/生を描く二人の作家プルーストとコレット
第2章 猫と花
ーコレットの「動物」とプルーストの「植物」と
ノーベル文学賞(1991年)受賞の白人女性作家として著名なナディン・ゴーディマが生涯を通じて追求し描き続けた、人種差別と男女差別と異文化交雑する南アフリカ社会の中に生きる女と男の姿を通して見えてくるものがある。
序章 ゴーディマの作品世界と南アフリカ社会:人種、ジェンダー、セクシュアリティが交差する国家と家族のポリティクス
第一章 『偽りの日々』における植民地支配者の娘の抵抗
第二章 『愛する機会』と『自然の変種』におけるアパルトヘイト政策と異人種間の愛と性
第三章 『バーガーの娘』における場所のポリティクスと主体性の問題
第四章 『マイ・サンズ・ストーリー』におけるカラードアイデンティティと南アフリカの文化変容の模索
第五章 新生南アフリカ国家と家族、女性、権力:ゴーディマのポストアパルトヘイト文学
終章 ゴーディマの作品世界と南アフリカ社会、国家、家族
参考文献
「体育嫌い」はあなたのせいじゃない!誰ひとり置き去りにしない体育の姿とは?「ジェンダー・セクシュアリティの視点」から「体育の当たり前」を問い直す!
「男らしくない」「もしかしたら“ゲイ”かもしれない!?」-誰にも言えずに苦しみつづけた思春期の頃。悩み抜いた末に見えてきたものとは?日常を「フツーに生きる」ことを実践する著者が、悩み多き十代たちに「自分の性を大切に」と語りかけます。
●21世紀版『性の歴史』が、生の技法を鮮やかに描きだす
ミシェル・フーコーと並び称されるジェフリー・ウィークス。セクシュアリティ研究の名著、ついに翻訳刊行。
グローバル化とデジタル革命によって加速するセクシュアリティと親密世界。本書は、21世紀におけるセクシュアリティの倫理を、LGBTの日常から生じる「生の実験」に基づいて立ち上げていく過程が克明に描かれます。
性の解放/女性解放から現代の同性婚、インターネット時代のLGBTまでを描く、人間解放の現代史。世界的権威であり、ゲイ解放運動の先頭に立つ著者が、歴史学と社会学の手法でみごとに論じきった傑作。
第一章 異なる世界
第二章 抑制の文化
第三章 大転換1--民主化と自律
第四章 大転換2--規制、リスク、そして抵抗
第五章 混沌とした快楽ーー多様性と新しい個人主義
第六章 現代のセクシュアリティにおける諸矛盾
第七章 親密性という契機ーー規範、価値、日常的コミットメント
第八章 性的な不公正と性的な権利ーーグローバリゼーションと正義の探求
レズビアンたちによる「彼女たちの歴史(ハーストーリーズ)」から、
トラウマ理論を組み立て直す
精神医療や、奴隷制、ホロコーストなどの公的惨事の歴史において、私的とされ、あるいは過度に病理化され不可視化されてきた、日常のなかのネガティヴな感情や性的トラウマ。ブッチ/フェム、ディアスポラ、エイズ・アクティヴィズムや癒しをめぐるレズビアン文化の多様で固有なテクスト・実践から、語られえないトラウマ、断片的ではかない記憶や感覚を拾い集め、トラウマ概念の再定義、そして未来のための新たな対抗的公共圏の創造を探求する。
小説、詩、エッセイ、回想録(メモワール)、ヴィデオ、映画、写真、パフォーマンス、インタビュー……さまざまな文化的テクストをもとにトラウマへの非臨床的アプローチの可能性を描いた2000年代初期クィア文化研究の意欲作。
日本語版への序文
謝辞
序章
第一章 クィア・トラウマの日常生活
第二章 トラウマと触覚ーーブッチ/フェムのセクシュアリティ
第三章 性的トラウマ/クィアな記憶ーーインセスト、レズビアニズム、癒しの文化
第四章 トランスナショナルなトラウマとクィア・ディアスポラ的な公共性
第五章 エイズ・アクティヴィズムと公的感情ーーACT UPのレズビアンたちの記録
第六章 トラウマの遺産、アクティヴィズムの遺産ーー喪と闘争性再訪
第七章 レズビアンの感情のアーカイヴにて
エピローグ
付記ーーインタビューについて
フィルモグラフィー
訳者あとがき
索引
参考文献
注
オペラにおいて女性と男性が文化としてどのように表現されているか?歴史上のさまざまな時代に欲望と快楽は音楽でどのように構成されてきたか?音楽理論ではジェンダーを内包するメタファーがどのように行き渡っているか?ジェンダーとセクシュアリティの視点からひらく音楽学の新たな地平。
女が主役、男は脇役=広告の世界。現実社会でも女たちは、主役だろうか。-広告から戦後の女と男のありようをとらえ、そこに投影された時代の意識とそれが意味するものをよむ。
爛熟した消費社会の申し子たる『オタク』という特異な主体の在り様をめぐって、東浩紀と各界の最強の論者が繰り広げる言論のバトルロイヤル。ネット∴ライヴ∴書籍とメディアを横断して展開された妄想と闘争の記録。
ギリシア・ローマ時代からの性をめぐる文化的変遷をたどり、治療器具として技術革新されてきたヴァイブレーターの軌跡を克明に追って、女性のエクスタシーの復権を高らかに宣言したメインズ女史の名著。
性について子どもにどう話せばよいのか、悩んでいる保護者へのメッセージ。タブーとされがちな性の問題に取り組むための実践的な方法を、自閉症児の親ならではの繊細さと経験を交えて紹介!体の変化や生理、男性と女性の問題を別個に解説。公的私的な場所における性行動、性的虐待、性別を超えた指導なども網羅。
ジェンダー視点で見る新しい世界史通史
歴史を形成してきた「ひと」とは何か。「近代市民」モデルを問い直す!
この世界に生きる「ひと」は年齢・身体的特徴・性自認・性的指向等、多様な属性を持つ存在であるが、国家や社会はしばしば「ひと」を単純化し、望ましい役割や振る舞いを割り当てる。とりわけジェンダーは「ひと」の定義の根幹にかかわる存在である。本巻では「ひと」の生にジェンダーがいかに作用しているのかを、「身体・ひと」「生殖・生命」「セクシュアリティ・性愛」「身体管理・身体表現」「性暴力・性売買」の各領域について歴史的視座から検討し、その構造を考察する。
第1章では、各文化における身体・生命観を問い、社会的規範としての「らしさ」がいかに構築されるのか、「ひと」がいかに分類され、差異化されたのかを比較史的に明らかにする。
第2章では、産む身体としての女性身体、産まれる子の生命、人口政策・人口動態を論じる。
第3章では、歴史上の多様な性愛・結婚の在り方を確認し、LGBTQの人びとの在り方をめぐる比較史に焦点をあてる。
第4章では、「健康」の文化性、身体描写や身体表現のジェンダーバイアスを検討する。
第5章では、性暴力の歴史と買売春の比較文化を叙述する。
■本シリーズの特徴
世界史通史としての本シリーズの特徴は、「国家や政治・外交・経済」といった「大きな物語」を中心に記述するのではなく、等身大の「ひと」を中心に据え、それを取り巻く家族や共同体、グローバル経済や植民地主義といったテーマに段階的に踏み込んでいくという構成にある。
近代歴史学の根底にある近代市民社会モデルは、暗黙の裡に「健康で自律的な成年男性」をその主たる担い手と見なしていたが、それは一方で女性や社会的弱者を歴史から排除することにもつながっている。本シリーズでは、単に歴史の各トピックについて、ジェンダー史の知見を紹介するのみにとどまらず、「ひと」はそもそも「ケアしケアされる存在」である、という認識に立って、世界史の叙述そのものを刷新することを目指している。
ミーガン・ラピノー、大坂なおみ、マルクス・レーム、マニー・パッキャオ……。第一線で活躍しつつ、競技の枠を超えて発信する九人のアスリートたち。その活動がもつ現代的な意義と可能性を気鋭の論者たちが問う。
はじめに ……………山本敦久
第一部 セクシュアリティ
第1章 キャスター・セメンヤ ……………井谷聡子
--それでも彼女について語ることーー
第2章 大坂なおみーー政治的発言と勇敢さのゆくえ ……………田中東子
第3章 ミーガン・ラピノー ……………稲葉佳奈子
--声を上げる女性アスリートたちーー
第二部 技術
第4章 マルクス・レーム ……………青山征彦
--非ー人間とネットワークする身体ーー
第5章 リカルド・アウベス ……………二宮雅也
--ブラインド・サッカーの身体図式ーー
第6章 大迫傑ーーポピュリズムに抗する身体 ……………小笠原博毅
第三部 社会
第7章 コリン・キャパニック ……………山本敦久
--社会を編みなおすアスリートーー
第8章 マニー・パッキャオ ……………石岡丈昇
--ボクシングと「二重のレンズ」--
第9章 マーカス・ラシュフォード ……………有元健
--ユーロ二〇二〇のPKが意味するものーー
対談 アスリートを社会にひらく ……………平尾剛+山本敦久
なんでもかなえる「ヴォルテックス」を説明しながら、「セクシュアリティ」「親子関係」「自分を高く評価する方法」についてもエイブラハム流に語る、最先端の人間関係論。