みんな必死に生きている!
抜け駆け、サバ読み、炎上商法……。
彼らが巨匠たる所以はなりふりかまわぬ仕事ぶりにあった!
制作秘話より胸躍る芸術家たちの必死の駆け引きを、
ヴァザーリ研究の逸材・壺屋めりが活写します。
著者自らが描く漫画&イラストも理解を助けてくれます。
ルネサンスを舞台にしたたかに生き抜く芸術家たちの姿を
ちょっと覗いてみませんか?
※本書はオンライン雑誌「クーリエ・ジャポン」の人気連載
「リナシタッルネサンス芸術屋の仕事術」に加筆しまとめたものです。
【目次】
第1話 公共事業コンペはニーズが命 ギベルティ×ブルネレスキの場合
第2話 自己プロデュースを極める ティツィアーノの場合
第3話 有利な舞台は自分でつくる ティントレット×ヴェロネーゼの場合
第4話 独りよがりは失敗のもと ウッチェロの場合
第5話 著作権侵害からの炎上商法 ライモンディ×デューラーの場合
第6話 万能人の自己PR レオナルド・ダ・ヴィンチの場合
第7話 根回しは相手を考えて ミケランジェロ《ダヴィデ》の場合
第8話 損失が損失を生むスパイラル メムリンク《最後の審判》の場合
第9話 モンスター注文主の対処法 イザベッラ・デステ×ベッリーニの場合
第10話 敵の敵を味方につける ラファエッロ×ミケランジェロ×セバスティアーノの場合
第11話 捨てる神あれば拾う神あり チェッリーニの場合
第12話 お祭りには便乗すべし コジモ・デ・メディチの場合
めり先生のちょい足しコラム
1◎伝記と著者の都合
2◎豆腐メンタルの系譜
3◎「工房作」の実態
4◎音楽家レオナルドのことば遊び
5◎ルネサンスの匿名掲示板
6◎イザベッラのコレクター魂
7◎ヴァザーリの被害者
行進、曲芸、ダンスから絵画、音楽、建築、散文までー。人間が人間として日々を生きるということと、芸術活動や芸術作品のありかたを常に結びつけて考えたアラン。第一次世界大戦に従軍し、戦火の合い間に熱意と愛情をこめて芸術を考察し、のびのびと書き綴った芸術論。
写真が登場して170年、そこから現代に至るまで、数多くの写真家が新たな表現を求めて多種多様な技法を用い、名作を生み出してきた。第1部:コラージュ、フォトモンタージュ、ディストーション(歪曲)など、写真(イメージ)に手を加えて新たな表現を生み出した作品、第2部:ネガフィルムと印画紙の変遷と、それに関わる表現と技法のバリエーション、第3部:カメラとレンズという撮影機材を駆使したさまざまな表現、という三つのテーマを軸に、写真という表現手段の歴史と現在を、東京都写真美術館所蔵の名品によって辿る。
アマチュア作陶家のためのろくろの技法書。今までの技法書とは違い、プロの陶芸家がいつも何気なく使っている技を大公開。作品例も、プロの陶芸家が普段創っている、型、デザイン、色ともに洗練された一級品ばかりです。
イタリア美術史の紹介で定評のあるありな書房の新企画は、いままでの旅行ガイドとは一線を画し、専門家たちの目を通してイタリアの都市の魅力に迫る新たな案内記の試みである。
ここでの主人公はフィレンツェ、いわずと知れた美術の都である。三人の執筆者はみな美術史の専門家であり、それぞれが現役の美術館学芸員、フィレンツェ在住のツーリスト・ガイド、大学教員として、それぞれこの町に住み、仕事をしてきた経験をもっている。執筆者たちが自らのフィレンツェ経験を語るエッセイを通して、過去の記念碑ではなく、現に活動するこの町でくりひろげられる生活の諸相、とりわけ美や感性と結びついた街の感性が浮かびあがってくる。もちろん、いささか主観的な、あくまで個人の経験というフィルター越しではあるが、これから旅をする読者に、あるいはすでにこの町を旅した読者に、この魅力あふれる、しかしちょっと気むずかしい一面も併せもつ都市の活き活きとした「肖像画」が示される。
もしあなたが、ウフィツィ美術館の裏側を知りたいのなら、グッチやフェッラガモが育った環境で活躍する女性の姿を見たいのなら、ありきたりのグルメ・ガイドには食傷気味というのなら、そしてフィレンツェ特有の美と感性のあり方に思いをめぐらせたいなら、この本こそがその期待に応えるはずである。
新たな発見や創造のヒントになる作品を紹介するシリーズ《とぴか》第五弾!
ファンタジーが現実を変える! 生きる希望をめぐる物語
古事記の時代から日本人と深いつながりをもってきたウリンボーが、フクシマを、日本を元気にします。
「5000年前から われわれイノシシは 人間のギセイになっている。ヤマガタとミヤギの仲間にも あつまってもらおう。そして みえない灰のついたものを ぜんぶ食べつくしてやろう! とイノシシの王様はいいました……」
あらすじ
イノシシの赤ちゃんをウリンボーといいます。とてもかわいらしく何でもよく食べます。人間とイノシシのつながりは、日本の古い書物に紹介されているように、昔からあります。2011年3月、フクシマの原子力発電所が爆発して放射能の雨が山野に降り注ぎました。放射性物質につよいといわれるイノシシの王様がフクシマの王子様にたのまれ、イノシシたちが人間のために、その放射能汚染に立ち向かいました。そして、フクシマはイノシシであふれかえり、イノシシ王国になりました。
『日本・現代・美術』の著者が、モダン・アートの最先端を挑発する批評の冒険。
ダイヤモンドを創造する、という考えに取り憑かれ、すべてを投げうち実験に没頭するバルタザール。一家は破産し、科学によって母をも奪われた娘が考え出したある策とは…そして男の行きついた果てとは?バルザック独自の科学観を垣間みることができる表題作と「赤い宿屋」の2篇を収録。
ぼくじょうでえをかきはじめたぼくじょうぬし。ところが、めをはなしたすきに、ショーンたちがいたずらをはじめたから、さあたいへん!
「かな」を書くーー。そこにどんな意味があるのか?日本の美意識の粋、それが「かな」文字。元来、ちいさく繊細な文字を、掌で愛でるという歴史を経て、戦後、展覧会の隆盛により、壁面芸術として新しい美意識の地平が開かれた。そして、今・・・。「かな」書はどこに向かおうとしているのか、どこに向かうべきなのか。「現代のかな」の意義を問いかける、田宮文平、渾身の一冊。
既存の技法書は、難しすぎる!先輩口調でやさしく指南します2時間映画のシナリオを3日間で書く! そんな仰天の脚本術と、その根にあるメソッドを紹介。シナリオとは大袈裟な「テーマ」が先にあるのではなく、「映画を撮ってみたい」という素朴な欲求さえあれば書けるものだと著者は考えます。
特集 萩焼 400年の歴史と現在
「一楽、二萩、三唐津」と茶の湯の茶碗として声価の高い萩焼だが、
では“萩焼”と聞いてどんな作品を思い浮かべるだろうか?
山口県萩市周辺で作られていることは想像できるが、思い浮かべる作品は人によって違うだろう。
江戸初期の茶会記には「白キ萩焼」の茶碗が使われたことが記されている。
具体的なことは不明だが、萩焼の人間国宝・十代三輪休雪(休和)と十一代休雪(壽雪)兄弟による
休雪白が有名な、藁灰による白い釉薬の茶碗だろうか。
あるいは、白化粧を施した粉引かもしれない。
共に江戸時代の古萩に見られる。
また、萩焼は李勺光と李敬兄弟により朝鮮の製陶技術を導入して始められ、
当時、唐物に代わって高麗茶碗が使われるようになったことから、
萩焼には高麗茶碗の影響を感じさせるものもある。
そうした伝統的な技法をふまえながら、
現代の作家たちは地元の素材を用いてそれぞれの萩焼を生み出している。
本特集では江戸時代の古萩から現代作家まで、約400年の歴史を持つ萩焼の多彩な表現を紹介する。