寺に生まれ、仏教研究者、そしてジェンダー研究者である筆者。
人間親鸞をこよなく敬愛するがゆえに、宗教的自立を探究するがゆえに、
親鸞における、そして仏教界における女性差別を鋭く問いただす。
日本人の女性差別観の根本を明らかにする画期的な一冊。
「親鸞は、わたしが浄土真宗本願寺派の寺に生まれたときから身近なものでした。
その親鸞、仏教をジェンダーの視点で考えることができたのも、フェミニズムのおかげです。
ジェンダーの視点をもちながら、親鸞思想をよりどころとして生きてきました」(本書「はじめに」より)
はじめに
第1章 東本願寺ギャラリー展での女性差別問題
経過
「大谷派の女性差別を考えるおんなたちの会」シンポジウム
真宗女性のつながり
第2章 わたしのターニングポイントーフェミニズムとの出逢い
専業主婦
フェミニズムとの出逢い
「女人五障」
「変成男子」
第3章 ジェンダーの視点で学んだわたしの課題
家制度
檀家制度下における業論
第4章 「女人禁制」
穢れ
「女人五障」も「女人禁制」
第5章 親鸞思想とわたし
親鸞との出逢い
世俗と仏法
第6章 宗教的自立
宗教的自立を阻むもの
宗教的自立とは
あとがき
第二波フェミニズムから半世紀。岐路に立つジェンダー関係と向き合い、暴力や権力を根源に迫って捉え直す理論の冒険・挑戦。人文・社会科学の垣根を越えた9論考!
現代社会には今なお根深い差別が存在する。「あからさまな」差別と対比され、あいまいな、無意識で見えにくいが重大な結果をもたらす差別を「マイクロアグレッション」として明確に位置づけ、その内容・メカニズムや影響、対処法を明らかにした、いま必読の書。
ベッカー「新家庭経済学」における女性労働の分析とその後のフェミニスト経済学の発展を丹念に追い,さらに社会的ケアの理論的分析,福祉国家におけるワーク・ライフ・バランスや家族政策等ジェンダー政策の精査を行う。ジェンダー,ケアの経済学の本格的著作。
序 章 福祉国家・市場・家族のジェンダー分析
第1部 「家族の経済学」とジェンダー
第1章 「新家庭経済学」における家族
第2章 フェミニスト経済学の成立
第3章 フェミニスト経済学における家族分析
補論 産業革命期イギリスにおける家族と児童労働
第2部 社会的再生産とケア
第4章 家族政策の主流化と経済的シチズンシップ
第5章 労働のフレキシビリティとケア
第6章 社会的ケアとケアレジーム
第7章 ドイツにおける家族政策の「転換」と企業の対応
第3部 福祉国家の変容と家族政策の主流化
第8章 新たな福祉政治の登場
第9章 日本におけるワーク・ライフ・バランス政策
第10章 ワーク・ライフ・バランスの射程
▲データによる実証分析とモデルによる理論分析の協演!
▲ビジネス・テック・政治といった他分野を越境するミクロ経済学
▲入門書や教科書の「先」を知りたい人のための新しいスタイルの研究書
昨年のノーベル経済学賞授賞対象となった「因果推論」。そうした学問的進展を踏まえながらも、経済学の伝統である理論分析をどういかすか。「ジェンダー」「プラットフォーム」「自民党」といった現代日本における喫緊のテーマを対象にして著者自身が携わった研究成果をまとめる。ミクロ経済学の「実践」の新たなる可能性を示す。
資料・用語解説から授業実践まで、調べ学習と活用のための手引き。小・中学生向き。
戦後の歴史教育では「家永教科書裁判」や「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書問題など、私たちの歴史観や歴史認識を問う問題が繰り返し議論されてきた。しかし、「ジェンダーの視点からの歴史教育や歴史教科書の見直し」はほぼおこなわれてこなかったといっていい。本書では、日本やアメリカの歴史教科書、はては科学史やミュージアムの展示方法。少女マンガまでをも射程に収め、国際比較や精緻な読み込みをとおして、歴史教育におけるジェンダーの欠落とそれをどう補うべきかを具体的に考察する。現代日本の歴史教育をジェンダーの視点から見直し、その視点を歴史記述・教育にどのように織り込むべきかを真摯に探る問題提起の書。
本書は「だれのための知識か」という根本的問いを、フェミニズム理論、教育社会学、批判的教育学の展開をふまえて読み解いていく。また「女性学になにができるか」を考える例として、メディアが描くプリンセス像の変容、災害と女性のエンパワメントを取り上げる。性別カテゴリーの枠を超えて、ローカルとグローバルをつなぎ、現代社会の課題をジェンダーの視点から照らし出していこう。
女性は違ったやり方で科学をするか?科学は公正中立か?教育の機会はジェンダー・フリーか?家事と育児は誰がするのか?数学にジェンダー・バイアスはかからないか?科学のフィールドから女性が排除される社会的・文化的背景を徹底的に洗いだし、ジェンダーの視点から新しい科学の可能性をさぐる。
戦時総動員体制、女性の戦争協力、そして「従軍慰安婦」問題ー再審される戦争の記憶を問い、ジェンダーの視点から『想像の共同体=国民国家』の解体を企てる、言説の闘争への大胆な参入。