第1部 「帝国」の暴力に抗する(空爆の思想に抗して
とむらいのポリティクス
ミニー・ヴォートリンへの六〇数年後の応答 ほか)
第2部 「女性国際戦犯法廷」の意義(トランスナショナル・フェミニズムの実践としての「女性国際戦犯法廷」
ジェンダー化された国家に抗してー「女性国際戦犯法廷」の挑戦
戦争体制に抗するトランスナショナル・フェミニスト・ネットワークの構築へ)
第3部 歴史を再審する(ジェンダー視点による東アジアの近現代史再考
女性と戦後思想
関東大震災と「日本人」-朝鮮人・中国人虐殺とは何であったか)
対談 大越愛子×井桁碧『国家暴力』とジェンダーー金子ふみ子=不逞者の思想
20世紀最後の四半世紀に、われわれは、国連の主催する一連の国際会議を通じて、国際法秩序のあり方が、ジェンダーを機軸に大きく転換しつつあることを経験した。女性差別撤廃条約と選択議定書は、そうしたなかで、ジェンダー視点から国際法学を再構築するための重要なトゥールと位置づけることができる。本書は、このような認識の下に、ジェンダー視点を縦軸に、女性差別撤廃条約選択議定書を横軸にして、フェミニズム国際法学の構築を試みるものである。
本書の直接的な問題関心は、二〇〇五年から二〇一五年までの時期を中心とした女性のM字就業の解体を中核的内容とする日本におけるジェンダー革命の端緒的展開の予測と二一世紀の世界史的なジェンダー革命の展望を明らかにするための歴史的・理論的考察である。そのためにフェミニズムの古典としてのボーヴォワール『第二の性』と、マルクス経済学の古典としての『資本論』とを比較検討しつつ、マルクスが検討しえなかった歴史と現状の資料、とくに性・生殖史と近現代の人口史の資料によって『資本論』を再検討する。
江藤淳を、優れた文芸批評家であると同時に、優れた文明批評家であると見ていた著者による江藤淳論。第一章では、戦後日本の「なんとなさ」に根ざすサブカルチャー文学と対峙し、厳密に選別を行っていた江藤淳の姿を、作品を通して分析する。第二章では、「来歴否認」をキーワードに、三島由紀夫、村上龍、村上春樹等の作家たちの作品と生き方が、さらには、サブカルチャーとして生き続ける著者自身の困難さが語られる。
スニーカー縫製工場と国際政治、女性兵士と家父長制、日常生活と国家安全保障の関係とは?“フェミニスト的好奇心”で加速する軍事化のしくみを照らし出す。
映画・文学・女性学等身大の女性たち。社会主義は女たちに何をもたらし、何をうばったか。丁玲、蕭紅ほか革命の時代を生きた作家たちや新世代による文学、映画などにみる女性の表象を通じて、中国女性の自由と解放への模索を、筆致豊かに描きだす。
現代日本におけるジェンダー革命の端緒的展開という本書初版の予測は労働力人口動態と2002年までの女性労働力率動向にもとづいたものであるが、基本的に的中しつつある。2002年以降フェミニズムにたいするバックラッシュが強まり、予想よりも若干進度が遅れたが、労働力率の最新動向は2015年までの女性労働力率の脱M字化予測を確証しつつある。第二版では、女性労働力率の最新動向を付加し、補注を行った(「第二版はしがき」より)。
フェミニズムの視点から、マルクス主義の批判と超克をはかり、新たな女性解放の理論構築をめざす試み。
女の生きる場へ、あるいは女性政策の現場から、〈多様性の響き合う共同性〉をめざして、フェミニズムの明日を語り続ける。
“女神よりは、サイボーグになりたいー”人間、機械、物質、非物質のハイブリッド生命体としてのサイボーグ女性像が開示する脱性差時代の生体政治学。D・ハラウェイ「サイボーグ宣言」完全収録。
中世から現代までに表現された美術の中の女性たちを、社会学・心理学・図像学等の成果を駆使し、フェミニズムの視点から綿密に再検討。美術における男性中心的な認識の枠組みに疑義を挾み、社会と文化とのあり方に変更を迫る。