巻頭ART
横尾忠則、大いに語る
──原郷から幻境へ、そして現況は?
[特集]日本人の戦後77年
[特集対談]
日本から知識人は消えたのか
竹内 洋×佐伯啓思
[特集座談会]
言論の戦後史
與那覇 潤×宇野常寛×佐伯啓思×先崎彰容
[特集論考]
佐伯啓思 「戦後日本」というニヒリズム
内山 節 個人と帰属
片岡義男 僕の戦後
苅谷剛彦 「戦後」という屈折
井上義和 戦死者とつながる時代
中島岳志 石原慎太郎という戦後
小倉紀蔵 道徳化する日本文化とその危機
[日本美術論]
古田 亮 近代日本美術の歴史と思想
[特別連載]
平川祐弘 日本近代の歴史思想 第二回
[論考]
山折哲雄 ヤスパース・アーレント・ハイデッガー
末木文美士 夢みる憲法
長谷川三千子 道元を読む(七)
中野剛志 妖怪と神様(一)
西平 直 「自得する」ということ
広井良典 ケアとしての科学
大黒弘慈 新自由主義と人間
亀山隆彦 日本密教における即事而真の哲学
荒川洋治 歌とことば
大森静佳 考える詩
吉岡 洋 美学のアップデート その(四)
先崎彰容 本居宣長の世紀(六)
寺下滝郎 ウクライナを「プリムローズパス」に誘ったのは誰か?
[コラム]
芦澤泰偉 装幀者=菊地信義 274
赤津孝夫 人を狂わすフライフィッシング 276
巻頭ART
横尾忠則、大いに語る
──原郷から幻境へ、そして現況は?
[特集]日本人の戦後77年
[特集対談]
日本から知識人は消えたのか
竹内 洋×佐伯啓思
[特集座談会]
言論の戦後史
與那覇 潤×宇野常寛×佐伯啓思×先崎彰容
[特集論考]
佐伯啓思 「戦後日本」というニヒリズム
内山 節 個人と帰属
片岡義男 僕の戦後
苅谷剛彦 「戦後」という屈折
井上義和 戦死者とつながる時代
中島岳志 石原慎太郎という戦後
小倉紀蔵 道徳化する日本文化とその危機
[日本美術論]
古田 亮 近代日本美術の歴史と思想
[特別連載]
平川祐弘 日本近代の歴史思想 第二回
[論考]
山折哲雄 ヤスパース・アーレント・ハイデッガー
末木文美士 夢みる憲法
長谷川三千子 道元を読む(七)
中野剛志 妖怪と神様(一)
西平 直 「自得する」ということ
広井良典 ケアとしての科学
大黒弘慈 新自由主義と人間
亀山隆彦 日本密教における即事而真の哲学
荒川洋治 歌とことば
大森静佳 考える詩
吉岡 洋 美学のアップデート その(四)
先崎彰容 本居宣長の世紀(六)
寺下滝郎 ウクライナを「プリムローズパス」に誘ったのは誰か?
[コラム]
芦澤泰偉 装幀者=菊地信義 274
赤津孝夫 人を狂わすフライフィッシング 276
[特集]日本人と信仰する心
仏教・八百万の神・天皇、日本人の奥底に息づく生と死の古層を探る
[特別鼎談]斎藤幸平×佐伯啓思
対極の論者が、時代を撃つ「資本主義」への異論のススメ
[特別鼎談]多和田葉子×岡田利規×塩田千春
小説家、演劇作家、アーティストの世界的に活躍する3人が、「恐れを形にする」というテーマで語りあう。
[巻頭アートシーン]世界的デザイナー、廣川玉枝が見つめる「皮膚のデザイン」とは
マドンナやレディー・ガガといった世界的著名人に衣装を提供した経験がありながらも、
あえてファッションデザイナーという呼称を避け、デザイナーと名乗って活躍する廣川玉枝。
[巻頭言]佐伯啓思
[巻頭アートシーン]
世界的デザイナー、
廣川玉枝が見つめる「皮膚のデザイン」とは インタビュアー=林信行
[特集]
日本人と信仰する心
[特集論考]
佐伯啓思 仏教と日本人の信仰心
佐藤弘夫 わたしたちの周囲にある小さなカミの眼差し
前田英樹 命に信仰の宿ること
三浦佑之 稗史『古事記』と正史『日本書』
大澤真幸 「“空気”の“空気”」を超えて
[特別対談]対極の論者が、時代を撃つ
斎藤幸平×佐伯啓思 「資本主義」への異論のススメ
[アート]
籾山昌夫 ロシア帝国の美術❷
[寄稿]
村上康文 mRNAワクチン接種は科学的に見直すべき
河崎 環 “青髭公”ジャニー喜多川の秘密の城
会田弘継 E・マクレランと江藤淳の『こころ』
泉 麻人 石立鉄男という人生
前田速夫 読むことは、書くこと
イザベラ・ディオニシオ 逍遥する日本文学
[特別鼎談]
多和田葉子×岡田利規×塩田千春 Shaping y/our fears 構成=押金純士
[アート]
松竹京子 私と小早川秋聲
[音楽対談]
岡田暁生×新保祐司 クラシック音楽は、賞味期限切れなのか
[論考]
末木文美士 世俗/カルト/霊性
長谷川三千子 道元を読む㊈
片岡義男 僕の戦後 その3
荒川洋治 いまも流れる最上川
苅谷剛彦 「大衆化」した大学と「中流」のゆくえ
吉岡 洋 美学のアップデート その6
先崎彰容 本居宣長の世紀㊇
平川祐弘 日本近代の歴史思想 第㊃回
[書評]
小田原慎治 努力の実現 荒川洋治著『文庫の読書』
[コラム]
寺下滝郎 トラジック・リアリズム
大畑峰幸 バイロイト音楽祭の二人の巨匠
芦澤泰偉 デザイン修行は味噌汁作り
赤津孝夫 日本列島の自然
脳腫瘍や脳血管障害、外傷、変性疾患、認知症、感染症、代謝性疾患、先天性疾患など脳神経内科・外科領域の疾患を臨床での遭遇頻度によって3段階に分類して掲載しています。
初めに紙面とWeb動画に掲載した症例情報と画像所見から診断名を想像して、実力を試してみましょう。
その後、疾患の疫学的な知識や画像診断のポイント、治療法と本文を読み進めることで、研修医レベルから専門医レベルまで段階を追って学習できます。
私はどのように死ねばよいのか? 七十歳を過ぎた稀代の思想家が、自らのこととして死と向き合った。欧米の「生命尊重主義」では、とてもじゃないが穏やかに死ねない。ヒントは古からの日本人の死生観にあるにちがいない。自然信仰を探り、日本仏教の「死と生」の関係を見る。西洋とは全く違う「死にかた」を知った時、私たちは少しばかり安心して旅立てる。
油田を掘り当てた人物は安宿で死に、ビジネスマンたちは掘らずに巨万の富を築いた。産業vsビジネス、それが19-21世紀の歴史だったー。46の名著も学べる経済と人類の歴史。
本書では、4つの「入出力設計」(画面/帳票/DB/外部連携)と2つの「機能設計」(オンライン/バッチ)を定義・整理し、これら設計に焦点を当て、作業手順に沿いながら具体的解説を進めます。
さらに、これら設計の前作業や、次行程のアーキテクチャ設計までを視野に入れ、体系的に理解できるように解説。
新人からベテラン、担当エンジニアから管理者まで、
システム設計に携わるすべての人が知っておくべき内容を網羅しました。
本改訂版では、2013年5月に発刊して4年を経て、システム設計を取り巻く環境や、システム設計の立ち位置が変化したため、それに対応した内容の改訂を実施します。
本文全体の見直しと、以下の観点を中心にした項目の追記やリライトを実施します。
・サービスデスク
・インシデント管理(問題管理、変更管理、構成管理)
・サービスレベル管理
・運用管理項目
・定期的なオペレーション
・非定型オペレーション
・API設計について
■第1章 設計の謎
●1.1 設計の謎
●1.2 設計の範囲・定義
●1.3 よい設計
●1.4 課題・未決事項
●1.5 本書の構成
■第2章 設計へのインプット
●2.1 本章の全体像
●2.2 業務要件
●2.2 機能要件
●2.3 データ要件
●2.4 外部連携要件
●2.5 システムの状態遷移
●2.6 非機能要件
■第3章 設計する前にやるべきこと
●3.1 全体設計・システム構成
●3.2 アーキテクチャ方針
●3.3 標準
●3.4 共通
■第4章 アプリケーション設計としてやるべきもの?
●4.1 アプリケーションの複雑さ
●4.2 機能の粒度
●4.3 入出力設計
●4.4 処理詳細設計
●4.5 整合性確認
■第5章 アーキテクチャ設計としてやるべきこと
●5.1 アーキテクチャ
●5.2 システムアーキテクチャ
●5.3 アプリケーションアーキテクチャ
●5.4 アーキテクチャ設計上のポイント
■第6章 本書で得た知識を現場で活用するために
●6.1 詳細設計工程
●6.2 アジャイル開発との関係
■付録
●A1 演習の回答例
●A2 参考図書
高度市場社会の表層に乱流するさまざまな現象の雑踏にわけいり、これらの社会現象の意味を時間論と交差させて読み解く。
『隠された思考』『時間の身振り学』で新しい思想のフィールドを開拓した著者が、再び大衆消費社会の歴史と現在をトータルに論じた3部作完結篇。
電子メディア情報が創る擬似体験の連続が、人々から“確かな現実感”を奪い始めた。“情報地球主義”の本質をどう捉えるかを問う現代文明批評。
産業文明の衰退と市場社会の高度化を表裏一体のものとしてとらえ、今日の時代の転換相を読み取り文明論的考察。
従来の経済学の知的遺産を命題の形で解説すると同時に、今日の資本主義社会を理解する上で必須のJ.ボードリヤール、G.バタイユなどの論点も含めた経済学命題集。
貨幣論なき貨幣経済が支配し、自由論なき自由主義、個人論なき個人主義が標傍される現代社会。そのなかで、さまざまな〈技術〉と〈遊び〉の〈演技する知識〉だけが饗宴をくりひろげているのが、ポストモダンの知の風景である。本書は、その饗宴の向こう側へ旅立つべく、知識論と社会論の交差する地点に、現代社会の〈隠された思考〉を浮かびあがらせんとする力作論考である。サントリー学芸賞受賞。
社会を支えていたはずの政治・経済・教育・家庭といった基盤が、崩壊の危機に瀕している現代日本。アメリカが強く掲げ、戦後日本が導入した「デモクラシー」とは、壮大なるフィクションだったのであろうか。敗戦から半世紀、わたしたちは「戦後民主主義」の名のもとに、「自由」「平等」という言葉の内に潜む危うさを意識的に回避してきたのではなかったのか。社会に「共有の価値」が失われたとき、「自由なる個人」は、一体どこへ行くのか。経済思想、社会思想の研究から現代文明批判、社会批判へと展開を広げる著者が、現代日本の病理を描き、戦後民主主義五十年の大いなる錯誤を突く。
「市民」のためと銘打つ政党が結成され、また、外国人ジャーナリストによる官僚社会批判が「市民運動」のテキストとしてベストセラーとなる現代日本。そこで描かれるのは、権力を我がものとする官僚VS.「市民」が主役の民主主義、という構図である。「市民」が、単なる「都市の住民」であることを超えて、神聖な存在に祭り上げられた思想的背景とは何だったのだろうか?戦後日本の思想の歪みを鋭く衝いた意欲作。