「オフィーリア」は、シェイクスピアの『ハムレット』に出てくるハムレットの恋人で、まわりの男性に振り回されて自分を見失い、哀しい最後を迎えてしまう。そして現代のアメリカの少女たちもまた、オフィーリアのように自分自身を見失い、苦しんでいる。そんな「オフィーリア症候群」に陥り、苦しんでいるアメリカの少女たちの「生の声」が、この本にはびっしり詰まっている。彼女たちは驚くほどに、自分をまっすぐ見つめている。
すべてのビジネス書を疑え!ハーバード・ビジネススクール教授の異色のマネジメント論。
十歳のろうあの黒人少年デクスターは凶悪殺人の罪により禁固五十五年を言い渡された。金欲しさで通り掛かりの老女を射殺したのだ。二年後。判事助手として働くノーラは判事から、この事件の上訴を棄却するよう命じられる。上訴は有罪を不服とした彼の祖父が起したものだった。訴状を見たノーラは驚く。祖父カールはなんと二軒隣の住人だった。法律家は担当事件の関係者との接触が禁じられているにも拘わらず、好奇心を抑えられない彼女はカールに会いに行く。そして、調べるうちに事件が冤罪ではないかという疑問を抱き始めるのだが…実力新人が放つ、大型社会派サスペンス。
冬の終りのある日曜の午後、テレビのゴルフ番組を見ていた著者は、すばらしいことを思いついた。息子たちにゴルフを教えよう。かつて自分が愛したゲームを、家族として一緒にプレーすることをとおして、息子たちにさまざまなことが教えられるにちがいない。それはきっとゴルフというゲームのみならず、人生というゲームの本質を理解する手助けになるはずだ。そう考えた著者は、思いつきを実行に移す。息子たちをゴルフ・ショップへ連れていき、クラブを買い与え、練習場に通い、コースをまわる。だが、なかなか思いどおりにいかない。それどころか、息子たちが見せる予想もしなかった態度に、悩んでは立ち止まり、何度も考えることになる。父親と息子という関係は、しばしば一筋縄ではいかないし、難しい面もある。だが、それらの間には、途方もなく大きな可能性がひそんでいる。本書に語られているのは、父親たちと息子たちがともに楽しんだ物語である。ゴルフという偉大な伝統あるゲームがもたらした、魔法の時間を追った記録である。
学校にまかせきりでいいですか?親にしかできない子どもの能力の伸ばし方。たくさん話をさせようー言語能力、ピントはずれな考えでも否定しないー独創性、子どもの「なぜ?」には自分で答を探させようー分析力、大きすぎる夢でもそれを支持しようーやる気、自分を信じることの大切さを教えようー野心、子どもの好奇心にはつねに寛大でいようー探求心。人生を幸せに生き抜く力を身につけさせるために。
初歩のサンスクリット学習者に役立つように作られた辞書。約八千の見出し語が収録。基本語と初歩のサンスクリット研究者に必須の単語はすべて網羅されている。
来たるべき民主主義にとって政治的決定の根拠は何かという現代政治の核心をなす問題をめぐる白熱の討議。脱構築(デリダ)対プラグマティズム(ローティ)を軸に、多様性と対立を尊重する「多元的民主主義」による政治の転換をめざす。
2003年5月、「マジシャン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。マジック界で世界の頂点に立った男、緒川集人のすべてがここに。
マリー=アントワネットの朗読係をつとめる女性の眼を通してあざやかに描かれるヴェルサイユ運命の三日間。フェミナ賞受賞小説。
分子レベルの神経科学から言語、意識、知識、真理の問題などの認知神経科学まで、磁気共鳴画像法によるデータや哲学をはじめとする学際的な知見にもとづく唯物論を精緻に展開。
学校の先生は、ペドフィル(小児性愛)かもしれない…ある疑惑をめぐり、N.Y.のミッションスクールでは「説教バトル」が繰り広げられてゆく。本年度ピュリツァー賞、トニー賞受賞作品。
海洋政策研究財団は、多方面にわたる海洋・沿岸域に関する出来事や活動を「海洋の総合的管理」の視点にたって分野横断的に整理分析し、わが国の海洋問題に対する全体的・総合的な取り組みに資することを目的として「海洋白書」を創刊している。その海洋白書が、今年で第3号となった。これまでと同様、3部の構成とし、第1部では特に本年報告したい事項を、第2部では海洋に関する日本および世界の1年間余の動きを、それぞれ記述して、第3部には、第1部および第2部で取り上げている課題や出来事・活動に関する重要資料を掲載した。今年の白書の第1部は、海洋の経済的価値を考察している。簡単なことではないが、環境の経済的価値についても記述した。また、スマトラ島沖の大地震による巨大津波があったのが1年余前であるが、あらためて、海洋にかかわる科学と防災について記述した。
受刑者の子として監獄で生まれたフランソワーズ・ドービニエが、ルイ十四世とモンテスパン夫人の庶子の養育係となり、やがて王妃マントノン夫人として王の晩年三十年間を支えるに至る数奇な生涯を、緻密な時代考証と一人称の文体で生き生きと語る、大河小説の魅力あふれる疑似回想記。