日本文化の性差別解体にむけてのフェミニズム批評実践。
遺伝子技術をはじめとする現代科学の生命観はいかなる文化的・社会的起源を有するものなのか。言語をめぐる問題を視野に収めつつ、「ジェンダーと科学」論の第一人者が新しい科学と生命観の可能性を提示する。
コンパラブル・ワース運動のケース・スタディにもとづいて、コンパラブル・ワースが、階級運動とジェンダー運動を統合した労働者・フェミニスト同盟の形成に対してもつラディカルな可能性を探求する。
知りたいのは、自分がどう生きるか、です。結婚したHanako族は子供を産み、「主婦」を捨てた…話題の『夫婦別姓』から、教育、家族問題まで新世代の女性たちを解剖する。
生殖技術をめぐる「生殖・技術・言論」の三層とジェンダーとの錯綜した関連を解きほぐす。漂流する「女性の自己決定権」はどこへ向かおうとするのか。
家庭を守りながら、企業や政府を出し抜いて「もうひとつの経済と社会」のあり方を、未来先取り的に呈示する女性たちの姿を克明に描く。
あなたの生き方を「男社会」に迎合させる必要はない。枠組に囚われないしなやかな生き方を提唱する書き下ろしエッセイ。
リオ環境開発会議(1992)、カイロ人口会議(1994)、北京女性会議(1995)の焦点、リプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)を地球生命系の観点から捉え直す。
本書は、現代の最も重要な社会革命のひとつであるアメリカ・フェミニズム運動の鮮烈な記録である。人間的誠実と政治的策略、情熱と野望、勇気と裏切りに満ちた叙事詩的ドラマであり、フェミニズム革命の内幕が-男性中心社会の過酷な迫害に耐えて革命を成し遂げた女性たちやその犠牲になった女性たちの生きざまを通して-赤裸々に描かれている。ベティ・フリーダン、グローリア・スタイネム、ジャーメイン・グリーア、ケイト・ミレットらの思想や活動にスポットが当てられ、1960〜70年代に起きた驚異的な事件の数々が迫真のリアリティをもって展開されている。
母は男たちによって、いつも幼い日の夢とともに語られてきた。だが、娘にとっての母は、男たちが語ってきたような、郷愁としての母物語ではありえない。娘にとっての母とは何か。今、母にとっての娘とは…。女と女の関係、女同士の影響と絆、母娘関係の葛藤の深層。変容する「母」とそのメタフォアを分析しつつ、「女という存在」を問い直す。
日本仏教の性差別をフェミニズムの視点から鋭く分析する。
フェミニズムとセラピーの出会い。「女らしさの病」からの脱出。ハマらなくても生きていける。今日の研究水準を示す労作。