近年、“主体性”を持った人材が社会で広く求められており、教育界もまた、“主体性”を持った人材の育成に取り組んでいるーしかし、その“主体性”とは一体何なのか?本書は、これまで曖昧なままにされてきた“主体性”に鋭く切り込み、“主体性”が強く求められることで生じるパラドキシカルな今日的課題についても示唆する。“主体性”に関わる教育界・産業界の方々、また教育から労働へと移行する学生、必読の書。
“現代社会を快適に生きる答え”は、20年以上年前に出ていた!
「脳の世紀」といわれる21世紀社会の正しい生き方とは?
20年以上に行われた養老孟司氏の講演録だが、
それは現代を予見している内容であった!
本書は、20年以上も前に行われた養老孟司氏の講演録をまとめたもの。
「意識は、なぜあるのか?」「 人間は死んだら『モノ』なのか?『ヒト』なのか?」「人間は『人工身体』と『自然身体』の二つのからだを持っている」「 人工(脳)と自然(身体)との釣り合いこそ重要である」「 人間は、意識だけでできているわけではない」「『男』と『女』という言葉ができたとき、性の連続が断ち切られた」「人間は、自分ができることの説明ができない」「 子どもを育てるとは『手入れ』をすること」「『ああすれば、こうなる』だけになった現代社会」という9講演を収録している。
日本語の中にどっぷりと浸かってきた私たちは、ほとんど意識することもありませんが、これほど変わった言語など、いったい世界のどこにあるというのでしょうか。(…)
使用する言語が何語であるかによって、その人の感性も知性も、そこに形成される思考もすべてが大きく変わってきます。そうした次第は、第一章からすぐさまお話ししてゆくつもりですが、いずれにしても、言語が私たちにとってどれほど重要なものであり、それに関する知見を深め、それに習熟することがどれほど大切であるのか、このことを本書の全体から感じとっていただければ幸いです。
それについては、昨今の「ChatGPT」など「生成AI」の発達により、やがて各言語間の障壁もなくなり、文章の作成もおまかせできるようになるだろうとバラ色の未来を考える向きもあるようですが、それはとんでもない思い違いというもの。もちろん、こうした新しいツール類にはいろいろと便利な使用法があり、時にAIから表現を学ぶこともあるでしょうが、つまるところ、文章をおまかせにすれば、思考そのものをおまかせすることになり、結局は「自分の頭で考えない」クセをつけることになるでしょう。すでにして自力で「考える」まえにネットで「検索する」ことを身につけてしまった現代人にとって、「おまかせ」は「思考停止」の終着点でしかありません。
さて、そうならないためにも、私たちはまずもって、思考と言語とがどのように関係しているのか、そのあたりのことを明らかにしておかねばなりませんね。では早速、言語について問うことから始めましょう。
プロローグ「日本語はおもしろい」より
プロローグ 日本語はおもしろい
第一章 日本語が見せる世界とは
第二章 日本語はほのめかす
第三章 日本語は惑わせる
第四章 日本語は拡張する
第五章 日本語は交雑する
第六章 日本語はつねに顔つきを変える
第七章 日本語の未来に向けて
エピローグ 「感情的な日本語」とは何か?
「記録された情報」「文献となった情報」の生産・流通・利用について、英米の代表的な論文を集め、情報学研究の理論的基礎を明示する。
ここ数年、サリン事件、薬害エイズ問題など、科学技術と社会の相互関係の再考を求める事件・事故が相次いでいる。そして、科学技術は社会から孤立するのではなく、企業活動、教育、環境問題など、さまざまな社会活動と密接な関係を持つべきであるという市民からの期待が高まっている。科学技術は社会との関連においてどのような姿であるべきか。また科学技術を含む知的な生産活動のスタイルはどうあるべきか。本書では、新しいコンセプト『モード』を導入することで総合的観点から考えてゆく。
自分の好きなことを発見し、人生をできるだけ有利に生きること、それが一つの合理性。「いい子」は「戦略」を持っていなければならない。
ゆとり教育推進VSゆとり教育反対。「教育改革の旗手」と「受験の神様」による大論争。
昨今、改めて論じられる「英語公用語化論」。そもそも日本人にとって英語とは何なのか。21世紀にいかなる言語は広がり、いかなる言語は消えていくか。本書では、IT(情報技術)の急速な発展、政治的・経済的グローバリゼーションによって、大きな変質を迫られている「われわれの言葉」のゆくえを、英語との関係、インターネット多言語処理環境、さらに機械翻訳など最新のコンピュータ技術の動向をふまえて論じる。世界中を巻き込んで、いまホットな論争を呼び起こしているテーマのイロハを、誰にも分かりやすく、丁寧に説明する絶好の概論書。
ことばは知識ではなく、体験である。ことばを育てる体験とはー「折々のうた」の著者・詩人が語りつくした、生きた日本語の世界。
「革命と戦争の世紀」といわれる二十世紀は、また「言語の世紀」でもあった。近代国家が誕生し機能するためには、コミュニケーションによる国民の統一、国民語の完成が不可欠だったからだ。われわれの「国語」はかなり強引な形で成立せざるをえなかった…。長い歴史を背負う一方、国家の要請、大衆化の波にさらされてきた近代日本語の運命を、広く文明論の立場から論じあい、国語教育について具体的な改新案を提示する。
トラウマをもつ人をケアすることは、自分自身がまた傷つくことでもある。外傷性ストレスがケアの対象として定着した米国では、ケアを行う者への支援が重要な課題となっている。本書は、二次的外傷性ストレスの予防と治療という新たな問題について、米国のトラウマ研究や臨床に関わる第一線の執筆陣が、あらゆる角度から議論を展開している。
第1部では、「公」の分野を「官」から取り戻すべく、それぞれの現実世界で活動しておられる方々や、新しい「官」のかたちを模索している方々が、それぞれ、どのような思い、志でその活動を進めているのかを、実際に生じている問題点とともに執筆。第2部には、目加田、菅谷、村尾各氏が、お互いに議論を重ねながら本書の構想を練っていた際に、それぞれが関心を持っていたテーマを掘り下げて執筆している。
英語ができるだけじゃ足りない!社会を語り、文化を論じ、人を見つめる、国際コミュニケーションに欠かせないセンスを養うヒントがぎっしり詰まった著者渾身の書。
発展途上国の貧困を削減することは、現在、国際連合や世界銀行など国際社会における援助政策の最終目標に位置づけられている。その中で、貧困削減目標の核心の1つとして基礎教育の普及があげられ、教育に代表される人的資本蓄積に注目が集まっている。本書は、貧困削減の鍵として人的資本の蓄積が果たす役割や、その役割を効率的に実現するために望ましい政策・制度設計について、ミクロ・マクロ両面から理論的・実証的に分析したものである。特に、ミクロ計量経済学のアプローチを貧困削減政策に応用することで、理論的に厳密であるだけでなく、開発途上地域の家計や教育従事者の行動について客観的に分析することが可能となっている。
バナナ・ペーパーが地球を救う、エコロジー・デザインの実践!バナナの香りを封入したバナナ・ペーパーも挿入。