中絶の権利と胎児の生命に対する配慮は両立できるのか。フェミニズム思想の深化をめざして、リベラリズムとの差異を明らかにする。
フェミニストが主張する「私の身体は私のもの」と、リベラリズムの身体の自己所有の概念とは同じものか。それぞれの特徴を探る。フェミニズムは「女の身体は女のもの」という中絶の自由の主張を、リベラリズムの権利の概念を用いて正当化してきた。しかし胎児の生命のとらえ方をめぐって、リベラリズムに対していらだちや違和感をかかえこんでいる。女性の権利と胎児の権利の衝突をどう調停すればよいのかを考え、二つの思想の特徴を明らかにする。リベラリズムを批判的に相対化しようとする試み。
はしがき
序章 産む産まない権利とリプロダクティブ・フリーダム
1 中絶の権利の諸問題
2 リプロダクティブ・フリーダムと中絶の「権利」
1 フェミニズムとリベラリズムの相克
第一章 井上達夫・加藤秀一の論争
1 中絶は権利葛藤問題か
2 論争のすれ違いが意味するもの
2 身体を所有する権利をめぐって
第二章 所有権としての中絶の「権利」
1 身体の自己所有の原則
2 所有権による中絶の正当化1--パーソン論における中絶の「権利」
3 所有権による中絶の正当化2--ジュディス・トムソン「人工妊娠中絶の擁護」
4 所有権に対するフェミニストの異議ーー「胎児の両義性」の主張
第三章 身体的統合の平等としての中絶権ーードゥルシラ・コーネルの試み
1 身体的統合の権利と中絶
2 コーネルは所有権を乗り越えたか
第四章 「身体」の再編
1 <対象としての身体>から<私が存在する身体>へ
2 胎児と「私の身体」の境界
3 <私の身体は私のもの>再考
3 プライバシー権をめぐって
第五章 公私の分離原則とプライバシー権
1 正の善に対する優位
2 中立性の原則
3 個人の独立性
4 プライバシー権としての中絶の位置づけ
5 フェミニストのプライバシー権批判
第六章 「ケアの倫理」とリベラリズム批判ーーキャロル・ギリガンの『もうひとつの声』
1 もうひとつの声
2 ケアと正義(リベラリズム)をめぐる論争
3 ケアの倫理と再生産責任
第七章 宗教的自由としての中絶の「権利」--ドゥオーキンの『ライフズ・ドミニオン』をめぐって
1 「価値」問題としての中絶
2 「宗教的自由」論はプライバシー権批判をのりこえたか
終章 リプロダクティブ・フリーダムに向けての課題
1 リベラリズムとの決別
2 フェミニズムと「孕む」ことーー「生命倫理学」を超えて
3 リプロダクティブ・フリーダムに向けての課題
4 リベラリズムとフェミニズムの今後
あとがき
参考文献
索引
江藤淳を、優れた文芸批評家であると同時に、優れた文明批評家であると見ていた著者による江藤淳論。第一章では、戦後日本の「なんとなさ」に根ざすサブカルチャー文学と対峙し、厳密に選別を行っていた江藤淳の姿を、作品を通して分析する。第二章では、「来歴否認」をキーワードに、三島由紀夫、村上龍、村上春樹等の作家たちの作品と生き方が、さらには、サブカルチャーとして生き続ける著者自身の困難さが語られる。
スニーカー縫製工場と国際政治、女性兵士と家父長制、日常生活と国家安全保障の関係とは?“フェミニスト的好奇心”で加速する軍事化のしくみを照らし出す。
ヒステリー患者「アンナO嬢」ことベルタ・パッペンハイムの生涯。ユダヤ女性解放運動を進めた指導者の全体像と時代との相克を明らかにする。
古代シュメールの時代からバイアグラによって「勃起産業」が誕生した現代に至るまでの長い歴史、人間とペニスとの関わりをさまざまな視点から論じる。世界18か国で翻訳出版された話題の作品。
映画・文学・女性学等身大の女性たち。社会主義は女たちに何をもたらし、何をうばったか。丁玲、蕭紅ほか革命の時代を生きた作家たちや新世代による文学、映画などにみる女性の表象を通じて、中国女性の自由と解放への模索を、筆致豊かに描きだす。
『アンアン』等の80年代雑誌文化は「フェミニズムのようなもの」だった。「女の時代」と言われたあの頃の空気は、なぜ退潮したのか?林真理子、上野千鶴子らに焦点を当てて検証する。
フェミニズムの今日の課題は何か。欧米のフェミニズム論争の主要な見解を明示、対立と不一致を丹念にときほぐして進歩の可能性を探る。
第3の年齢、サードエイジと呼ばれる50歳からの季節は、すべてのしがらみから解放され、ありのままの自分としてもっとも輝くすばらしい時だ、と著者パトリシアは語る。ところが現実は、思春期の悩みにも似て、迫り来る夕闇に慄きつつ、揺れ動く心。巷に溢れるアンチエイジングの情報を追いかけても、置き去りにされた心はどこか空虚だ。ワインのように、年を重ねるなかで熟成され、芳醇な味のある人生への糸口は、裸の自分自身と向き合うことであると著者は諭す。心理学者である彼女の視点は、あなたの奥深くに眠る人生のもうひとつの扉を開けるヒントを与えてくれるに違いない。高齢化社会・フェミニズムの先進国スウェーデンで評判の書である。
経済と福祉をトレードオフさせず、自由と保障の両立をめざす「基本所得」構想の社会哲学。市民権に基づく個人の権利として、属性や地位に関わりなく、誰にでも無条件に支払われる「ベーシック・インカム」。財政面からも倫理面からも批判が強まっている「保険と扶助」型の社会保障に変わりうるものとして注目されるこの構想を、自由至上主義、社会民主主義、フェミニズム、エコロジズムなどの立場とクロスさせ、それはどこまで支持され実現可能なのかを丁寧に描く。
決着をつけましょうー。当代を代表するフェミニスト二人が、フェミニズムについて徹底的に語りあった。「夫婦別姓は支持しない。」「リベラリズムはフェミニズムの敵である。」「援交と新・専業主婦は、家父長制につく白アリである。」「老後は女どうしで、という欺瞞。」…etc.今、あなたのフェミニズム観は、根底から覆る。
ポスト構造主義による安定的な主体の概念の解体は、フェミニズムに何をもたらすのか。われわれが自らの性的位置づけを選びとるに至る無意識の過程をめぐり、ラカンは男女2つの性を対立的なものとして捉えない図式を打ち出した。ファルス中心主義として激しい批判にさらされてきたラカン理論のなかにフェミニズムの進むべき新たな道をさぐる。
一九九〇年頃までのフェミニズムは、学習と組織化と浸透の段階にあった。九〇年代はフェミニズムが政権の中心を占め、上からの意識革命を進めた時期である。二十一世紀に入ると、フェミニズムを甘く見たり油断していた男性や保守層が事態の深刻さに目覚め、反撃を開始した。一つの教義体系となっているフェミニズムと戦うためには、その方法論的・理論的間違いを論破しなければならない。本書にはフェミニズムのどこが間違っているかが、理論的・方法論的に整理され、正しい理論が提示されている。
第3巻は、環境や環境問題が人間の生活にどう関わるのか、環境破壊が生活にどのような打撃を与えてきたのか、それに対して、人間や社会の側がどのように生活を守り、環境を守ろうとしてきたのか、についての重要論攷を体系的に精選・抜粋し編集解題を付した。
本叢書は、COE研究会(公開研究会・学内研究会)や国際シンポジウム等の成果をふまえ、ジェンダー法学・政治学に関する最高水準の理論と最新の情報とを提供することによって、世界と日本の男女共同参画推進に役立つことを目的としている。