儒教文化に基づく女性規範と見なされてきた「良妻賢母」は、近代が生み出した伝統であることを緻密に解明。近代中国女性史に新しい視座をひらく。
新型コロナ・パンデミックの彼方に
文化芸術・世界遺産の国・オランダの素顔 2018年夏・オランダ紀行
新型コロナ・パンデミック(世界大流行)が地球を覆い、人類の生存そのものが脅かされている。武器を捨てて緑の種を育てよう。地球(自然)共に生きる「ワンヘルス」アプローチ、性の多様性を認めあえるジェンダー平等の社会がいい。オランダも日本も虹色の未来を見つめて人類の旅は続く。
「男らしさ」「女らしさ」をめぐる労務の課題と実務の最適解がよくわかる。人事労務担当者はもちろん、部下を持つ管理職のテキストとしても使える!
第二次大戦やヴェトナム戦争、9・11期にいたる映画のなかの“性”は何を語るのか?『レベッカ』から『真夜中のカーボーイ』、『羊たちの沈黙』まで。
フセイン政権から女性を「解放」し民主化の実現を掲げたアメリカ主導のイラク戦争から十数年、戦争によってイラク女性は「解放」されたのだろうか。占領統治の女性政策、「民主的」選挙の実情、イスラーム主義勢力の宗派対立と女性の処遇など、様々な側面から女性を通して戦後イラクの実態を分析する。
「従軍慰安婦」の存在は周知のものだったにもかかわらず、一九九〇年代の当事者による告発まで、なぜ彼女らの存在は「見えて」いなかったのか。「慰安婦」問題がつきつけるすぐれて現代的な課題を、フェミニストとして真正面から論じ話題となった著書に、戦争・国家・女性・歴史にかかわるその後の論考を加えた新編集版。
トランスジェンダーの著者が、昭和末から平成の時代に新宿の女装バーへ通った日々の日記小説。性的マイノリティーへの理解が乏しかった時代に、苦しみ、悩みながらも仲間と出会い、自らの心のままに生きてきた体験をもとに書き上げた作品。偏見に満ちた世間の目をかいくぐりながらも、性をトランスすることでバイタリティーをもって、したたかに生きてきた人々がかつて存在したことを知ってほしい。
「女/母」の身体性から、いまフェミニンの臨床哲学を拓く。マイノリティ諸当事者の問題に対峙し、フェミニズムのポスト構造主義ジェンダー論からクィア理論の問題意識へと踏み込み、新たな倫理的価値軸と主体像を模索する。
文学はどのようにして「男の仕事」となったのか。日本近代文学の自立過程は、そのジェンダー化のプロセスでもあった。ホモソーシャルな読者共同体の成立にいたる転換を鮮やかに描き出すとともに、そこにおける漱石テクストの振る舞いを精緻に分析。
芸術とは何か?天才がイメージさせるのはいかなる人物か?芸術と工芸との境界とは?プラトンにまで遡る理論言説の小史をジェンダーという視点から振り返り、美をめぐるその思考のうちに暗黙裡に潜む、男性的/女性的という、二項対立的な概念体系の伝統を批判的に解明。そして今、もはやそれら過去の規範では解釈しきれない現代アートについてどんな言葉で語りえるのか、フェミニスト・アートを具体例にみながら、美学の新たな可能性を探っていく。
自分を恥じたり嫌悪することなく生きたい
韓国発、トランスジェンダー当事者が語るコミックエッセイ
2人のトランスジェンダーが
セクシュアリティについての悩みや解決策をオープンに綴る
トランスジェンダーの男性マラン、トランスジェンダーの女性シャイエン。2人の当事者がオープンに語る、韓国生まれのコミック・エッセイ。
多くの人と同じように、この2 人もそれぞれの幸せのために一生懸命生きていて、ときには失敗することも間違うこともある平凡な人たちです。ただ違うのは、セクシュアリティに対する悩み が続いているということ。
自分のセクシュアリティに悩む人、セクシュアル・マイノリティの声を聞いて応援したい人に、新たな学びと勇気を与えてくれる、等身大の温かな物語。
本書は2020年12月に韓国の同一の出版社から同時に発行された2冊の本を1冊にしたものです。著者の二人、マランとシャイエンはそれぞれトランスジェンダーかつ性別違和(以前は性同一性障害という診断名)を抱えたことで、性別移行しました。その移行過程をメモワール/回想録として描いていますが、それだけでなく、移行する前後や途中で感じたり考えた「様々な思い」をも描いています。
多くが平坦な人生ではない性別違和を抱える当事者にとって暗闇の中の小さな「明かり」になるように、また性別違和が何なのかよくわかっていない人々へ当事者の実態を示すために、この本は出版されました。
誰もが容疑者。誰もが当事者。
性にまつわる犯罪……ジェンダー・クライムは連鎖する。
土手下に転がされていた男性の遺体。
暴行の痕が残る体には、メッセージが残されていた。
「目には目を」
なんと男の息子は、3年前に起きた集団レイプ事件の加害者だったーー。
次々現れる容疑者、そして新たな殺人。
罪を償うべきは、あなたかもしれない。
天童荒太の原点回帰にして、記念碑的作品!
なぜ車輪の発明からスーツケースにキャスターがつくまで5000年も要したのかーこれは名だたる経済学者・思想家も思案してきた謎だ。「男性はかばんを自力で持つべき」「女性の長距離移動は制限されるべき」こうした社会のジェンダー感に変化が起きた時、スーツケースは転がり始めた。男らしさ・女らしさに関する支配的な通説がどうして、今からすれば「単純な」発明を妨害できるほど強固だったのだろう。いったいどうして、お金を稼ごうとする市場の欲望より頑固だったのだろう。そしてこんな乱暴な考えが、業界を世界規模で変えるであろう製品の可能性を見失わせるのはなぜなのか?このような疑問が、本書の核である。私たちは、ジェンダーの観点からイノベーションについて考えることに慣れていないのだ。
小論文受験の圧倒的ロングセラーが一新! AIなどの最新トピックも満載。
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[本書の特長]
すべての受験生に、いま必要な頻出テーマが面白いほどわかる!
■わかりやすい解説と豊富な意見例で、小論文に自信がつく!
■一目でわかる要点ページで、すばやく出題傾向をチェック!
■ミニ用語事典として使える「関連キーワード集」ページつき。
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■プロローグ:小論文の書き方
■テーマ1:グローバル化
■テーマ2:少子高齢化・人口減少
■テーマ3:環境・科学技術
■テーマ4:人権
■テーマ5:教育
■テーマ6:女性・ジェンダー
■テーマ7:ボランティア・福祉
■テーマ8:大学・学問
■テーマ9:現代における他者とのつながり
■テーマ10:現代の医療
■テーマ11:食
ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』の問題意識を共有しながら、社会調査や計量分析を基に、日本における文化的オムニボア(文化的雑食性)という特性を浮き彫りにする。そして、日本で文化の再生産が隠蔽されてきたメカニズムを解き明かす。
人種やジェンダーをめぐる差別・不平等は、グローバル資本主義の構造と深くかかわって、全世界的な社会分断を生んでいる。差別問題に正面から切り込んだトマ・ピケティの論考をはじめ、国際的な識者たちが問題の深淵と解決への道筋を語る、最先端の論集。
訳者序文[尾上修悟]
第一章 人種差別の測定と差別の解消[トマ・ピケティ]
第二章 キャンセルカルチャーーー誰が何をキャンセルするのか[ロール・ミュラ]
第三章 ゼムールの言語[セシル・アルデュイ]
第四章 資本の野蛮化[リュディヴィーヌ・バンティニ]
訳者解説[尾上修悟]
1990年代前後に来日した、移民第二世代の若者たち。その人生を振り返り紡いでくれた170名のひとりひとりの歴史、悩み、将来の夢から、直線的でも一様でもないホスト国日本への適応過程とその要因、世代間にまたがる文化変容の型がみえてくる。
もし夫の胸から「母乳」ならぬ「父乳」が出たら!?
PMS(月経前症候群)を体験できるサーフボードがあったら?
旧来的な性別役割をユーモラスにひっくり返す、想像力にあふれた小説集。
【著者略歴】
山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら)
1978年福岡県生まれ。2004年「人のセックスを笑うな」で第41回文藝賞を受賞し、作家としてデビュー。著書に『浮世でランチ』『ニキの屈辱』『昼田とハッコウ』『反人生』『美しい距離』『偽姉妹』『リボンの男』などがあり、近年はエッセイ集『母ではなくて、親になる』『ブスの自信の持ち方』なども話題に。
同居家族介護における主介護者続柄割合は娘19.1%、嫁17.3%、息子16.3%。要介護高齢者への虐待加害者続柄割合は娘16.4%、嫁5.2%、息子40.3%。息子加害者の割合がかくも高いのはなぜか。「男性=暴力的」図式を退け、老親介護という、息子としてしか存在しえない場で彼らが経験する重圧と軋轢をジェンダーの視点から分析する。
序章 息子という経験──なぜ息子介護を問うのか
第一章 息子介護の分析視角──ケアにおけるマネジメント、関係としてのケア
第二章 息子によるケア──親の老いの受けとめ方ときょうだい関係
第三章 介護する息子の語り方・語られ方──「説明可能にする実践」としてのジェンダー
第四章 介護を土俵とした「男らしさ」の競演──セルフヘルプ・グループの陥穽
第五章 「老母に手を上げてしまう息子」の構築──暴力の行使はいかにして自然化されているか
終章 息子介護研究が照らし出すもの──男性学は何を見落としてきたのか
あとがき
参考文献
グローバル化、脱工業化、多文化化の進む現代社会は、その一面が豊かな社会として捉えられこそすれ、均質な社会でも、平等な社会でもない。むしろ異質性・差異と不平等の関係がかつてなく鋭く問われる社会となっている。経済財の配分をもって公正を議論することは限られたアプローチにすぎず、それをどのように超えて質的で、多尺度の成立可能な社会的条件のなかに公正の基準を見出していくか。今日の教育、福祉、社会運動、移民の研究に携わってきた研究者が、「公正な」関係や秩序とは何かを問う。