本書は、現代の最も重要な社会革命のひとつであるアメリカ・フェミニズム運動の鮮烈な記録である。人間的誠実と政治的策略、情熱と野望、勇気と裏切りに満ちた叙事詩的ドラマであり、フェミニズム革命の内幕が-男性中心社会の過酷な迫害に耐えて革命を成し遂げた女性たちやその犠牲になった女性たちの生きざまを通して-赤裸々に描かれている。ベティ・フリーダン、グローリア・スタイネム、ジャーメイン・グリーア、ケイト・ミレットらの思想や活動にスポットが当てられ、1960〜70年代に起きた驚異的な事件の数々が迫真のリアリティをもって展開されている。
どう生きるべきかとまどう男たち。女性解放が進む一方、女性よりも稼ぐこと、強いことを当然とする意識から男性は解放されているだろうか。
“読む”行為に潜む性差に焦点をあて、男性性、女性性の囚われを解き明し、女同士が物語を共有・交換することで自己を“語る”方策を探る。
権力はいかに言説のかたちをとって身体・精神・欲望を形成するのか。女と男の弁別が身体の自然に根ざすとする本質論的前提を根底的にくつがえしセクシュアリティ研究の方向を決定づけるフェミニズム・現代思想の最重要書。
セクシュアリティ、ポリティックス、フォークロア、ナラティブ、コメディなどのコンセプトを軸にロレンスのテクストを多角的に読みとく。あわせて、1990年以降のロレンスに関する国内外の著作(177点)を一挙紹介。
“法”が構築する「主体」の政治は何を排除しているのか。フェミニズムの最新知見によってアーレントをはじめとする西洋政治思想史を批判的に検討、従軍“慰安婦”問題などアクチュアルな課題にも斬りこみ、「法の力」の根源的問い直しから新しい社会の構想へと至る画期的論考。
第1作『アメリカの女性大学:危機の構造』で女性に対する米国高等教育の現状を分析・詳説し、第2作『アメリカ大学史とジェンダー』と本書で、男性本位に形成された伝統的大学教育に対する、女性の視点からの『自覚的問いと対話』を、当時の一次史料から生き生きと呼び起こす著者渾身の労作。
「法的制度としての婚姻を廃止せよ」。「性の絆」から「ケアの絆」へ、新しい家族の定義が、いま生まれる。
第3の年齢、サードエイジと呼ばれる50歳からの季節は、すべてのしがらみから解放され、ありのままの自分としてもっとも輝くすばらしい時だ、と著者パトリシアは語る。ところが現実は、思春期の悩みにも似て、迫り来る夕闇に慄きつつ、揺れ動く心。巷に溢れるアンチエイジングの情報を追いかけても、置き去りにされた心はどこか空虚だ。ワインのように、年を重ねるなかで熟成され、芳醇な味のある人生への糸口は、裸の自分自身と向き合うことであると著者は諭す。心理学者である彼女の視点は、あなたの奥深くに眠る人生のもうひとつの扉を開けるヒントを与えてくれるに違いない。高齢化社会・フェミニズムの先進国スウェーデンで評判の書である。
一九九〇年頃までのフェミニズムは、学習と組織化と浸透の段階にあった。九〇年代はフェミニズムが政権の中心を占め、上からの意識革命を進めた時期である。二十一世紀に入ると、フェミニズムを甘く見たり油断していた男性や保守層が事態の深刻さに目覚め、反撃を開始した。一つの教義体系となっているフェミニズムと戦うためには、その方法論的・理論的間違いを論破しなければならない。本書にはフェミニズムのどこが間違っているかが、理論的・方法論的に整理され、正しい理論が提示されている。
二〇世紀初頭のアメリカで、「フェミニズムの足音」が聞こえると謳い、女性が男性に従属することのない新しい社会の到来を予感した稀有な社会主義者、金子喜一と、ラディカルなフェミニスト、ジョセフィン・コンガー。「人間の平等」という同じ理想をめざす社会主義の影響を受けながらも、フェミニズムが独自の深まりを見せていく過程を、二人の生涯を通じて描く。
本書は、西洋近代美術の歴史が記述・記録されるなかで強力に働いている規範に含まれる偏りを明らかにする論争の書であり、フェミニストによる文化研究の理論的提起として、すでに一種の古典の位置を獲得している。…本書の価値は、議論の緻密さと、変革を展望する著者のはっきりと闘う姿勢にある。