二〇世紀初頭のアメリカで、「フェミニズムの足音」が聞こえると謳い、女性が男性に従属することのない新しい社会の到来を予感した稀有な社会主義者、金子喜一と、ラディカルなフェミニスト、ジョセフィン・コンガー。「人間の平等」という同じ理想をめざす社会主義の影響を受けながらも、フェミニズムが独自の深まりを見せていく過程を、二人の生涯を通じて描く。
本書は、西洋近代美術の歴史が記述・記録されるなかで強力に働いている規範に含まれる偏りを明らかにする論争の書であり、フェミニストによる文化研究の理論的提起として、すでに一種の古典の位置を獲得している。…本書の価値は、議論の緻密さと、変革を展望する著者のはっきりと闘う姿勢にある。
市場労働と家事労働の社会的・経済的関係を家父長制的資本主義論によって解明し、マルクス主義フェミニズムの全体像を提示する。
結婚退職を強要されるOLたち、働く女の、男とともにする子育て、嫁姑の確執、セクハラ裁判、子どもへの性教育、映画のなかのフェミニズム、シングルズ宣言。儒教的オトコ社会にもの申す韓国の女たち。
内なる声に動かされて女性たちはいかに格闘し、自らの表現手段を獲得したか。本書は主に、18世紀から19世紀にかけてのやや古い時代に、ドイツの女性たちの書き著したものについての論を収めた。
西欧/男性のエキゾチズムの視線から離れた場で、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの女の言葉は、何を生み出しているだろうか。本書は、詩的想像力あふれる言葉や映像コラージュの引用を織り込みつつ、「物語る」ことにまつわる複数の知と、文化をめぐる問いとを交差させ、その隙間に息づいているものを見つめる試みである。ポストコロニアルの文化を深く問い直しつづけるベトナム出身の映像作家/音楽家/人類学者による、記念すべき最初の著作。
働き方の、生活のしかたの、夫婦のありかたの、そして生き方の選択肢が多ければ多いほど、女も男も自由に、「自分らしく」生きられる。家庭で、職場で、地域で、女としての生きにくさを感じた女たちは、自分たちの手でその状況を変えてしまおうと、さまざまな行動を起こしていた。
本書は、女性の自己実現にむけての価値あるメッセージである。
女は政治秩序を脅かすので公的世界から排除すべきだ。容易に変わらないこの家父長的な思い込みに異議を唱え、デモクラシーとシティズンシップを根底から問い直す。
生命世界を現代文明との関わりにおいて探り、みずからの生き方を模索する知の運動。
現在、宗教とフェミニズムが交錯する場は複雑に入り組んでいる。この複雑な語りの交差するところにこそ、現代女性の自己再生への可能性がある。宗教は「家父長制の道具」なのか。抑圧された女性を救う力となるのか。
密かに進行するジェンダーフリー教育や過激な性教育、多発するドメスティック・バイオレンス告発にセクハラ訴訟。これらの現象に底流する思想こそフェミニズムであり、その目的とするところは「家族の解体」と「男女が敵対」する社会の実現に他ならない。本書はこの現代の“悪魔の思想”の正体を余すところなく明らかにした「フェミニズム解体新書」である。