変態ではない。クィアと呼ぶ。フツウの愛ではない。強制的異性愛と呼ぶ。この性愛の解き放たれた空間ほど又、政治的なトポスもない…。クィアを考え、クィアに読み、クィアへ開く、クィア批判論集。
昨今注目を集めるいわゆる性的マイノリティやLGBTの問題について、特に「クィア理論」に関わる諸テーマを論じる研究論文集。
クィア・スタディーズの現在地を知るためのシリーズ 第3巻
エイズ問題を発端として登場したクィア・スタディーズと障害学が出会い、
新たにひらかれる議論とは?
わたしたちの身体が他者と出会える知の形成のために
シリーズ:クィア・スタディーズをひらく(全3巻)
クィア・スタディーズをひらく 1 アイデンティティ, コミュニティ, スペース(既刊)
クィア・スタディーズをひらく 2 結婚, 家族, 労働(既刊)
シリーズ刊行に当たって
はじめに
第1章 「双性の巫人」という過去の身体を読む [光本 順]
はじめに
1 種子島広田遺跡と「双性の巫人」説
2 双性の巫人説に対する考古学的評価
3 クィア考古学的再検討
4 クィアな過去の現在性
おわりに
第2章 語りを掘り起こす [藤高和輝]
トランスの物質性とその抹消に抗する語り
はじめに
1 物質性の隘路(1) --「選ぶ主体」としてのトランス
2 物質性の隘路(2) --領有されるトランスの身体
3 物質性の語り
おわりにーー物質性の「優先順位」に抗して
第3章 障害女性の介助を経験するなかで考えてきたこと [瀬山紀子]
はじめにーー介助者=障害がある人の「普通の人生」にとっての重要なファクター
1 介助への関わり
2 二者関係にとどまらない介助
3 ある日の介助場面
4 にぎやかなトイレ
5 やっかいな月経と付き合う
おわりにーー隔たりを自覚しながら
第4章 「見えない」障害のカミングアウトはなぜ難しいのか? [飯野由里子]
1 「見えない」障害のカミングアウト
2 カミングアウトの諸相
3 カミングアウトを困難にするもの
4 困難を解消するための方法とその問題
Column 災害とジェンダー・セクシュアリティ [山下 梓]
第5章 「残酷児」
台湾における障害のある性的少数者の実践 [欧陽珊珊]
はじめに
1 不可視化された障害のある性的少数者
2 「残酷児」とは何か?
3 コミュニティの形成
4 マイノリティ運動への参加
おわりに
Column 「ろう者」と「LGBTQ」 [山本芙由美]
第6章 差異とつながりと攪乱の暴力[黒岩裕市]
藤野千夜『少年と少女のポルカ』と「クィア」
はじめに
1 差異とつながり
2 つながりの差異
3 侮蔑語の価値転覆と攪乱の暴力
おわりに
第7章 エイズをめぐる表象のポリティクス [河口和也]
映画『ゼロ・ペイシェンス』を読む
はじめに
1 クィア理論とHIV/エイズ
2 映画『ゼロ・ペイシェンス』をクィア理論で読む
3 表象をめぐるポリティクス=文化
4 さまざまな境界の侵犯
おわりに
Column 性的マイノリティにおけるいじめ・自殺をめぐる問題 [明智カイト]
第8章 フレキシブルな身体 [井芹真紀子]
クィア・ネガティヴィティと強制的な健常性
はじめに
1 ネオリベラリズムと多元主義への批判
2 否定性(ネガティヴィティ)の称揚という抵抗
3 エイズ危機と〈身体〉の境界
おわりに
夜な夜な多様な人々が集まるバーが新宿二丁目に。やってくるのはLGBTQの人、アーティスト、作家……。バーのオーナーは木更津出身で元芸能人。普通の人の三倍くらいに濃い経験をした、その数奇な運命が、いま語られる。帯文は、氣志團の綾小路翔さん!
第1部 ひとりの宇宙ー【二倍ダーシ】新宿二丁目のバー「星男」とクィアな私の物語/第2部 新宿二丁目で働く先輩に話を聴く/I 二丁目のママにはそれぞれの役割があり、それぞれのお客様がいる agitの菅原有紀子(YUKKO)さん/II ノンバイナリーかもしれない自分 Tacʼs Knotの大塚隆史(Taq)さん/「星男」という現在進行形のストーリー -- あとがきに代えて
近代アメリカ文学を代表する3人の作家ーセジウィックらによりすでにホモセクシュアルな欲望を論じられたヘンリー・ジェイムズ、レズビアン作家として知られるウィラ・キャザー、男性的異性愛のイコンとされてきたヘミングウェイをとりあげ、テクストが確かに喚起する性的な欲望と向かいあいながらも、フーコー、バトラーらをふまえ、その欲望が生成される過程や構造を分析する。ゲイかレズビアンか、異性愛か同性愛かという二分化されたセクシュアル・アイデンティティのあり方に異議を申し立てる。
「フツーの生活」とは何か。「フツーの人」とは誰か。「フツー」というふわふわした普遍的な事象について、立ち止まって考える。自己の存在を肯定しながら、周りの人々と共に在ることを願い、そのような共生の生き様をコミックを通して言祝ぐ一冊。
はじめに
フツーのコロナ生活
電車の中で その1/電車の中で その2/ガマンの限界/路上のくしゃみ/オンライン生活の果てに/スーパー銭湯にて/不信の時代/もとに戻れない/副反応が怖い/マスクと私/〈コラム〉「フツー」がフツーでなくなった毎日
フツーのゲイ
今どきの若いゲイの話/結婚話の次は/同僚じゃないんですけど/コミュニティスペース/自己紹介
〈コラム〉コミュニティスペースの今/フリートーク
フツーの23才
実家に帰省中/親戚の集まり 新年会/親戚の集まり 法事/〈コラム〉「イエ」制度と23才のジレンマ/学会にて/永遠のトイレ問題/〈コラム〉トイレとジェンダー問題
フツーのレズビアン
運動/シンデレラ/酔っ払いとコンタクトレンズ/酔っ払いとアイスクリーム/コンビニの前での考現学/〈コラム〉フツーのレズビアン
フツーのシングルマザー
手づくりじゃないおやつ/ゲーム機との戦い/ケンカの仲裁/2万回のごめんね/永遠のように思える哀しさ/〈コラム〉フツーのシングルマザー みつよさん編/温泉にいきたい/なんとなくさみしい/なんとかなる/写真/〈コラム〉小さな国とコミュニティ
あとがき
LGBTの枠をも相対化する「クィア」な視点から巨匠たちの作品を集約。本邦初訳G.ムア「アルバート・ノッブスの人生」を含む不思議で奇妙で切ない珠玉の8編。
<目次>
わしとわが煙突 ハーマン・メルヴィル
モッキングバード アンブローズ・ビアス
赤毛連盟 アーサー・コナン・ドイル
三人のガリデブの冒険 アーサー・コナン・ドイル
ティルニー 伝オスカー・ワイルド
ポールの場合ーー気質の研究 ウィラ・キャザー
彫刻家の葬式 ウィラ・キャザー
アルバート・ノッブスの人生 ジョージ・ムア
解説 大橋洋一
わしとわが煙突 ハーマン・メルヴィル
モッキングバード アンブローズ・ビアス
赤毛連盟 アーサー・コナン・ドイル
三人のガリデブの冒険 アーサー・コナン・ドイル
ティルニー 伝オスカー・ワイルド
ポールの場合ーー気質の研究 ウィラ・キャザー
彫刻家の葬式 ウィラ・キャザー
アルバート・ノッブスの人生 ジョージ・ムア
解説 大橋洋一
本書は、1920年代から現在に至るまで百年にわたる国際政治経済史を背景に据えながら、この40年、散々語り尽くされてきたように思われるネオリベラリズムの起源と発展に関して、理論的にも歴史的にも新たな光を当てる試みである。
ネオリベラリズムというとき、その焦点はアメリカのシカゴ学派に置かれるが、本書は、ジュネーヴ学派という、これまで顧みられなかった思想家群像に注目している。
とりわけ重要なのは、ネオリベラル理論の核心が制度設計に置かれていたということである。それは、ハプスブルク帝国の灰塵を揺籃とした、その出自に刻印されていた。すなわち、帝国後の世界にふたたび秩序をもたらすことが目的の思想運動だったのである。その際、脱植民地化と民主化の波といかに対峙するかがこの運動には重要だった。
本書が提示するのは、1920年代ウィーンのミーゼス・サークルに始まり、1980年代にWTOの創設で絶頂を迎える、三世代にまたがる思想家たちの物語である。国民国家(インぺリウム)と世界経済(ドミニウム)を融合させる連邦を夢見た者たちの勝利ではなく、敗北の軌跡。
序章 世界の諸秩序について考える
第1章 壁の世界
第2章 数字の世界
第3章 諸連邦の世界
第4章 諸権利の世界
第5章 諸人種の世界
第6章 諸憲法の世界
第7章 シグナルの世界
終章 単一の国民の存在しない人びとの世界
謝辞/訳者あとがき
索引/注記
トラウマ的な出来事を経験した人びとにとって、文学や文化は生きのびるための表現となりうるのかーー
多和田葉子、李琴峰、古谷田奈月、森井良、林京子、大江健三郎、岩城けい、小野正嗣といった現代作家の作品を丁寧に読み解き、物語を受けとるという営みとは何か、小説と読者が出会うとはどういうことか、それにクィア・フェミニズム批評はどうかかわるのか、自身の経験とときに重ね合わせながら文学や文化の力を見出していく。気鋭の研究者による、トラウマという語ることがむずかしい経験を語るために物語があるのだということを、そして何より新たな対話の可能性を信じるすべての人におくる、画期的な文学論。
LGBTQの歴史的経験はアメリカに何をもたらし、いかにアメリカそのものを形成してきたか。周縁化されてきた視点から再解釈する。
植民地期から現代に至るまで、アメリカ史の基本的叙述においてジェンダー/セクシュアリティ規範とその撹乱・変容がいかに密接不可分であったか。クィア的視点からとらえ返した〈アメリカ〉を描き、人種やジェンダー・セクシュアリティを歴史叙述の不可欠な構成要素に位置づける。ラムダ文学賞およびストーンウォール図書賞受賞作。
【原著】Michael Bronski, A Queer History of the United States(Beacon Press, 2011)
日本語版の読者のみなさまへ
著者の覚書
凡 例
序
言語とアイデンティティ
歴史が教えてくれること
第一章 迫害社会
見知らぬ土地の見知らぬ人びと
ピューリタニズム─個人と共同体
純粋さと危険
第二章 性的にあいまいな革命
奴隷にされた人びとと市民
ピューリタニズムから啓蒙思想へ
アメリカの男を創造する
ただの友人
革命的なジェンダー
第三章 クィアなアメリカを想像する
西部への膨張
コミュニティのはじまり
新しい国民的文化を記述する──東部
同性間の欲望と人種の民主化
第四章 死と芸術の民主主義
南北戦争
男らしさを演じる
自由に演じる
政体のための新しい身体
政治と詩論
第五章 危険な純潔
政治の語彙
抵抗を概念化する──労働、人種、セックス
言語の政治
第六章 舞台上の生/都会の生
大都市の中で一緒にひとり
ジェンダーについての新しい考えを嗜む
私的/公的文化の出現
第七章 ジェンダーの生産とマーケティング
男らしさを生産する
男らしさを消費する
最初の赤狩り──そして改革
第八章 塹壕でのセックス
戦争、ジェンダー、セックス
恋人たちの軍隊
戦争を家に持ち帰ること
第九章 目に見えるコミュニティ/目に見えない人びとの生活
セックスとひとつの運動の始まり
紙面で公に
丸見えの場所に「隠れて」
ともに成長し、袂を分かつ運動
第一〇章 反乱/バックラッシュ/抵抗
反乱のなかのアメリカ
解放、社会的純潔、バックラッシュ
AIDS──不屈さと抵抗
エピローグ
歴史としてのニュース、ニュースとしての歴史
謝 辞
訳者あとがき
原 注
索 引
復讐を誓った青年の心の旅を雄大な映像で綴った
スティーヴ・マックィーン主演の傑作ウエスタン!
●オリジナルネガからのフルHDスキャンによるニューマスター版で初Blu-ray化
●吹替音声はDVD版に加え、TV放映版(「ゴールデン洋画劇場」版)を初収録 ※DVD未収録
※TV放映版吹替音声は、放送時にカットされた部分を追加収録したノーカット版です。
●脚本家C・コートニー・ジョイナー(『クラス・オブ・1999』)らによる音声解説を初収録 ※DVD未収録
スティーヴ・マックィーンが絶頂期に主演した異色のウエスタン。復讐に取りつかれた若者の成長劇が多彩な人間模様を交えて描かれる。
製作・監督は『西部開拓史』『勇気ある追跡』など西部劇の演出にも定評のあるヘンリー・ハサウェイ。
音楽は9度のオスカーに輝いた名匠アルフレッド・ニューマン、原案・脚本を『裏窓』『知りすぎていた男』など
50年代のヒッチコック作品を支えたジョン・マイケル・ヘイズが手がけ、助演陣にはカール・マルデン、ブライアン・キース、スザンヌ・プレシェット、マーティン・ランドーらの演技派が集結。
※収録内容は変更となる場合がございます。
日本でも大人気放送中のNetflixの人気ナンバー1番組「クィアアイ」の番組公式ガイドブック。
この番組は、ファブ5(アントニー、タン、ジョナサン、ボビー、カラモ)をメインMCに添え、性的マイノリティの人達を始め、自己不安な人々を励まし人生を豊かにする番組。本誌は、番組に出演する5人の魅力(生き様、考え方、見た目)を、写真付きで紹介するフォトエッセイ風!
※ファブ5とは、ヘアスタイリスト、俳優、デザイナー、司会者など、それぞれの分野で成功した男性五人組の番組ユニット。
フェミニスト聖書学を伸延しキリスト教の再構築を目指す。
トラウマという概念がどのような歴史的経緯を経て成立したのか、また、それが文化、社会的にどのように理解され、表現されてきたのか。さらに、トラウマを典型とする社会的苦悩が宗教や文化的実践においてどのように克服されてきたのかを、文化人類学をはじめとする人文・社会科学的な視点から、多角的かつ総合的に考察する。
はじめに
序 章 いま、トラウマを考える [田中雅一]
第1部 概念の歴史
第1章 トラウマと精神分析
ーフロイトにみる「外傷」概念の分裂 [立木康介]
第2章 プレ・トラウマティク・オーダー
ー現代の一般化したトラウマについての試論 [上尾真道]
第3章 出来事とトラウマの在り処
ートラウマ論が示す歴史の方法論をめぐって [直野章子]
第4章 トラウマと日本社会 [樫村愛子]
第5章 東日本大震災のトラウマの外と後でー「こころのケア」を超えて [花田里欧子]
第2部 性と家族、共同体
第6章 社会性の条件としてのトラウマ
ーイヌイトの子どもへのからかいを通した他者からの呼びかけ [大村敬一]
第7章 アダルト・チルドレンの苦悩と回復 [木下直子]
第8章 女性への暴力、虐待、性暴力 [田中雅一]
第9章 トラウマ化された病い
ー韓国社会におけるがん・乳がんをめぐる事例から [澤野美智子]
第10章 トランスジェンダーとトラウマ [高垣雅緒]
第11章 日本の都市部におけるHIV-シンデミクス理論を用いた文化人類学的分析
[アンソニー・ディステファノ(桜井良太・萩原卓也 訳)]
第12章 クィアな記憶の継承ー森井良「ミックスルーム」論 [岩川ありさ]
第13章 スピリチュアリティのもたらす癒し
ー「トラウマ」からの回復と人と人とのつながり [河西瑛里子]
コラム 女性のトラウマ経験と文学
-インド・パキスタン分離独立時の記憶と創作 [常田夕美子]
第3部 他者/死者とともに生きる
第14章 トラウマと時間性ー死者とともにある〈いま〉 [松嶋 健]
第15章 生き延びてあることの了解不能性から、他者とのつながりの再構築へ
ーインド・パキスタン分離独立時の暴力の記憶と日常生活 [田辺明生]
第16章 大きな物語に抗するー災害の経験と記憶 [金谷美和]
第17章 トラウマから架橋へ
ー玉砕戦生還者の記憶がひらく新たな回路 [西村 明]
第18章 痛みを抱えた者が死ぬための場所
ー訪問看護ステーションひなたの看取りの経験 [西 真如]
第19章 喪われた声を聴きなおす
ー追悼ー記念の限界と死者との共在 [石井美保]
索 引
クィア批評を、日本映画史に刻み込むーー
映画監督が残したクィアな痕跡を辿り、作品の積極的な読み替えを通して、異性愛規範によって声を奪われてきた観客の視線を提示/共有する、クィアな「観客」による映画批評の実践!
「本書は、現代を生きるクィアな観客の一人として、今や忘れ去られた映画監督の一人である木下惠介の映画作品に対してクィア批評を施す。それは自分が存在しなかった戦前から戦後にかけての過去を振り返り、その場にいたかもしれない想像上のクィアな観客として、その過去に潜在したかもしれないクィアな欲望の再創造/再想像を意味する。それは、一九四〇年代から一九五〇年代、かつて日本のどこかの映画館で木下映画を観ていたかもしれない「私」が映画スクリーンに見出した欲望を浮き彫りにし、読み解く実践にもなりうるかもしれない。本書が探求する木下惠介のクィアな感性とは、現代を生きるクィアな観客としての私と過去を生きたクィアな観客としての「私」とを時空間を超えてつなぎ合わせるポータルと化すのだ。」
「私は日本国内を研究拠点とする映画研究者の一人として、自らのセクシュアリティを通じて得た経験を映画分析の記述に含めていく姿勢を本書だけでなく、今後も重要視したいと考えている。私自身のセクシュアリティや欲望を一人の観客・研究者として隠蔽することは、二十世紀を通じて異性愛中心主義的な物語と表象に隠蔽され続けてきたクィアな観客の映画体験をさらに奥深くへ消し去ってしまいかねないからだ。私のセクシュアリティや欲望の固有性を日本映画史の再構築や映画分析の実践に刻み続けることで、私を含むクィアな観客の存在を曖昧にせず、再び見過ごされ抹消される可能性に対する抵抗を目指したい。」(「はじめに」より)
■著者紹介
久保 豊(くぼ ゆたか)
1985年、徳島県生まれ。専門は映画学、クィア批評。京都大学大学院人間・環境学研究科にて修士号と博士号を取得。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教を経て、現在、金沢大学人間社会学域国際学類准教授。編著に『Inside/Out--映像文化とLGBTQ+』(早稲田大学演劇博物館、2020年)、論考に「SOMEDAYを夢見てーー薔薇族映画「ぼくらの」三部作が描く男性同性愛者の世代」(『クィア・シネマ・スタディーズ』晃洋書房、2021年)、“Fading away from the Screen: Cinematic Responses to Queer Ageing in Contemporary Japanese Cinema”(Japanese Visual Media: Politicizing the Screen, Routledge, 2021)、「エヴァの呪縛に中指を突き立てるーー『シン・エヴァンゲリオン劇場版 』にみる成長の主題」(『シン・エヴァンゲリオン』を読み解く』河出書房新社、2021年)など。
ジェンダー、セクシュアリティの現在を問う画期的アンソロジー!映画に描かれたレズビアン・ゲイ・クィア・イメージを読み解く。
大きな影響力を持つ三人の女性神学者の思想を精査し、フェミニズム(神学)とクィア(神学)に共通する課題と断絶の双方を明らかにする。「クィア神学」の多様な内実、その課題と可能性を展望する。類書に乏しいクィア神学に関する本格的な研究書。
第一章 クィア神学の歴史と課題
第一節 「クィア」をめぐって
第二節 クィア神学の歴史
第三節 クィア神学とフェミニスト神学
第二章 力としてのエロティックーーカーター・ヘイワード
第一節 思想的背景
第二節 「力」の転換を目指して
第三節 力としてのエロティック
第四節 神ーー内在する超越
第五節 キリストーー現在進行形のプロセス
第六節 批判的考察
第三章 キリスト教とはクィアなものーーエリザベス・スチュアート
第一節 思想的背景
第二節 「ゲイ神学・レズビアン神学」への批判
第三節 「クィア神学」の定義
第四節 アイデンティティをめぐって
第五節 神、キリスト、サクラメント
第六節 批判的考察
第四章 下品な神学ーーマルセラ・アルトハウス=リード
第一節 思想的背景
第二節 「下品な神学」とは何か
第三節 バイ/キリスト
第四節 クィアな神
第五節 神学ーー地図を持たない旅
第六節 批判的考察
第五章 クィア神学者たちの挑戦ーー比較考察
第一節 神とキリスト
第二節 フェミニズムとクィア
第三節 神学とその主体
第四節 クィア神学の課題と可能性
性暴力、セックスレス、エイズ、同性愛、性同一性障害、男女共同参画などの今日的問題を、映画・音楽・アートも含めた身近な話題を通して、マイノリティの視点から包括的に捉えなおす。ジェンダー/セクシュアリティの新しい展望をきりひらく、斬新でクィアなエッセイ集。
ジェンダー、セクシュアリティ、クィア・リーディングを学び、文学批評で実践するための、前著『愛の技法』に続く絶好の入門書。執筆者は大田美和、岸まどか、石川千暁、米谷郁子、ヴューラー・シュテファン、長島佐恵子、黒岩裕市、森岡実穂、清水晶子という気鋭のジェンダー、セクシュアリティ、クィア理論の実践者たち。取り上げるテクストは、笙野頼子、松浦理英子、シェイクスピア、ブロンテ、スタイン、トニ・モリソン、イヴ・セジウィックなど現代日本から英国、米国、アイルランドに及び、ジャンルは小説、日記、演劇、文学理論と幅広い。文学テクストを読み直す興奮と革新性に改めて目覚めさせてくれる、愛と連帯の文学論集。
<主要目次>
第一章 ヨークシャーの女たちの物語
ー『シャーリー』、『アン・リスターの日記』、『ミス・マイルズ』をつなぐ
第二章 世話するひとたち -ガートルード・スタイン『三つの人生』と修復的読解の鍛錬
第三章 身体に根ざしたエロティックな力 -ネラ・ラーセン『パッシング』からトニ・モリソン『スーラ』へ
第四章 内なる異郷への旅 -『テンペスト』の翻案を読む
第五章 「私は私ではない」とは誰に言えることなのか -否定性批判として笙野頼子『皇帝』を読む
第六章 エマ・ドナヒュー『フード』(Hood)の饒舌なクローゼット
第七章 松浦理英子『裏ヴァージョン』と女子プロレス
第八章 動物たちのナイトクラブ -ビエイト演出《妖精の女王》におけるセクシュアリティ表象について
第九章 ビサイドのクィアネス -イヴ・セジウイックにおける接触