第1作『アメリカの女性大学:危機の構造』で女性に対する米国高等教育の現状を分析・詳説し、第2作『アメリカ大学史とジェンダー』と本書で、男性本位に形成された伝統的大学教育に対する、女性の視点からの『自覚的問いと対話』を、当時の一次史料から生き生きと呼び起こす著者渾身の労作。
「法的制度としての婚姻を廃止せよ」。「性の絆」から「ケアの絆」へ、新しい家族の定義が、いま生まれる。
第3の年齢、サードエイジと呼ばれる50歳からの季節は、すべてのしがらみから解放され、ありのままの自分としてもっとも輝くすばらしい時だ、と著者パトリシアは語る。ところが現実は、思春期の悩みにも似て、迫り来る夕闇に慄きつつ、揺れ動く心。巷に溢れるアンチエイジングの情報を追いかけても、置き去りにされた心はどこか空虚だ。ワインのように、年を重ねるなかで熟成され、芳醇な味のある人生への糸口は、裸の自分自身と向き合うことであると著者は諭す。心理学者である彼女の視点は、あなたの奥深くに眠る人生のもうひとつの扉を開けるヒントを与えてくれるに違いない。高齢化社会・フェミニズムの先進国スウェーデンで評判の書である。
一九九〇年頃までのフェミニズムは、学習と組織化と浸透の段階にあった。九〇年代はフェミニズムが政権の中心を占め、上からの意識革命を進めた時期である。二十一世紀に入ると、フェミニズムを甘く見たり油断していた男性や保守層が事態の深刻さに目覚め、反撃を開始した。一つの教義体系となっているフェミニズムと戦うためには、その方法論的・理論的間違いを論破しなければならない。本書にはフェミニズムのどこが間違っているかが、理論的・方法論的に整理され、正しい理論が提示されている。
二〇世紀初頭のアメリカで、「フェミニズムの足音」が聞こえると謳い、女性が男性に従属することのない新しい社会の到来を予感した稀有な社会主義者、金子喜一と、ラディカルなフェミニスト、ジョセフィン・コンガー。「人間の平等」という同じ理想をめざす社会主義の影響を受けながらも、フェミニズムが独自の深まりを見せていく過程を、二人の生涯を通じて描く。
本書は、西洋近代美術の歴史が記述・記録されるなかで強力に働いている規範に含まれる偏りを明らかにする論争の書であり、フェミニストによる文化研究の理論的提起として、すでに一種の古典の位置を獲得している。…本書の価値は、議論の緻密さと、変革を展望する著者のはっきりと闘う姿勢にある。
市場労働と家事労働の社会的・経済的関係を家父長制的資本主義論によって解明し、マルクス主義フェミニズムの全体像を提示する。
結婚退職を強要されるOLたち、働く女の、男とともにする子育て、嫁姑の確執、セクハラ裁判、子どもへの性教育、映画のなかのフェミニズム、シングルズ宣言。儒教的オトコ社会にもの申す韓国の女たち。
内なる声に動かされて女性たちはいかに格闘し、自らの表現手段を獲得したか。本書は主に、18世紀から19世紀にかけてのやや古い時代に、ドイツの女性たちの書き著したものについての論を収めた。
西欧/男性のエキゾチズムの視線から離れた場で、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの女の言葉は、何を生み出しているだろうか。本書は、詩的想像力あふれる言葉や映像コラージュの引用を織り込みつつ、「物語る」ことにまつわる複数の知と、文化をめぐる問いとを交差させ、その隙間に息づいているものを見つめる試みである。ポストコロニアルの文化を深く問い直しつづけるベトナム出身の映像作家/音楽家/人類学者による、記念すべき最初の著作。
【1993年刊行本をオンデマンドにて復刊】ひとりの人間としてやりたいことをやろうとするときに、おこる夫、社会との軋轢─。それをのりこえ、気持ちのいい関係や生活がもてるようになるには。生き方の選択肢が多ければ多いほど、女も男も自由に「自分らしく」生きられる。
1. 自分の世界をきり拓きはじめた女たち……日本から
2. 行動する、心やさしい女たち……アメリカから
3. 子連れで共同家庭をつくる女たち……日本から
4. 男社会に風穴をあける女たち……日本の学校からI
5. 異論をたいせつにする女たち……日本の学校からII
6. 性の神話を突きくずす女たち……シンガポールから
本書は、女性の自己実現にむけての価値あるメッセージである。
アニメやマンガ、アイドルなどの文化で「かわいらしい」少女像が広く受け入れられ、めでる対象として、あるいは性的な対象としてまなざしを向けられてきている。一方で、少女表象には、「怖い」「不気味」という印象を鑑賞者に抱かせる作品も多くある。芸術家はなぜ少女の「おぞましさ」=アブジェクトを描くのか。
フェミニズム・アートや日本の少女表象の歴史などを押さえたうえで、国内外で活躍する現代美術の芸術家が描く少女表象を丁寧に分析して、芸術家が少女に託してきたものを明らかにする。
ときに身体を切断され、キメラとして描かれもする少女表象に潜む「おぞましさ」に焦点を当て、フェミニズム美学の視点からその芸術的価値を照らし出す。現代の少女表象から、男性中心に構成されてきた社会への異議申し立てや価値観を揺さぶるアクチュアリティを析出する。
【目次】
まえがき
序章
第1章 少女/アブジェクト/フェミニズム美学
第2章 本田和子の少女論とアブジェクシオン
第3章 「少女趣味」を引き継ぐ少女たち
第4章 日本美術で描かれる少女の変遷ーーフェミニズム・アートとの関連性の考察
第5章 少女たちの自己主張ーー一九八〇年代から現代へ
第6章 少女のアブジェクトと少女性ーー曖昧さの考察
終章
参考文献
あとがき