女は政治秩序を脅かすので公的世界から排除すべきだ。容易に変わらないこの家父長的な思い込みに異議を唱え、デモクラシーとシティズンシップを根底から問い直す。
「『ふつう』って、いったい何なんだろう。」私はこれまでの人生で、何度この言葉をつぶやいてきたことでしょう。子どもの頃、スポーツが得意ではなく、部屋でテレビゲームをしたり、女の子とおしゃべりをしたり、交換日記を書いたりするのが好きでした。初めて恋をしたのは、同級生の男の子。文化系でインドア派だった私は、いわゆる「男子ノリ」にもなじめず、「男らしさ」とは縁遠い子どもでした。
そんな私に対して、周囲の大人やクラスメイトは「男の子ならふつうは〜」と何度も言いました。大人になってからも、「社会人の男性ならふつうは〜」といった言葉が、日常のあちこちから聞こえてきます。それが今でも正直、息苦しい。私にとって「ふつう」という言葉は、定食屋の「ご飯ふつう盛り」くらいで十分なのに……。そんな「ふつう」との距離感を持ち続けてきた私は、大学卒業後、社会や学校が押しつける「ふつう」に揺さぶりをかけたいと考え、小学校の教師になりました。それが、20年前のことです。
今では「多様性」や「ジェンダー」という言葉が広く知られるようになりました。もしかしたら、「もうジェンダー平等は達成されたのでは?」「女性や性的マイノリティへの差別はなくなったのでは?」と思う人もいるかもしれません。しかし、実際には日本のジェンダーギャップ指数は依然として低いままです。
学校という場でも、「異性愛が当たり前」とされたり、「女らしさ」「男らしさ」に従うことが当然のように求められたりする状況は、今なお続いています。だからこそ、本書を通して、あらためて「ふつうって、何なんだろう?」と問いかけたいのです。
子どもたちが、性別や環境に縛られず、自分らしく生きるにはどうすればいいのか。「ふつう」を押しつける社会のあり方を変え、ジェンダー平等を実現するために、どのような知識や視点が求められるのか。そして、教師として学校現場で何ができるのかーー。私はずっと、そうした問いを抱えながら、試行錯誤を繰り返してきました。本書では、私がこれまでの経験を通じて考えてきたことを、みなさんと共有したいと思います。(「はじめに」より)
■第1章 男らしさに苦しんだ子ども時代
■第2章 学問と出会い、世界の見え方が変わる
■第3章 教師になって気づいた学校の中の男性性
■第4章 私の教育実践ー「生と性の授業」
■第5章 「自分らしさの教育」から一歩先へ
BLM運動の半世紀前、黒人のシングルマザーたちが生み出した福祉権運動は、世界で最も豊かな国アメリカにおける貧困に光を当て、「救済に値する貧困層」と「値しない貧困層」という二分法を突き崩し、人種とジェンダーの平等を追求した。黒人自由闘争と第二波フェミニズムの歴史に再考を迫る、黒人女性たちのラディカルな思想とは。
主な略称一覧
図表一覧
序 章 福祉権という思想
第一章 「世界に知らしめるときがきた」--福祉権運動の始まり
1 「母親年金」から要扶養児童家族扶助(AFDC)へ
2 福祉権運動の胎動
3 「福祉権の聖歌」--受給者が紡ぎだす詩
第二章 「仕事か福祉を!」--「貧困との戦い」と「貧困児童扶助を受給する名もなき母親たち」
1 「天使の街」ロスアンジェルスにおける「貧困との戦い」
2 「近隣成人参加事業」の展開
3 「働ける者には十分な賃金を伴うまともな仕事を、働けない者には十分な福祉を」
第三章 「ワークフェア」との闘いーー「就労奨励プログラム」をめぐって
1 全米福祉権団体(NWRO)の結成と組織的特徴
2 「就労奨励プログラム」と(再)貧困化
3 「貧者の行進」
4 黒人自由闘争と女性解放運動の狭間で
第四章 「ゆたかな社会」における貧困を問うーー生存権と保証所得
1 公民権運動から福祉権運動へーー衣食住をめぐる闘争
2 保証所得をめぐる相克
3 「ニクソン計画の増額を!」から「FAPをぶっ潰せ!」へーーNWROと家族支援計画
第五章 誰の〈身体〉か?--福祉権運動と性と生殖をめぐる政治
1 「福祉の爆発」と強制不妊手術
2 レルフ姉妹の裁判
3 黒人の「組織的集団虐殺」か?
4 「鍵となる言葉は「選択の自由」である」
第六章 全米福祉権団体の解体ーー「反福祉のイデオロギー」
1 軋轢の足音ーー全米福祉権団体(NWRO)における「対立」の構図
2 ベトナム反戦運動、「ネヴァダ作戦」、「生存のための子どもの行進」
3 「福祉は女性に関わる問題である」--事務局長ワイリーの辞任と「女性団体」としてのNWRO
終 章 「福祉」の解体と新たな運動の始まり
初出一覧
あとがき
註
参考文献
人名索引
「フェミニストになる」とはどういうことか?
美容行為、サドマゾヒズム、ケア労働などのテーマを通して内面化された男性支配を暴いていく。第2波フェミニズムの金字塔、待望の邦訳。
フェミニズム理論と現象学を融合させ、女性が日常生活の中でどのように抑圧されているかを鋭く分析。身体、感情、自己認識にまで及ぶ「女らしさ」の規範が、女性に内面化された支配の形であることを明らかにする。特に、ミシェル・フーコーの権力論を応用し、女性の身体がいかに社会的に形成され、管理されているかを論じる。第2波フェミニズムの名著とされる本書は、性差別の構造を深く理解したい読者にとって必読の書。
序論
第一章 フェミニスト意識の現象学へ向けて
第二章 心理的抑圧について
第三章 ナルシシズム、女らしさ、疎外
第四章 女性的マゾヒズムと個人変容の政治学
第五章 フーコー、女らしさ、父権的権力の近代化
第六章 羞恥とジェンダー
第七章 自尊心を養い、傷を癒すーー女性の感情労働における服従と不満
注
訳者あとがき
人名索引
現在、宗教とフェミニズムが交錯する場は複雑に入り組んでいる。この複雑な語りの交差するところにこそ、現代女性の自己再生への可能性がある。宗教は「家父長制の道具」なのか。抑圧された女性を救う力となるのか。
身体、そのリアリティから生起する今日の倫理を問う。
追悼/哀悼はそのまま闘いとなる。喪失とみなされなかったものたちへの哀悼から、戦後沖縄フェミニズム文学の政治的想像力を照射する
日米による軍事植民地主義の暴力が継続する沖縄。軍事化に抗う沖縄の女性運動は、性暴力に目を凝らし、「集団自決」や「慰安所」の記憶を捉え直してきた。これに呼応する目取真俊や崎山多美らの作品から、他者の傷に触れ、出会い損ないの悲哀を抱え続ける、新しい共同性の想像力をたどる。アジアへ開かれた別様の「ホーム」に向けて。
はしがき
序章
1 二〇〇〇年前後ーー死ー世界の前触れ
2 死政治からの脱却と民衆の視点
3 ジェンダーの視点による「集団自決」の捉え直し
4 本書の目的、先行研究、本書の構成
第一章 再編される「慰安所」システムーー米軍占領下における女性間の分断と連帯への萌芽
1 はじめに
2 帝国的なドメスティシティ
3 初期の占領体制の整備と「解放とリハビリ」言説
4 ドメスティックな空間の拡大と女性間の分断
5 別様の「ホーム」
補章 うないを新生させるーー八〇年代以降のフェミニズム運動
1 ローカルでグローバルな「うないフェスティバル」
2 「慰安婦」問題への取り組み
3 軍事化に抗する沖縄のフェミニズム運動
第二章 「植民地戦争性精神病」に触れるーーフランツ・ファノンの暴力論を目取真俊『眼の奥の森』とともに読み直す
1 はじめに
2 メランコリー/暴力/脱同一化
3 戦後沖縄における空間編成
4 「眼の奥の森」に触れる
第三章 憑依される身体から感染する身体へーー目取真俊「群蝶の木」に見る罪責感と戦争トラウマ
1 はじめに
2 罪責感と戦争トラウマ
3 記録運動と沖縄の他者
4 集団的戦争トラウマと可視化されない加害の記憶
5 「戦後」世代の病
6 憑依される身体から感染する身体へ
第四章 生き延びたものたちの哀しみを抱いてーー崎山多美「月や、あらん」
1 はじめに
2 複数の声を宿す身体
3 琉球土人/「リュウちゅうドジン」
4 トラウマの反復と生き延びること
5 遺言テープの二つの音
6 〈ミドゥンミッチャイ〉へ
終章
1 「記憶の場」
2 比較文学と地域研究
3 戦後沖縄文学と批判的地域主義
4 『八月十五夜の茶屋』と「カクテル・パーティー」
5 本書のまとめ
あとがき
初出一覧
参考文献
索引
密かに進行するジェンダーフリー教育や過激な性教育、多発するドメスティック・バイオレンス告発にセクハラ訴訟。これらの現象に底流する思想こそフェミニズムであり、その目的とするところは「家族の解体」と「男女が敵対」する社会の実現に他ならない。本書はこの現代の“悪魔の思想”の正体を余すところなく明らかにした「フェミニズム解体新書」である。
はじめに
序 脳死との出会い
第一章 いま脳死を再考する
1 脳死の真実
2 脳死論の系譜
3 脳死の存在論
第二章 生命と他者──〈揺らぐ私〉のリアリティ
1 脳還元主義の生命観
2 パーソン論のリアリティ
3 パーソン論との対決
4 他者論のリアリティ
第三章 ウーマン・リブと生命倫理
1 ウーマン・リブとの出会い
2 優生保護法改正とは何だったのか
3 一九七二年の改正案とウーマン・リブの対応
4 性と生殖に関する三つの主張
5 七〇年代日本のフェミニズム生命倫理が提起したもの
第四章 田中美津論──とり乱しと出会いの生命思想
1 便所からの解放
2 否定される女
3 どん底からの自己肯定
4 エロスと生命
5 「とり乱し」と「出会い」
6 男のものの見方
7 田中美津との出会い
8 田中美津の生命思想
第五章 「暴力としての中絶」と男たち
1 中絶と自己決定権
2 可能性の殺人
3 暴力としての中絶
4 「責め」を引き受けること
5 「男たちの生命倫理」の提唱
第六章 障害者と「内なる優生思想」
1 優生思想とは何か
2 「青い芝の会」と「健全者幻想」
3 障害者と女性はなぜ対立したか
4 「内なる優生思想」は克服できるのか
5 予防福祉論と障害者共生論
6 選択的中絶のほんとうの問題点とは
7 女性には障害胎児を殺す権利があるのか
8 優生思想と闘うこと
9 いくつかの論点
10 優生学の新展開をどう考えればよいのか
11 「内なる優生思想」と生命学の可能性
最終章 生命学に何ができるか
1 生命学とは何か
2 悔いのない人生を生き切るために
3 生命世界の探求
4 生命学の方法論
註
あとがき
初出一覧
文献一覧
『小公女』のミンチン先生といえば、冷たく醜い悪役。そんな偏見にも負けず、女教師たちは高度な女子教育を大英帝国に広めていった。大冒険の光と影を描く。
爆撃されるイラクの街に生き茂った棗椰子が、世界を変える夢の力を呼びさますー第三世界の女性たちの声に耳を澄ましフェミニズムを大きく動かした著者が、文学や映画をはじめとして、出来事の深みに降りゆく想像力をもつさまざまな試みのなかに、新たな世界への扉をさぐりあてる。
新しい世界を夢みる力
爆撃されるイラクの街に生い茂った棗椰子のイメージが、世界を変える夢の力を呼び覚ます。第三世界の女性たちの声に耳を澄まし、フェミニズムを大きく動かした著者が、文学や映画をはじめとして、出来事の深淵に降りゆく想像力をもつさまざまな試みのなかに、新たな世界への扉をさぐりあてる。
正義論は家族やケアの問題にいかに応答しうるか。リベラル・フェミニズムの立場から法哲学の再構築に挑んだ先駆的著作。待望の新版。
性別役割分業、ケア、婚姻制度など、「家族」の問題を直視するフェミニズムのリベラリズム批判を真摯に受けとめたうえで、リベラルな公私区分を再編し、家族関係への契約アプローチを試みる。リベラリズムとフェミニズム双方を刷新し、リベラル・フェミニズムの可能性を徹底して追求した挑戦の書。近年の展開を捉える寄稿論考2本を増補。
[解説]井上達夫 [寄稿]川崎修/齋藤純一/ダニエル・H・フット/松田和樹/池田弘乃
編者序言[新版]
第1部
1 リベラル・フェミニズムの再定位(抄)--家族論を中心に
序
第一章 リベラル・フェミニズムの再定位
第1節 複数のフェミニズムスからのリベラル・フェミニズム批判
第2節 フェミニズムのアポリア
第3節 リベラル・フェミニズムの基本的理念
2 正義論における家族の位置ーーリベラル・フェミニズムの再定位に向けて
序
第一章 公私二元論再考ーー正義論の主題としての家族
第1節 第二波フェミニズムによる近代的公私二元論批判
第2節 公私区分の再定位
第二章 性別役割分業の解消と正義の諸領域
第1節 正義と性別役割分業
第2節 正義の諸領域
第三章 家族への契約アプローチ
第1節 家族関係の法的な捉え方ーーミノウとシャンリーの見解の検討
第2節 契約アプローチ再考
おわりにーーリベラル・フェミニズムの再定位に向けて
第2部
3 「親密圏」と正義感覚
1 問題の所在
2 正義の理念と家族
3 対外的レレヴァンスと対内的レレヴァンス
4 家族と正義感覚
5 おわりに
4 日本型「司法積極主義」と現状中立性ーー逸失利益の男女間格差の問題を素材として
1 はじめに
2 交通事故紛争の解決と裁判所
3 未就労者の逸失利益の算定における男女間格差の問題
4 現状中立性(status quo neutrality)
5 あり得べき正当化
6 結 論
第3部
5 応 答
1 フェミニズムとリベラリズムの革新[川崎 修]
2 〈「親密圏」と正義感覚〉について[齋藤純一]
3 経験、多様性、そして法[ダニエル・H・フット]
6 展 開ー新版に寄せて
4 婚姻の契約アプローチの展開と課題ーークレア・チェンバーズの「婚姻なき国家」の再考から[松田和樹]
5 国境を超えるケア労働と正義[池田弘乃]
解説 野崎綾子ーー人と作品[井上達夫]
新版へのあとがき
初出一覧
参考文献
索 引
境界を越えた対話のために。西洋の女性が殴られると家庭内暴力といわれるのに、第三世界の女性が殴られるとなぜ文化のせいにされるのか。
生殖技術をめぐる「生殖・技術・言論」の三層とジェンダーとの錯綜した関連を解きほぐす。漂流する「女性の自己決定権」はどこへ向かおうとするのか。
「父」を楽しませてやりなさいな。でも、彼の法に服従してはだめ。フェミニズム=「娘のテクスト」は「精神分析の聖典/正典/性典」=「父のテクスト」の内部に入り込み、解体し、未知なる生命を得る。交錯するテクスト間に渦まく欲望を味わい尽くし、精神分析とフェミニズム双方に新たな視座を拓くフェミニズム批評の到達点。