庭園と建屋との「ありやう」は、所詮そのフィジカルで人工的な「見せかた」と、自然に備ったヒトの目による生理的・心理的な「見えかた」に帰するのである。本書は著者が「日本庭園と建屋の関連に関する一連の研究」として1988年度日本デザイン学会論文賞を受賞した著作を基にまとめられたものである。
庭園・公園において、土木的要素はいわば骨格のようなものであり、それは機能的であると同時に、構造的にも確かなものでなければならないと思います。本巻では、身近かな庭園土木に関する知識について出来るだけ広く、しかもわかりやすく、また、ある部分では多少深く解説し、実際の施工に当たって造園的な立場で大いに役立つよう配慮すると共に、造園技能士を受験される方に十分役立つよう解説しました。
この本では、どこの家にもある1平方メートルくらいの狭い場所でも、新緑、花、実や紅葉と四季の変化が楽しめるミニ庭園作りのアイデアや作業例をイラストを中心にわかりやすくまとめてみました。
木々の緑、土のうるおい、吹きわたる風ー。静寂とやすらぎの空間、庭園を訪ね歩いた名園紀行。広大な心字池と鬼岳の熔岩で構成された五島・福江島の旧領主の庭(江戸末期築造)や、白砂が広がる中に巨岩が露出する原始のままの姿を伝える八重山諸島竹富島の庭など、九州・山口・沖縄の隠れた名園130を網羅。
庭園の歴史を詳説し、二百以上の名園を豊富な写真をまじえて紹介した。
全国100余ヵ所の伝統的庭園を650枚の写真・図版を使い解説。
庭園を見つめることによって浄土が見えてくる。東西の名園を訪ね、「造景」する精神文化の深層を浮き彫りにする、比較文明論的フォト・エッセイ。
中国で、造園のみならず、こうした「天のみが成し得る所業」を人間が代行することは、古くから人々の間で求められてきたことである。天の産物とされていた不老の秘薬の生産を志した錬金術もまたその一つである。錬金術においては、自然産物の変化・生成する時間を操作することにより、目的の物質を生成しようとしている。園林においても、自然を模写するだけでなく、自然の技を模写しようとする。であれば造園とは、自然風景の錬金術であると言ってよいかもしれない。
日本庭園における眺望は、風景を遠望する行為から発達した。それは平安貴族の別業(別荘)の選定条件となり、浄土庭園では不可欠なものとして展開する。本書は、庭園遺跡の発掘をもとに、古代人の景観眺望に対する意識を分析する。
本書は庭園という空間の領有の形式と人間の追想の関連を分析している。詩学とは制作学であり、しつらい、収集、巡礼、そしてパターンは、人間の理解の本質を突き詰めたうえで選定された実に解りやすい分類である。庭園という形態は、文化の圏域を超えて、空間や時間の隔たりを超えて伝わり、咀嚼され、根づいてきた。庭園の部分と全体を結びつけて、空間や形態の構成を成立させているものには、おそらく自然に対する人間の態度が映し鏡のように投影されているはずである。著者たちは、イスラム、ムガール、イタリア、フランスの整形庭園、イギリスの風景式庭園、中国庭園、そして日本庭園、それからバリ島、チベット、カシミールでの自然と人間の関わりを取り上げている。著者たちは場所の精神を訪ね、庭園を見つめ直し、自然と人工性の関わる様々な問題を探究してゆく。庭園には、様々な人工性を見ることができる。その場所に深く関わった人物たちが書き残した感性や所見を通じて、その時代の気分を身近に感じながら、著者たちは実際に庭園を訪ねた折の実感を記している。
渋沢龍彦没後八年、完結した全集の編集委員の一人として、旧制高校以来の親友・喧嘩仲間・深刻なライバルの著者にして初めて語れる渋谷龍彦の実像。ほかに、安吾、谷崎、三島など、仏文学者の著者が〈親愛の情〉かたむけた作家論を併録。
居ながらにして味わう「名庭観賞」の旅。全国各地の名庭・名園を一流カメラマンが特撮。幾多の茶匠が創造してきた、非公開の露地とわびの名席を多数収録。