いま静かにサルトル再評価の動きが始まる。かつての実存主義の枠組みを超えて、没後、続々と刊行される遺稿(『倫理学ノート』『真理と実存』等)からは、その豊穣な思考の全体像が立ち上がってくるのだ。自由の果ての倫理とは?哲学・文学の真の冒険とは何か?責任の問題が見えにくくなった時代の今こそ、テクストの新しい読みによる、甦る「サルトル思想/文学」入門。
倭国はどのように誕生したのか。日本歴史の原点である旧石器・縄文時代から初期ヤマト政権誕生までの時代を、自然環境、東アジアとの関わりの問題も含め、考古学の最新の成果にもとづきダイナミックに描く。
七世紀、対外戦争=白村江の戦、内乱=壬申の乱を契機に、律令国家が形成されてゆく激動の時代を描く。飛鳥・難波・藤原の宮都、諸寺院、地方官衙等の遺跡や木簡等の発掘成果を紹介し、新しい七世紀の歴史像を示す。
戦争体験者や村の古老の語る「事実」の本質とは何か。彼らの心意を私たちはどのように受け止めたらいいのか。長年村々を歩き続けてきた著者が、「聞き書き」が内にもつ曖昧さとその可能性を説き、現代民俗学を展望する。
戦後の進歩的知識人の代表、思想史学のリーダーであった丸山真男。超国家主義、「原型」・「古層」を追究し、山崎闇斎学派、荻生徂徠、福沢諭吉らの思想構造を解明する丸山思想史学を再構成。丸山に対する論評を詳述。
けんか、笑い、涙。友人知己、食と旅を通して生き生きと描かれる人生の感動。まだ本になっていない佳編・名編、45編。池波正太郎のラスト・エッセイ。
医療や諸科学の“近代的な知”に不満や限界を感じた人々は、それに代わる“癒す知”=自然食や心理療法を求めた。玄米食を尊ぶ正食運動や、身心の自然機能により神経症を治療する森田療法は、宗教や霊性と科学の知をどのように融合させようとしたのだろうか。痛みや苦しみから解放された「生きがいある生」を探ろうとした、もう一つの精神史。
味な旅、取材の旅、人生の旅。人に会い町を知り食を思って溢れるのびやかな心。まだ本になっていない佳編・名編、49編。池波正太郎のラスト・エッセイ。
遙か長安の都へ向う遣唐使には、先進文化の導入と外交関係を維持する使命があった。雨乞い儀礼を見聞し朝賀の儀式に参列するなど、彼らにとって儀礼・儀式とは何だったのか。知られざる唐の社会と文化を描く日中外交史。
ファシズム台頭への不安、共産主義革命への期待の中、一九三六年、クーデターに端を発し、勃発した内戦。国家間の貪欲なエゴ。正義と人類愛に燃える若者たち。五十五ヵ国、四万人におよぶ海外からの大量の義勇兵。苛酷極まる闘いに、彼らはなぜ身を投じたのだろうか。義勇兵で結成されたスペイン国際旅団に視点を据え、世界を震撼させた人間と政治の壮大なドラマを描き出す。
本書は合気道の初心者を対象に、基本動作と代表的な基本技法について豊富な写真とともに詳細に解説。各技における陥りやすい誤りや、上達のためのポイントなどが丁寧に説明されており、独習、復習に最適の合気道書。また、日英対訳版となっているため、指導者にとっても海外での合気道の普及、指導の際のマニュアル本として必携の書。巻末に、初代養神館宗家・塩田剛三の貴重な説明演武連続写真を収録。
間取りで「夢」が見えてくる、へぇ〜!な驚き炸裂!“トリビア”な間取りからイチローの生家まで間取りの謎・大研究。
天明3年、大音響とともに始まった浅間山大噴火。当時の人々は噴火をどのように受け止め、災害復興に向けていかなる知恵をしぼり努力を重ねてきたのか。歴史の中の浅間山大噴火を読み解き、現代社会への教訓を学ぶ。
今も多くの人々を魅了する歌舞伎と人形浄瑠璃。誕生以来つねに為政者の弾圧を受けながら、いかにして今日の伝統芸能へ発展したのか。“女性原理=肉体”と“男性原理=ことば”をキーワードに、その歴史と魅力に迫る。
鬼はどこからやってきたのか。中国や日本の「鬼やらい」や、祭りに登場する「鬼の杖」など、様々な時代や地方の鬼の姿を多くの写真とともに紹介する。現代人が忘れ去った“他界”との関係を明らかにする鬼の民俗誌。
第二次大戦後、再軍備へ向かう政府に戦争反対の声をあげたBC級戦犯たち。名作「私は貝になりたい」は、その魂の叫びをもとに生まれた。戦犯たちのスガモプリズンでの思索と行動から、真の戦争責任とは何かを考える。
建築家・インテリアデザイナー・プロダクトデザイナー・アートディレクター24人が、好きな空間を語った、初めてのインタビュー。
武道はいかに誕生したのか。文明開化の時代、武士階級と結びついていた武術は、存続をかけて新しい道を模索する。講道館柔道をモデルに、格闘技興行や軍国主義の影響、戦後のスポーツ化など、知られざる武道の歴史を探る。