二つの大戦を描き、生きたドイツの画家。社会派といわれ続けたケーテを再評価する、揮身の書き下ろし。
結婚退職を強要されるOLたち、働く女の、男とともにする子育て、嫁姑の確執、セクハラ裁判、子どもへの性教育、映画のなかのフェミニズム、シングルズ宣言。儒教的オトコ社会にもの申す韓国の女たち。
東南アジア進出企業の韓国人、韓国商社員の見た文化摩擦、北京のコリアンタウン、映画の中の在外韓国人、出稼ぎに来た外国人労働者の悲劇、メキシコに同化した韓国系移民の子孫…。「世界化(国際化)」時代の韓国の光と影。
内なる声に動かされて女性たちはいかに格闘し、自らの表現手段を獲得したか。本書は主に、18世紀から19世紀にかけてのやや古い時代に、ドイツの女性たちの書き著したものについての論を収めた。
目ざましく発展するポピュラー音楽研究の最新動向。社会学、音楽学、記号論、構造主義、フェミニズム…相互に関連し合う多彩な学問領域からのアプローチが進む英語圏の現状を一挙に紹介する。第一人者による待望の翻訳。
19世紀の第一波フェミニズムを起点に、女性たちの挑戦が3名の作家の作品から解き明かされる。ブロンテとハーディ、そして20世紀後期のマーガレット・ドラブルをも巻き込みながら、ヒロインの変貌が100年の流れの中で開示される。ドラブルは19世紀の伝統にこだわりながら、やがてその伝統から離脱する試みを行った。彼女が創作したヒロインとは?20世紀初頭のモダニズムと急進派フェミニズムに重要な役割を果たした雑誌『フリーウーマン』の考察をも盛り込んだ斬新な論考である。
原点としての憑依論、統合失調症論、うつ病論、そしてアイヌのイム研究へと歩みを進めるなかで描かれる、日常臨床の周縁部にある原ー光景との接触、そのリアリティから生活世界や精神医学を逆照射する軌跡。本書に収録された代表的論考「精神科臨床とダイアロジスム」「精神科臨床とバフチンの思想」「統合失調症者と自己治癒的コミュニタスの形成」は、患者自身が形成する微小文化を意識しつつ患者の経験を聞くという方法、すなわち精神科臨床における対話的民族誌を試みた精神医学の里程標であり、音読のリズムで精読すべき文化精神医学のコスモロジーを指し示す。
人は皆、ケアを必要とする存在である。リベラリズムの普遍主義を問い直し、依存する他者に対し柔軟に応じうる規範理論を構想する。
西欧/男性のエキゾチズムの視線から離れた場で、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの女の言葉は、何を生み出しているだろうか。本書は、詩的想像力あふれる言葉や映像コラージュの引用を織り込みつつ、「物語る」ことにまつわる複数の知と、文化をめぐる問いとを交差させ、その隙間に息づいているものを見つめる試みである。ポストコロニアルの文化を深く問い直しつづけるベトナム出身の映像作家/音楽家/人類学者による、記念すべき最初の著作。
フランス革命の衝撃がひろがる英国で、保守陣営と果敢に論争する女性論客として一躍有名になったメアリ・ウルストンクラフト。彼女がわずか3カ月で書きあげた義憤と希望の書『女性の権利の擁護』(1792年)は、フェミニズムの古典の筆頭にあげられる。フェミニズムという言葉すらなかった時代、18世紀末イギリスでウルストンクラフトは、どのような「女性」の、どのような「権利」を、どのように「擁護」しようとしたのか。気鋭の思想史研究者が丹念に読み解く。
日本におけるフェミニズム運動のパイオニア世代の三人が、個人史の軌跡を時代の中に位置づけて語る。草創期の女性史・女性学の熱気、学生運動や「慰安婦」問題との関わり、異性愛者としての立ち位置、そして老いつつある自らの経験と死について。後に続く世代に残す、貴重な歴史的証言。
他者との非暴力的な関係が政治のはじまりだ。ケアの倫理から政治的主体を根底的に覆し、傷つき依存する関係から社会を構想する、フェミニズム理論の到達点。
ヴィクトリア時代における経済学の様相をフェミニズムとの係わりに焦点をあわせて検討する。
最高の音で楽しむために!
いのちに向き合うフェミニズム批評に取り組んできたメンバーの作品は、期せずして合い呼応し、女、性、民族、歴史、文学、映像、メディア、教育など多様な視点から、核や原発のもつ反生命性、反人間性を浮かび上がらせ、まさに文明史の転換を示唆している。
ラディカル・フェミニズムの成果を享受する一方で、そのイデオロギーには違和感を覚える女性たち。フェミニズムはもはや存在意義を失ったのか?「政治的なもの」から「ポップなもの」へ、「社会的なもの」から「個人的なもの」へと重心を移しながら、多様な声を包みこむ第三波フェミニズムと、女性たちの文化実践を結ぶ、今日的フェミニスト・カルチュラル・スタディーズ。