社会政策という政策領域を雇用と社会保障分野の両方におき、それぞれの領域での男女の関係、とりわけ女性がどのように位置付けられてきたかを歴史的に検討してゆく。
本書は、著者が真宗大谷派山陽教区坊守会で講義した内容をまとめたものである。
批判的社会構築主義の射程。グローバル化過程におけるジェンダー・ポリティクスについて、ウェストファリア・システムという制度とその揺らぎとの関連で考察する。
本書は、日本の学校現場の状況をできるだけ取り入れ、学校のジェンダー再生産構造に気づき、教師自身がジェンダー・センシティブになるよう、その力のエンパワーメントに向けて編集したものです。その内容は学校のジェンダー再生産機能に気づいた90年代はじめの動きから、ジェンダー・フリーな教育という方向をさぐりあてた90年代後半の動きを示しています。
本書は一九九九(平成一一)年度に開催された味の素食の文化フォーラムの発表と討論をもとに、新たに原稿を書き下ろしたものである。
「高齢者問題は女性問題」という言葉がよくあらわしているように、社会福祉の課題はジェンダーと密接に関わっている。社会福祉の内部に構造化された倫理-道徳、価値観が、社会福祉と女性の関わりを一定に規定しているからである。このような「負の倫理」を各章で取り上げ、社会福祉とジェンダーの新たな関係を提起する。
心理学はジェンダーをどのように捉えてきたのか?男女の能力・セクシュアリティ等について考える。
少子化・晩婚化はなぜ進むのか。ジェンダー社会学からの調査と提言。少子化問題の鍵を握る若い世代の女性を対象に、結婚・家族・子育て・職業・自立について詳細に調査した実証研究。現代女性のジェンダー意識・母親意識をトータルに解明し、「自分らしさ」と「母親規範」のはざまでゆれ動く女性たちの希望と困難に、さまざまな角度から光をあてる。
「女性労働問題」から「女性中心アプローチ」へ。激しく変化している女性労働の現場に立脚しながら、ジェンダーに着目した視座を対置することによって、既存の労働法学を見直そうとする意欲に満ちた論文8編を収録。
ジェンダーの視点から、様々な題材を通して、近現代の権力および支配・ヘゲモニー現象を「ジェンダー・ポリティクス」として分析。同時にその変容の契機、方向性を模索。
本書は、フェミニズム労働論の立場にたって、戦後日本の労働のジェンダー分析を行ったものである。第2部以下の各論では、日本の労働におけるジェンダー的特質を規定している要因は何か、を明らかにすることに焦点をおいている。
本書に教材を持ち寄った面々は、すべて教員あるいは教員志願者である。聞き、話し、読み、書く能力を養う「国語」という教科を軸に、学ぶことと教えることの難しさに日々、四苦八苦している。いうまでもなく不断に教材探しをしているのだが、そこへ、「ジェンダー・フリーを目指す」という課題をもう一つ背負い込んだ。生まれたときから誰もが例外なく背負っている、「女」あるいは「男」の印に、まずは意識的になること。そして「あなた」や「わたし」を取り戻すために、「国語」の時間に何ができるか考えることー本書は、そのための小さな一歩である。
国によってジェンダーの問題は違うの?インタビュー形式でさぐる。小・中学生向き。
「男女共同参画」という時代の要請によって、今日、学校教育、そして家庭科には何が求められているのか。家庭科が抱える教育課題に取り組むことによって、いったい、どのような成果を上げることができるのか。さらにそのことによって、学校教育自体が内包するジェンダー問題にも変化が訪れるのだろうか。本書は、以上のような問いに対する答えを出すべく、著者が発表してきた論考に加除筆・修正を施し、さらに新たに書き下ろしも加えてまとめたものである。
雄々しい男性の理想像を体現した作家という固定観念を打破し、ヘミングウェイの初期と後期の作品の興味の中心が同性愛、性の役割の交換、異種混交にあったことを明らかにした画期的な研究書。
本書は、普通選挙権と議会制民主主義の貫徹を目指したイギリスのチャーティズムを考察の軸に、おもに階級史、ジェンダー・女性史、アイルランド問題の視角から再評価を試みた注目の民衆運動史論集である。また国王を家族的存在に変えたヴィクトリア女王の独自な役割を浮き彫りにした終章、及び著者の生い立ち、稀有の歴史家・社会運動家の夫エドワード・トムプスンと共に歩んだ女性研究者・妻としての生きざまを赤裸々に語る序章は、深い感動を呼ぶ。