第二次大戦直後、両親に連れられて日本の中央部の山あいの小さな地域に住むようになったアイルランド人の少年の実話。今は祖父となったその少年は、若い頃の幸せで楽しかった思い出を思い起こします。宣教師の子どもだった著者がいま孫たちに語る日本の思い出・旅の思い出。
山のうえで、星空のてっぺんで、無音の孤独のなかでー。美しくも険しい山々を、一歩一歩踏みしめて綴った、若き青春の日の詩。
この拙作は、在日ベトナム人として、こよなく愛する我が祖国日本の一公民として、そしてこよなく愛する我が町の一町民にして町内会の一役員として著述した著作であり、日本の地方自治・地域政策・住民参画に貢献する志を以て出版した著作であります。 諺に「小事は大事」とあるように、国家という大よりもまずは地域という小を、社会という大よりもまずは個人という小を、誠に確りと改善していく、この小の積み重ねこそが、大の改善へと繋がっていく、拙作はこの信念を以て完成された哲学書であり、そして祖国を愛しては憂いる日本人の皆様方の良心に良識、愛郷心に愛国心、求知心に向学心の奥底に誠に届くことを、切実に願って止みません。
朔太郎賞受賞作の解体ーー
※萩原朔太郎賞受賞作『アストロノート』は、著者の当初の意向に基づいて本セレクションでは、『青猫以後』『アストロノート』『電波詩集』に3分冊しました。
ガブリエルは死ぬ
その命名の重みによって
君はブラジル丸の甲板から太平洋へ唾を吐け
俺は50ccのゴリラに跨がって国道1号線を東上する
「生きることは楽勝だな」
「ああ、ヤツさえいなければな」
潜伏先の地方都市で静かな家庭生活を得た一人の男
彼を新たな破壊工作へと誘う謎の過激派組織
「ヤツに改造銃を持たせた組合があるらしい」
「ああ、伝説だ」
巨大化したネズミ男たちがまき散らした孤独についての伝説
残酷な運命、理不尽な命令
皆殺しの街から生き残った一人が帰って来た!
(栞=寄稿:阿部嘉昭、著者解題)
当時、どんな詩を書いていたのか。
地方都市での小市民的な暮らしに埋没して行くのが嫌で嫌でたまらない詩人が、
酔っ払いながら自分の家族や仕事をネタに愚痴をこぼしてみたり、
時に殺気立ったりする、というのがだいたいのパターンである。(…)
ヤバい感じだった。
こんな状態を続けていたらいずれ精神か生活が破綻するだろうと思った。
「青猫以後」という長編詩を書いた時、
ここで一度嫌な流れを断ち切りたいと考えた。
そのためには詩集を作るしかない。
第四詩集『青猫以後』。
当時は鎌田哲哉と激しく衝突していたこともあり、
私は「重力」への参加を取り止め、第四詩集の製作にシフトしたいと思った。
出会い/連結の理論へ
アルチュセール、フーコー、ネグリ、ランシエール、そしてフランス革命期の政治家サン=ジュスト……
かれらとともに革命の(不)可能性とその条件を極限まで思考してきた社会思想史家の35年の軌跡。未公開講演録も収録。
カバー写真:水谷吉法
アルチュセール
私はいかにして『ルイ・アルチュセールーー行方不明者の哲学』を書いたか
ルイ・アルチュセール「偶然性唯物論」講義
危機をまえにした哲学
理論主義と真空の概念
ルイ・アルチュセールはどのように仕事をしたか
ルイ・アルチュセールにおける時間と概念
一、二、三、四、万のアルチュセール
〈風変わり〉なアルチュセール、風変わりな本棚
アルチュセール、記憶、ベンヤミン、パサージュ……
未来は永く続く
アルチュセールの悲劇的な実践をめぐって
近代の再定置
ソフィストはいかにしてパレーシアストになったか
ライフハックと政治とフーコーの〈哲学〉
公共空間は全体主義に抗しうるか
再び〈以下ヲ欠ク〉
転覆と反転
自然と制度
「政治過程論」を再審する
アルチュセールやドゥルーズ、フーコーらの「現代思想」と、60年安保から始まり全共闘、(連合)赤軍を経て現在にいたるまでの「ポスト68年」を一つのものとして根源的に追究してきた社会思想史家の40年の軌跡。
カバー写真:水谷吉法
〈68年〉/〈現代思想〉
〈六八年五月〉、哲学を解放する
現代思想と政治をめぐる序
(ポスト)構造主義のヒーロー、政治の政治
「権力ー知」か「国家装置」かーー〈六八年五月〉後のフーコーとアルチュセール
60年/68年
政治的主体は「存在」しない
〈68年〉のドン・キホーテ
「俺が党だ」--ポスト〈六八年〉の理論的悲哀
アジテーターのエチカーー長崎浩『政治の現象学』をめぐって
長崎浩『政治の現象学』再刊にあたって
叛乱と反乱、あるいは二つの〈我々〉
「十五少年漂流記」から「蠅の王」へ
FACTUM est FACTUM の意味を問う 廣松渉への挑戦状
死が作品になりえたころーー岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年』解説
戦争/闘争
戦争と平和、あるいは、ジュネがマオに接吻する
なにが「気分」か?--『気分はもう戦争』(矢作俊彦・大友克洋)をめぐる戦略問題
闘争/表象
踊る/踊らない身体の言語ーー田中泯をめぐって
微分の叙情、個体の神性ーー小泉義之『ドゥルーズの霊性』をめぐって
不平等の再生産に抗してーージャック・ランシエール『哲学者とその貧者たち』
相容れない三者を結び合わせるーー布施哲『世界の夜』
匿名連載ブックファイル
蜂起は無駄なのかーーモフセン・マフマルバフ監督『独裁者と小さな孫』
戦後日本の虚妄を鋭くえぐる奇想、詩情あふれる描写、卓越した語りー大島渚・篠田正浩・長谷川和彦らの映画の脚本家にして、数々の名うての作家・評論家をうならせた幻の小説家、田村孟=青木八束。70年代の文壇を疾風のごとく駆けぬけ、今なお賛辞の声がやまない全8作を、没後15年にして初の単行本化。
数奇な軌跡をたどった詩集ーー
ライラック号で来る
虚言使いの夏あり
室内からの廃風につつまれて
夏がうだる
羽虫たちはハイウェイの上空に集まり
死んだ
プラント
防波堤に沿い
巨人たちが倒立する
死んだ風を呼び
もう一度殺す
イノセンス
工都の闇に護られ
“私の家族は
鉄を食べていた”
(栞=寄稿:佐々木敦、著者解題)
私は第2詩集の製作の一切を
自らのコントロール下に置きたいと望むようになり、
郷里四日市での土建屋の仕事を逃げ出し、七月堂に押し掛けた。
そこで働きながら詩集を作ろうとしたのだった。
自分の詩集のことしか頭にない私は、遅刻や欠勤を繰り返し、
ひたすら来るべき書物の姿を追い求めた。
朔太郎賞受賞作の断裂ーー
※萩原朔太郎賞受賞作『アストロノート』は、著者の当初の意向に基づいて本セレクションでは、『青猫以後』『アストロノート』『電波詩集』に3分冊しました。
二千十万年夏休み、男子高生の三人に一人が言語障害に陥るであろう
母音を失った彼らは「小鳥のさえずり」を一斉に始めるであろう
ポエジーとエレジーとバンジーが破局的に衝突する川面で美しいものがすべて砕け散るであろう
思い出や思い出や思い出や隠し通した欲望が!
そしてテクストの時代が終わる
おれはカンブリアの魚に誘われるように穴に入って行った
その穴
世界市民がめいめいに打つ絶望的読点のなかに
全ての窓辺からカーテンが取り外された日、おれは一瞬の鳥バードの溜め息を聞いたように思う
それはもはや若々しいものではなかった
(栞=寄稿:中原昌也、著者解題)
「現代詩手帖」に連載した短詩群。
この連載を企画した編集者は、
第一回が掲載された直後に思潮社を辞めてしまった。
ということは辞めることを決意しつつこの連載を企画したのであろう。
そこには何か意図があるはずだ。
私はこう考えることにした。
この連載は彼が対思潮社に仕掛けた時限爆弾なのだと。
たぶん嫌になることが山ほどあったのだろう。
よしわかった。任せとけ。
私はこの連載をどのタイミングで爆発させるかを考えた。
「世界水準」の演劇の誕生
「世界水準」に達している日本の演出家は、鈴木忠志だけだーー
早稲田大学の学生劇団自由舞台から、
早稲田小劇場(その後SCOT)の結成、
水戸芸術館や静岡県舞台芸術センターの芸術総監督就任、
日本初の世界演劇祭「利賀フェスティバル」や
第9回シアター・オリンピックスの開催へ。
同世代の評論家・劇作家として併走してきた著者が、
鈴木忠志のこれまでの活動と、
東西の古典劇や歌謡曲を再構成した独創的な作品を、
時代背景とともに精緻に分析、
「世界認識の媒介」あるいは
「世界批評」「世界変革」としてのありようを剔出する。
第1章 2019年・利賀
1 演出家鈴木忠志をどう評価するか
2 第九回シアター・オリンピックス
3 SCOT 参加作品と劇団
第2章 その初心と第一の飛躍(1960-1968)
1 戦後への隔靴搔痒ーー新劇への違和
2 学生演劇から六〇年代演劇へ
3 早稲田小劇場の誕生ーー鈴木忠志・別役実・小野碩
第3章 〈からだのことば〉が生きる場所へ(1969-1973)
1 『劇的なるものをめぐって2』と鈴木忠志
2 女優白石加代子の誕生ーー小野碩との別れ
3 「演技論」の圏域をこえて
第4章 根拠地を創るーー60年代からの離陸(1974-1983)
1 異種格闘技の達成したもの
2 利賀への〈長征〉
3 新たな展開へ
第5章 60年代演劇を遠く離れて(1984-1996)
1 芸術総監督への助走
2 世界批評の演劇
3 SPACへーー活動のウィングの拡大
第6章 SPAC芸術総監督の時代(1997-2007)
1 SPACでの歌謡劇
2 「日本人」との対峙
3 西欧古典との対決
第7章 再び利賀へ(2007-2014)
1 SPAC 最後の仕上げ
2 利賀への回帰ーー世界各地からの招聘
3 〈縮む日本〉との対峙
第8章 「ニッポンジン」と向き合う(2014-)
1 デタラメの効用
2 歌謡劇の変容
3 なぜ鈴木忠志を論じるのか
詩人はすぐれた批評を書けなければダメだ
朔太郎賞詩人にしてフィルム・アーキヴィストはそう断言する。
大岡信、稲川方人、岡田隆彦、絓秀実、渡部直己、
イーストウッド、ヴェンダース、ゴダールを相手に、何をどのように論じたのか。
著者30歳から書きつづってきたエッセイ&批評の集大成。
第1章 文学/詩
詩人の生きる道ーー大岡信
稲川方人考
続・稲川方人考
ドンブラコーー岡田隆彦
サタンの書ーー山本陽子「遙るかする、するするながら3」
純粋詩人に物申すーー『高貝弘也詩集』
殺気と抒情ーー中尾太一
詩クロニクル2001
読書日録2002
これから
ミスター・フリーダム
包丁男と泡沫詩人
ニッピョンギョと詩のことば
インタビュー 詩集のつくり方(聞き手=松本圭二・郡淳一郎)
ジュニアの世界ーー阿部和重『シンセミア』
「詩人くん」と「おカバちゃん」--絓秀実『1968年』
いやな感じーー渡部直己『メルトダウンする文学への九通の手紙』『不敬文学論序説』
第2章 詩/映画
近代の一日
チビクロ
「詩人」の部屋で「映画」はーー『百年の絶唱』
アンダーグラウンドな詩人・映画人ーー寺山修司・福間健二
みんな死んじまえ!--『ナチュラル・ボーン・キラーズ』
退場劇を想像しろーーロバート・アルトマン『プレタポルテ』を見に行く
反西部劇的「サーガ」の顚末ーー『アウトロー』
時間の殺伐ーー『東京画』
アメリカでは働かなくてもホテルの住人になれるーー『ミリオンダラー・ホテル』
批評! 映画
青少年育成のための映画上映
侯孝賢と私
クソったれはクソったれであるーーコリン・マッケイブ『ゴダール伝』
第3章 映画/フィルム
フィルム・アーカイヴはヴィデオを救えるか
デジタルは重病人だーーフィルムアーカイヴの現場から
フィルムアーキヴィストに関する7つの断章
アニメーション『バクダット姫』の共同復元
地方とアジアの映画発掘ーー『ドレミハ先生』『義民 冨田才治』『海に生きる人々』
2010年の城之内元晴 あるいは城之内元晴の全作品が福岡にある理由
映画への試み〜非破壊検査
反日・反国家・反資本主義
東アジア反日武装戦線、はだしのゲン、寄せ場労働者、被差別部落、
アイヌ民族、在日、水俣病の患者たち……
近現代日本が抱える宿痾に対していかに闘い、何を失い、何を獲得・奪還したのか。
当事者による様々な表現・言説の分析と革命の(不)可能性をめぐる考察。
●はじめに
ヘテロな空間をつくりだせ
--2020東京オリンピックと戦後日本における都市下層労働者
●流動的下層労働者
流動的ー下層ー労働者
山谷暴動の研究ーー資本主義的複合体と空間支配
狂気の輸出、沈黙の連帯ーー一九七五年六月、船本洲治の二通の「イショ」
商品の反ラプソディックな実在論とラプソディックな革命論ーー井上康・崎山政毅『マルクスと商品語』
●東アジア反日武装戦線
武器を取れーー大道寺将司の俳句
解説 桐山襲『パルチザン伝説』
六朝美文とゲリラーー高橋和巳『捨子物語』
ギギギーー私闘するテロリスト漫画
●サバルタンと部落史
サバルタンと宗教ーー被差別部落の経験から
〈矢田教育差別事件〉再考
部落解放運動の現在とこれから
〈党〉と部落問題ーー大西巨人『神聖喜劇』
●アイヌ民族
日本が滅びたあとで
解題 新谷行『アイヌ民族抵抗史』を読むために
●表現と革命
国家の暗黒と審査文化ーー日航123便墜落事件と事故調査委員会
マルスとヴィーナスーー石牟礼道子と水俣病闘争
キュニコスの勝利ーー大島渚
〈キチガイ〉というサバルタン階級の時代ーー夢野久作『ドグラ・マグラ』
『新カラマーゾフの兄弟』のメタ・クリティーク
私的短歌論ノートーー吉本隆明『初期歌謡論』に寄せて
〈現在〉と詩的言語ーー吉本隆明・岡井隆・大道寺将司
痛みの「称」--正岡子規の歴史主義と「写生」
〈世界〉の行方を左右するーー
新型コロナの世界的蔓延は、われわれの生活をあらゆる面で一変させた。
マスク着用、ソーシャル・ディスタンス、テレワーク、オンラインでのデートや飲み会……。
今もなお続けられる「新しい生活様式」は、われわれの精神をどのように変容させたのか。
一連の事態をもとに強化された新自由主義的「悪夢」から、どのようにして抜け出せばよいのか。
日本語版序文
序文
第1部 境界線
第1章 境界線と詩
第2章 崩壊を超えて
第3章 ウイルスの記号論
第4章 スペクトラムと生の地平
第5章 精神システムの崩壊
第6章 自由と潜在力
第2部 切迫する精神空間
第1章 無意識とは何か
第2章 自閉症的精神風景
第3章 キスキスキス
第4章 悲しきエロス
第3部 無になること
第1章 終末の神話学
第2章 老化問題
第3章 死と友達になること
第4章 快楽と欲望
第5章 疲弊と枯渇
第6章 予防精神療法としてのアメリカの反乱
第7章 無になることーー神のアルツハイマー病
本体価格2200円
なぜ戦争遺児たちは戦後も「少国民」となったのか
いまや社会的な忘却の彼方に追いやられた史実ーー
敗戦後まもなく国・地方が協力して行った、
戦争遺児たちによる靖国への集団参拝。
当時、どのような政治的意図のもとで、何が行われたのか。
そして参拝後の文集から浮かび上がる遺児の思いとは。
靖国に対する強制合祀の取り消し訴訟や
安倍首相の靖国参拝違憲訴訟に加わるとともに、
かつて遺児集団参拝に参加した当事者が全国各地の史料を渉猟し、
歴史に埋もれかけていた靖国をめぐる「闇」を掘り起こす。
第1部 戦争遺児の靖国集団参拝
第1章 1950年代の靖国神社遺児参拝
第2章 京都市・京都府の靖国遺児集団参拝
第3章 大阪府の靖国文集を読む
第4章 広島・長崎の遺児たちの思い
第5章 遺児集団参拝と記憶の再生・継承
第2部 靖国強制合祀と戦争体験の継承
第1章 靖国神社合祀と安倍首相の靖国参拝
第2章 兵籍簿に見る父親たちの戦争
第3章 ホロ島戦の記憶
今もなお我々は「近代」のさなかにある
平民として自発的に統治に服す「大正」の教養主義が「民主」の言説だとすれば、「昭和」前期に「独裁」が勝利した滝川事件を機にいずれとも相容れない知識人が現出したーー。
近代において批評をめぐって思考したふたりの「美学者」を解読しつつ、天皇制、資本主義ー国家、市民社会などを批判的に剔抉する。
第一部 深田康算
第一章 師をめぐる喪の作業
ラファエル・ケーベル来日 | 師の死 | 呼称に関する奇妙な配慮
師との訣別
第二章 「型」の行方
「古き形式」と「新なる形式」 | 『武士道』と『修養』
深田康算における美学の端緒 | 事物ノ理ヲ説キ書ヲ読ミ文ヲ作ルモ
籠城主義から教養主義へ
第三章 ふたつのケーベル
キリスト教的汎神論 | 「籠城」と「大洋」 | 汎神論と教育勅語
「私の神」 | 教養主義の「誕生」
「我々は知らない」と「我々の祖先」 | 「ドイツであった」
第四章 アポスタータ
アポスタータとユダ | ユリアヌス | 深田康算とユリアヌス
「恣」の詩から離れて | アレゴリー
第五章 芸術批評をめぐって
「製作と理論」と「宗教と美術」 | 眼を閉じた後で | 批評の意義
批評と「公衆」 | 「疑惑」とともに猥雑に | 印象批評と客観批評
民主主義と自由主義 | 「見ゆる」もの
第二部 中井正一
第一章 師の予見?--滝川事件1
澤柳事件 | フィヒテ追放と滝川事件 | 滝川事件の方へ
第二章 ドレフュス革命としてーー滝川事件2
平常への回帰 | ドレフュス事件でなく | 知識人
「ありきたり」でなく、かつ「万人向き」に | 一九三三年のドレフュス革命
真理とマリアンヌ | 滝川事件における中井正一
第三章 ドレフュス革命後の「リアリズム」
「昭和十年前後」のドレフュス革命 | 滝川事件前後の反革命
「原因としてのロマン」へ | リアリズム批判
第四章 「リアリズムと浪曼主義」
故郷喪失と「嘘」 | Romanの消滅 | 文芸復興と宗教改革
二様の「悪魔」 | 「人類の等質化」のなかで | 階級脱落者としての知識人
第五章 「第二の防波堤」
「昭和十年前後」の共産党再建運動 | 平野謙におけるコペルニクス的転回
『世界文化』同人 | 『土曜日』
第六章 「革命の前日」
消費組合運動の興り | 京都家庭消費組合 | 消費にもとづく統制と協同?
「自由主義時代」の終焉の先 | 京都消費組合 | 脱落への「志」
物想うとき
第七章 「ある」の投擲
嘘言の構造 | 回答的評価の機構 | 中井正一におけるコプラ
和辻哲郎におけるコプラ | 保田與重郎におけるコプラ | うつす、ダブらせる