「アート」×「科学技術」×「コミュニティー」。全アーティストの出展作品を豊富な写真で振り返る。ハッカソン、公募、イベント、アーティストと地域の人々、来場者との交流など、全活動の記録。
写真で振り返るKENPOKU ART 2016
開催概要
ごあいさつ 橋本昌(茨城県知事)
総合ディレクターからのメッセージ「自然とアートと一期一会」南條史生(総合ディレクター)
開催エリア・展示会場MAP
土と時の層を歩くー茨城県北、海側の文脈 金澤韻(キュレーター)
日立市・高萩市・北茨城市展示作品一覧
全域展示作品一覧
〈自然・人・文化〉と〈科学・技術〉をつなぐー茨城県北、山側のコンテクスト 四方幸子(キュレーター)
常陸太田市・常陸大宮市・大子町展示作品一覧
一般公募
ハッカソン
芸術祭という名のコミュニケーションイベントをつくる 林千晶(コミュニケーションディレクター)
Meets KENPOKU
ケンポクという名称ー緑と青のアイデンティティに込めた想い 谷川じゅんじ(クリエイティブディレクター)
開催データ
来場者の声
関係機関・団体と連携したプログラムの展開等について
作品リスト
実施体制
協賛・寄付
謝辞
およそ100年前、大正から昭和最初期の頃に、皇室の方々の御成婚やご即位などのお祝いのために、当代選りすぐりの美術工芸家たちが、技術の粋を尽くして献上品を制作しました。
それらの品は、献上後は宮殿などに飾り置かれていたために、一般の方々の目に触れる機会は極めて限られてきました。
本書は、この一大プロジェクトを指揮した東京美術学校を継承する東京藝術大学の創立130周年を記念して、同大学美術館にて開催される展覧会の公式図録です。
横山大観、上村松園、高村光雲、六角紫水ほか、皇居外でめったに公開されない名品が勢揃い!ワイドな折込みページと拡大図版で細部までしっかりと紹介。別カットや撮り下ろし写真、島田佳矣の図案や献上品の当時の写真など、貴重な資料と充実した解説で一大プロジェクトの全貌を紐解きます。
「岡山芸術交流」は、岡山市で3年ごとに開催される国際現代美術展。アーティスティック・ディレクターにピエール・ユイグを迎えた「岡山芸術交流2019」の公式カタログ。ユイグのコンセプトを、参加作家の作品やインスピレーションイメージを織り交ぜて展開したビジュアルアートブック。エッセイも収録。
民族藝術学会は、1984年4月に発足しました。そこでいう民族芸術学は、既成の学問の枠組みを超え、人類の普遍的な営みとしての芸術現象を考究する学として構想されました。
人類の生みだすアートをめぐっては、これまで、主として西洋とその影響下で成立した事象を芸術学や美術史学が研究の対象とし、それ以外の地域の事象、つまり、非西洋の事象を人類学・民族学が研究対象としてきたといった傾向がみられました。このため、この両者の研究は、久しく別々の道を歩いてきた観があります。ところが、今、この二つの分野は急速に接近しつつあります。
人類学・民族学にとっても芸術学にとっても、問題系を共有するなかで、分野の別を超えた新たな知の領域が開けてきているといってよいでしょう。まさに民族芸術学が必要とされる沃野が広がってきたということができるだろうと思います。
一方で、この「民族芸術」という言葉自体が使われることは、研究者の間ではほぼなくなってきているというのが実情です。民族藝術学会が学会誌『民族藝術』の英語名称として用いてきた“ethno-arts”という用語も、現在では、世界の先住民族の芸術をさす語として一部で用いられるにすぎません。そのようななかで、「民族芸術」という語を用いた途端、「芸術」とは別に「民族芸術」というカテゴリーがあるかのようにうけとられ、逆に既成の枠組みを超えて芸術を縦横に語ることが難しくなるという状況が、今、生まれてきているといえます。
新たな学会誌の名称は、こうした状況を打開するために考案されたものです。また、この名称の変更にあわせて、ここで述べたような「学」としての視座を明瞭に示すために、これまで曖昧なままにおかれてきた学会の英語名称を、“Society for Arts and Anthropology” とすることにいたしました。
民族藝術学会とその学会誌を、既成の学問分野や活動の領域を超え、人類の普遍的な営みとしての芸術現象を立場を異にする研究者やアーティストが共に考究する開かれた場として再創造しよう、というのが、この改革の目的です。
民族藝術学会は、1984年4月に発足しました。そこでいう民族芸術学は、既成の学問の枠組みを超え、人類の普遍的な営みとしての芸術現象を考究する学として構想されました。
人類の生みだすアートをめぐっては、これまで、主として西洋とその影響下で成立した事象を芸術学や美術史学が研究の対象とし、それ以外の地域の事象、つまり、非西洋の事象を人類学・民族学が研究対象としてきたといった傾向がみられました。このため、この両者の研究は、久しく別々の道を歩いてきた観があります。ところが、今、この二つの分野は急速に接近しつつあります。
人類学・民族学にとっても芸術学にとっても、問題系を共有するなかで、分野の別を超えた新たな知の領域が開けてきているといってよいでしょう。まさに民族芸術学が必要とされる沃野が広がってきたということができるだろうと思います。
一方で、この「民族芸術」という言葉自体が使われることは、研究者の間ではほぼなくなってきているというのが実情です。民族藝術学会が学会誌『民族藝術』の英語名称として用いてきた“ethno-arts”という用語も、現在では、世界の先住民族の芸術をさす語として一部で用いられるにすぎません。そのようななかで、「民族芸術」という語を用いた途端、「芸術」とは別に「民族芸術」というカテゴリーがあるかのようにうけとられ、逆に既成の枠組みを超えて芸術を縦横に語ることが難しくなるという状況が、今、生まれてきているといえます。
新たな学会誌の名称は、こうした状況を打開するために考案されたものです。また、この名称の変更にあわせて、ここで述べたような「学」としての視座を明瞭に示すために、これまで曖昧なままにおかれてきた学会の英語名称を、“Society for Arts and Anthropology” とすることにいたしました。
民族藝術学会とその学会誌を、既成の学問分野や活動の領域を超え、人類の普遍的な営みとしての芸術現象を立場を異にする研究者やアーティストが共に考究する開かれた場として再創造しよう、というのが、この改革の目的です。
みんな必死に生きている!
抜け駆け、サバ読み、炎上商法……。
彼らが巨匠たる所以はなりふりかまわぬ仕事ぶりにあった!
制作秘話より胸躍る芸術家たちの必死の駆け引きを、
ヴァザーリ研究の逸材・壺屋めりが活写します。
著者自らが描く漫画&イラストも理解を助けてくれます。
ルネサンスを舞台にしたたかに生き抜く芸術家たちの姿を
ちょっと覗いてみませんか?
※本書はオンライン雑誌「クーリエ・ジャポン」の人気連載
「リナシタッルネサンス芸術屋の仕事術」に加筆しまとめたものです。
【目次】
第1話 公共事業コンペはニーズが命 ギベルティ×ブルネレスキの場合
第2話 自己プロデュースを極める ティツィアーノの場合
第3話 有利な舞台は自分でつくる ティントレット×ヴェロネーゼの場合
第4話 独りよがりは失敗のもと ウッチェロの場合
第5話 著作権侵害からの炎上商法 ライモンディ×デューラーの場合
第6話 万能人の自己PR レオナルド・ダ・ヴィンチの場合
第7話 根回しは相手を考えて ミケランジェロ《ダヴィデ》の場合
第8話 損失が損失を生むスパイラル メムリンク《最後の審判》の場合
第9話 モンスター注文主の対処法 イザベッラ・デステ×ベッリーニの場合
第10話 敵の敵を味方につける ラファエッロ×ミケランジェロ×セバスティアーノの場合
第11話 捨てる神あれば拾う神あり チェッリーニの場合
第12話 お祭りには便乗すべし コジモ・デ・メディチの場合
めり先生のちょい足しコラム
1◎伝記と著者の都合
2◎豆腐メンタルの系譜
3◎「工房作」の実態
4◎音楽家レオナルドのことば遊び
5◎ルネサンスの匿名掲示板
6◎イザベッラのコレクター魂
7◎ヴァザーリの被害者